第5話 日常①
「ゆーくん、最近学校でなんかあった?」
二人での夕食をとりながら、雄介が母親の
鮎川家の夕食は基本的に雄介が作ることが多いが、休みの日は彼女が料理を担当している。
雄介としては、たった二人っきりの家族で自分を育ててくれている母親には楽をさせてあげたいところなのだが、休日は自分が作ると譲らないので余程のことがない限りは彼女に任せるようにしている。
「普段はゆーくんが家事をこなしてくれるんだもん、お休みの日くらいお母さんに任せて? ゆーくんもたまには息抜きしないと」とは彼女の弁だ。
息抜きなら志保にも必要ではと思わなくもないが、彼女にとっては料理も一つの趣味であり、今日も楽しそうに調理をしていた。
今日のメニューは、かつ丼と麻婆豆腐とザワークラウト。
料理本を数回適当に開いて、そこに記載のレシピをジャンル関係なく作るのはやめて欲しい。そうは思うものの、毎度ワクワクしながら本を開き、結果に一喜一憂する母を止めることは、雄介にはできなかった。それに、なんだかんだこれこそ我が家の味、という謎の安心感さえ存在している。
「別に何もないけれど」
中間テストは先月だし、三者面談は来月だ。今話題に出すような行事は何もない。
交友関係も達樹や遙の話を何度かしたことがあるため、彼らの名前を志保は知っているが、こちらも特に話すようなことはない。
毎週毎週何かしらのイベントが起こるわけではない。何事もなく無事に過ごした、ただそれだけの報告だ。
「そう。何かあったら、お母さんに言うのよ? お母さん、慰めてあげることくらいしかできないけど」
「じゅうぶんだよ」
二人はこのような会話を毎週末繰り返している。やはり母親としては、自分の見えないところでの息子の様子が気になって仕方ないのだろう。
とりわけ志保の場合、ひとり親家庭で雄介に寂しい思いをさせていると感じている面もあり、こうしたコミュニケーションをよく取っていた。
「母さんこそ、どうかした?」
雄介も母親相手だと多少饒舌になる、自分からも会話を続ける程度には。とは言え彼自身の気質は変わらないので、口数はあまり多くはなかったが。
一方で志保は人と話すことが大好きなので、延々としゃべり続ける。それに時たま雄介が相槌を返すのが、鮎川家の日常風景だった。
そして雄介の経験上、志保がこういった質問をしだすのは、自身の話を聞いて欲しいとの合図だと理解していた。
「そうなの、聞いてよゆーくん」
さっそくこの日も雄介の学校での話はどこへ行ったのか、志保はいつの間にか職場での愚痴をこぼすだけになっていた。しばらくして同じ話題がループを始めたことで、雄介の意識は別のところへと向けられる。
食卓に置かれたテレビからは、興味のそそられない芸能ニュースが流れていた。若手芸能人夫婦の夫が性反転症を患い離婚した、復帰の予定は未定。そんな報道を、他人事のように聞き流す。
別に自分はその芸能人のファンではないし、まして自分が反転者になるなんてことはないだろう。お気の毒に。
そんな心にもない感想を抱きながら、母親の晩酌に付き合う。
「全くあのクソ上司めー」
小一時間ほど志保はしゃべり続けていた。ただ吐き出したいだけなのか、明らかに雄介が聞いていないことも理解していながら。
と言っても志保としては、愚痴も言わずに雄介がそばにいてくれる、それだけで彼女には十分な幸せだった。
二本目の缶ビールを飲み干し、良い感じに酔いが回ってきたのだろう、話題は雄介へと回帰する。
「ねー、ゆーくん。好きな人とかいないのー?」
だいぶ答えづらい話題を投げてくる。意中の相手が居ようが居まいが、面倒くさいことになるのが目に見えている。
気になる相手など雄介にはまだ存在していないが、それを言ったところで「またまたー」とあたかも隠しているかのように追求してくるだろう。
居たら居たで根掘り葉掘り聞きだそうとすることも、容易に想像できる。
一瞬だけ、一人の少女が脳裏をよぎった。朝によく見かける、文学少女の姿が。
それもそのはず、雄介が接点を持っている同年代の異性など彼女しか居ないのだから。クラスメイトの少女達とは、必要最低限の会話しかしていない。
これは雄介の知らぬところではあるが、クラスの女子達からの雄介のイメージはクールな変人である。当初こそ浮いていたが、達樹たちと会話する様子から別に悪い人じゃ無さそう、といった感想を持たれていた。もっとも、仲の良い二人があんな感じなのであまり近寄らないほうが無難、そう評価を下されているのだが。
ちなみに男子からは無愛想だが意外と付き合いの良いやつ、そう思われている。
「ほら母さん、お酒はもうほどほどにして今日はもう休みなよ」
雄介は、志保の目の前から食器を回収し、流しへと運ぶ。夕食を、会話を、打ち切るために。
どう返事しても良いことはなさそうだし、そもそも返事するような関係の人物が居ないのだから。
どうせ答えの無いお約束のやりとりだからか、「ちぇ―」と名残惜しそうに志保は鳴く。
息子の恋ばなを聴けなくて残念がっている、そんな雰囲気を出しながら。息子が寂しい思いをしていないかどうか、そんな心配を悟られないように。
「ゆーくーん、お布団まで連れていってー」
食器を洗おうとスポンジを手に取ったところで、雄介を呼ぶ声が聞こえてくる。
そちらに目を向けると、志保は両手を前に伸ばし体をゆらゆらと揺らしていた。
志保は二十三歳で雄介を産んだために、彼女はまだ四十手前である。
「普段はきちっとした大人なのだが、酒が入ると言動がだいぶ幼くなるな」そう思いながらも、「まあ母さんがこんな姿をさらすのは、自分やめぐみさんの前だけだし」と割り切る。別に他所の誰かにまでは迷惑をかけていないのだから。
「はいはい、今行くよ」
雄介が近寄ると、志保はぎゅっと抱き着いた。
「ゆーくん優しー。けーくんみたい。ママのお嫁さんになって?」
志保の言葉に、一瞬体がこわばる。その緊張を悟られないように、意識して適当な声で「考えておくよ」と受け流す。
そのままずるずると、雄介は志保を寝室へと引きずっていく。母親の戯言に登場した一人の人物に、想いを馳せながら。
けーくん――
雄介が三歳の頃に両親は離婚しているので、彼に関する記憶を雄介はほとんど持っていなかった。
おぼろげながら自分にも父親がいたということは覚えているが、どういう人物だったのかということは、何一つ覚えてはいない。
ただアルバムの中に残る彼の姿は、落ち着いていて優し気な雰囲気の男性であった。三人で映っている最後の写真でも、両親は幸せそうに幼き日の雄介を囲んでいた。
「父さんは、どうして」
何度か母に聞いた聞いたことがある。どうして別れたのか、どうして会いに来ないのか、今はどこでどうしているのか。
その全てに志保は曖昧に笑って「いつか、ゆーくんがもっと大きくなったら全部話すよ」とだけ返すのであった。
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