第8話 カシムの憂い

 その後、ガイア教への船の引き渡しが正式に決まった。

 エクセルは、この決定をカシムに伝えるため、王宮にある彼の部屋を訪れた。共にセナとアリア、そしてアリアの付き添いとしてルーシーも同行している。


 カシムの部屋はテラスに面し、そこからラスタリアの街を一望することができた。

 彼は車椅子に深く身を沈め、何かを考えるように外を見つめている。風になびく長い髪がその痩せこけた顔に触れ、青白い頬に疲れた影を落としていた。


 テラスの向こうには、バロック調の建物がぎっしりと建ち並び、その間を縫うように運河が格子状に広がっている。教会の聖堂や議事堂の鮮やかな装飾が街に彩りを添え、遠目にも街の繁栄がうかがえる。


 エクセルは、付いてきたアリア達を窓際に立たせ、カシムのそばに歩み寄って声をかけた。


「兄上、少し風が冷たいのでは」

  その問いかけに、カシムは目を細めながら、ため息を漏らした。

「大丈夫だ。それよりも、会議では醜態を晒してしまったことを詫びねばならないな」

「そんなことより、お体を大事になさってください。」


 エクセルの真摯な言葉に、カシムは一瞬だけ彼の方を向き、それから肩を落とす。

「不甲斐ないことだ。それにしても――見てみろ、エクセル。この街は美しいな。」

 カシムの視線は再び外へと戻る。彼の青白い顔は変わらず硬いが、その言葉にはかすかに感慨が滲んでいた。


「はい、兄上」

 エクセルは柔らかく答えた。だが、次のカシムの言葉は、冷たい風のように胸に刺さるものだった。


「だが、この繁栄もいつまで続くのか……。ラスタリアはガイア教に骨抜きにされつつある。奴らの国は得体が知れない。民間での交流を一切拒絶し、国民がどのような暮らしをしているのか、何もわからない。政治も同様だ。ここに駐留する兵士たちでさえ、街の人々と交流しようとせず、孤立した兵舎に籠っている。不気味な連中だ。」

カシムの声には微かな苛立ちと失望が滲んでいる。

「そんな国に併合され、ラスタリアはどうなってしまうのか……」


 彼の悲観的な呟きに、エクセルは言葉を失った。沈黙が流れる中、カシムはさらに口を開く。

「軍船の譲渡で、我々はもはや組織的な艦隊戦を行う力を失った。唯一の希望だったハルゼー提督も、明らかにガイア教の罠にかかり、機能不全に陥った。アシュルム兄は有事の際にガイア教が守ってくれると言うが、本当に信じてよいものか……」


 エクセルは思わず問い返す。

「そもそも、なぜガイア教は西ノ霧諸島に軍を派遣したのでしょう? ハルゼー提督を潰すにしても、自らの船も失っています。それではガイア教にとって何の得もないように思えますが……」


 カシムは眉間に皺を寄せ。

「それがわからないのだ。西ノ霧諸島には何か隠された目的があるのかもしれない。だが、それを知る術がない。次にサグリンがどんな手を打ってくるのかも油断ならない。」

 その不安げな言葉に再び沈黙が広がったが、カシムは顔をあげ。

「そういえばエクセル。パリスで精霊艦隊のルシファーが助けてくれたそうだな」


「はい。ですが、ガイア教もルシファーの出現で警戒しているようです」

「だが、こうなっては他に頼れるものはない。女神ルシファーは、我々最後の希望だろう。精霊艦隊は、アルカディアスの王オーデルとも互角だと聞いている。表立っては動けないが、なんとか内密に手を組むことができないだろうか」


 エクセルは俯いて、首を横にふり。

「残念ながら、ルシファーは、その後現れていないのです」


 カシムは少し落胆したが

「まあ、今あからさまに出てこられても、異教徒のガイア教との関係が微妙になり、アルカディアスも刺激することになる。我々の紛争に、精霊艦隊のルシファーが割って入ることが、吉とでるか凶とでるかもわからない。ただ、状況を知ってもらって、力になっていただきたいものだ」

 カシムはルーシーの方にちらりと視線を送る。その仕草には、どこか含むところがあるように見えた。 


 一方、話を聞いたルーシーは内心で毒づく。

(ラスタリアがこんな状況だとはな……。それにしても、余がオーデル互角だと?  あんなへっぽこ、コテンパンにしてやったのに。オーデルめ、勝手に話しを変えやがったな……)

 思わず口に出そうになっていた。

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