第25話 甲賀の里
「兄ちゃん、姐ちゃん。世話になったな」
「俺、この辺で行くわっ」
「今度どこかで会う事があったら、何か恩返しでもするわな」
と関宿で出会った伊賀の少年は、右手を上げると日に焼けた顔から白い歯をのぞかせ小さく笑った。
三人は兄弟を装い関所を無事通り抜けると、鈴鹿峠を越え甲賀国へ入るところで立ち止まった。
「小源太……」
「一人で行くのか?」
「俺……皆に誓ったからな……」
去って行くそのしっかりとした足取りに揺るぎはない。
言葉を濁し深くは語らぬ内に秘めた少年の心願。
その誓いが苦難の生き方を想像させる。
大敵に立ち向かう一人の忍。
小さくなる少年の後ろ姿が、幻像を見る様にスッと消えた。
なぜ皆、戦うの……。ナギの小さくつぶやく声が聞えた気がした。
◇◆◇◆ 甲賀の里
甲賀国―――。
ミナトが疑問の声をあげた。
「ここが甲賀国かい?」
「想像していたのとずいぶん違うな」
「玄爺の話しだ、ともっと恐ろし気な感じがしたが……」
「ぷっ。玄爺みたいな人が大勢いると思った?」
ナギが思わず笑いをこらえた。
「うちぃも小さい頃、玄爺に連れられて里に訪れていたけれど」
「この辺りは最近はすごく発展した感じね」
山々に挟まれた盆地に開けた町の風景がひろがる。
町の中には街道が整備され、荷馬車や商人たちがせわしく働き、通りを行き交う人々も多い。
安土城下に隣接している事もあり、信長公の影響で急激に発展した町並み。
周囲の山々を見渡せば小高い丘の所々に山城らしき砦がいくつも見える。
◇
ナギが向かう甲賀の里。里を束ねる里長、つまり甲賀忍びの統領に呼び出され、この地にやって来た。甲賀衆と呼ばれる二十一家、また五十三家が名を連ね、玄爺もその一家筋に当たる。
玄爺は若い頃より各地を旅したあと、全国に散らばる甲賀衆の出先として伊勢国の桑名宿に根を下ろしたと。
自身の身の上話しや忍び働きの事を話さない玄爺だが、子供の頃、ナギを寝付かせる寝夜話しに語ってくれた。
◇
隣を歩くミナトの横顔をナギが見る。
あの砂浜で初めて会った頃は、うちぃよりも背が低かったのに。
今では少し目線を上げるほどに背が伸びた。
あの幼さの残る面影も、もう今は無い。
広い背中。玄爺に鍛えられて、何処となく玄爺に似てきたな。
男の子は成長が早いんだ。
めずらしく口数が少なく、緊張の色を見せるナギがいた。
「大丈夫かい?」
「えっ。何が?」
「いや、いつもと様子が違うから……」
「そ、そうよね」
「玄爺には、大見えを切って家を出て来たけど、いざ里に近づいて来ると何かこう……胸の内が苦しくなってきたよ」
「ねえ。ミナト……」
「あの夜。あなたが言ってくれた事。ほんとう?」
「あなたは、何処にも行かない?」
「ずっと……一緒にいてくれるって?」
肩が触れ合いそうな間でナギがミナトの指を握った。
「心配なら、俺も一緒に行くよ」
「それはダメっ!」
「絶対にダメっ!」
「甲賀一族の者以外は、里に立ち入れない掟なの」
「統領にでも知られたら大変な事になるわ」
大きな溜息をついた。
ナギがこの里に来た理由。統領からの話しの内容は大方察しがつく。
再三の申し入れがあった縁談の話しである。
うちぃはしがない一支部の娘。
顔も見た事が無い男に嫁ぐなんて絶対に嫌だ。
しかし避けては通れぬ道。
うちぃは抵抗する。断じて。
◇◇◇
鬱蒼と生い茂った木々を包む小高い丘の上に砦が見える。
丘全体が一つの里になっている。
「しかし、ここはどういったところなんだ?」
「まあ……里帰りみたいなものかな」
「玄爺もここで生まれて育ったのよ」
「それから、仕事であちこち旅して、今の所に住むようになったんだって」
「いや、そういうのではなくて……」
「不思議な気質がある土地だ」
「さっきから身体を締め付ける感じがあるよ……」
ミナトが辺りを見回した。
別れ道―――。
ミナトとは、ここで別れる。
これ以上、さすがに甲賀の者以外は立ち入りれぬ場所だ。
掟を犯して侵入しようものなら、即座に捕縛されてしまうだろう。
二人は、ここでの滞在日程を考え、近江国、安土の城下街で落ち合う約束だ。
ミナト……。一人で無茶もしないだろうか……。
小さくなり見えなくなっていくミナトの後ろ姿をナギは見送る。
「…………」
「もうよろしいか?」
木の茂みから身なりの整った男が姿を現し、静かに声をかけてきた。
「統領様が御待ちです。ご案内します」
「うちぃは一人で里に行けますからっ」
「統領様から、ご案内するよう申し付かっておりますので」
「途中で逃げないようにでしょ」
ナギが踵を返す。
「うちぃは、逃げないから。絶対に逃げないから」
「統領の所に案内してっ」
両拳を握ったナギは大きく深呼吸をすると一人、気合を入れる。
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