カフェオレに拳銃
春雷
第1話
「俺はブラックコーヒーが嫌いなんだ」
と彼は言った。
ここはコメダ珈琲。僕と彼は向かい合わせで座っている。僕は二人がけのソファに座り、彼は椅子に腰掛け、隣の椅子にナップザックを置いている。店内には僕と彼しかいない。開店直後だからだろうか。いや、きっとそれ以外の理由があるのだろう。
店内は無音だった。僕と彼の声を除けば。
「いい年して、何ガキみてえなこと言ってんだって感じだが」彼は話を続ける。「苦いのがどうしても嫌いでね。ピーマンもゴーヤも粉薬も。苦いものなら何でも苦手なんだ」
「苦味を美味いと感じるためには、ストレスが必要だって聞いたよ」と僕は言う。「ストレスを感じることによって初めて苦味を美味しいものとして認識するんだ。だからストレス値の低い子供は苦味を嫌い、ストレス値の高い大人は好む。大人がコーヒーをガブガブ飲むのは、あるいはストレスが原因なのかもしれないね」
「俺、小学生の時ワルガキでよ。イタズラするたび、職員室に連行されて、先公に説教垂れ流されるんだが、その職員室はコーヒーの匂いで満ちていてな。俺はその香りをどうにも好きになれなくてな。説教に関しては何にも聞いちゃいなかったからどうでもよかったんだが、そのコーヒーの匂いをどうしても嗅ぎたくなくって、もう職員室にゃ行きたくねえなって思って、結果、俺はその後、品行方正な優良児童になっちまったよ。先公は自分の手柄みたいな顔してたがな、それは全然違う。俺はコーヒーに更生させられたんだ。正確には、コーヒーの匂いに、な」
僕はウィンナーコーヒーを一口飲む。
「じゃあ、その説教で君が物凄いストレスを感じていたのなら、コーヒーの匂いも快いものと感じられたかもね」
「ま、そうかもな」
「あ、でもコーヒーの匂い自体にストレスを感じていたのか。それなのにコーヒーの匂いは受け付けなかった。ううん? これは一種のパラドックスかもしれないね。コーヒーのパラドックス」
「そんな難しいものじゃねえよ。単にコーヒーが嫌いってだけだ」
「でもストレスがあればコーヒーを好きになるはずだよ。そうであればコーヒー自体にストレスを感じる人は、コーヒーの匂いを嗅ぐたびストレスが溜まり、ストレスが溜まっていくにつれ、コーヒーを美味しいと思うようになるはずで・・・。なのに君はそうではない?」
「コーヒーが嫌いだという前提はどうしたって揺るがないし、そもそもストレスがかかればコーヒーを好きになるという理論自体が誤りだったんじゃねえか?」
「確かな情報筋からの情報なんだけどね」
「誰から聞いたんだよ」
「昔、詐欺して捕まって、出所して今は働いてないおじさん」
「じゃあたぶん誤情報だろ」
「でもそのおじさん携帯の待ち受けポムポムプリンにしてるんだよ?」
「知らねえよ。関係ねえだろ、サンリオ度と信用度は比例しねえよ」
僕はウィンナーコーヒーをもう一口飲む。そのおじさんはウィンナーコーヒーはシャウエッセンから作られてると最近教えてくれた。一杯につき3本使っているらしい。
彼はホットカフェラテを飲んでいる。彼はコーヒーは大嫌いなのに、カフェラテは大好きなんだそうだ。ミルクが入ることによりコーヒーの苦味が緩和され、めちゃくちゃ美味く感じるのだとか。
「僕、今日誕生日なんだ」と僕は言った。
今日は3月3日、ひな祭り。
「誕生日がひな祭りと被ってるせいで、僕の誕生日用のケーキはいつもひな祭り仕様でね。砂糖で作られたお雛様とお内裏様の人形がホールケーキに載っているんだ。僕は女の子じゃないから、基本的には関係のない行事なんだけれど、たまたま被ってるために、ある種僕の誕生日がひな祭りに組み込まれたような、そんな感じがしたんだ。いや、別に今となっては不満はない。けれど」
けれど、と僕は思ったんだ。僕だけの、僕だけのために存在している誕生日というイベントが、僕が一年で唯一主役になれる誕生日というイベントが、ひな祭りという巨大な行事によって、かき消されているみたいな、そんなことを思ってしまったんだ。たぶんそれは、僕が幼かったからなんだろう。
きっとクリスマスに生まれた人は、僕よりもっとやるせない思いをしていたのかもしれない。正月生まれや七夕だってそうかも。たまたま僕は、それがひな祭りだっただけで、その他のイベントでも同様の不満を持った可能性は高い。偶然そうなっただけだ。
偶然そうなっただけなんだよ。
今となっては全部どうだっていいことなんだけれどね。
今日はもう、ひな祭りとか誕生日とか、そんなのは関係ない。
それは僕が一度しか経験できない特別な日で、誕生日以外でたった一度の主役になれる日だ。
「時間だ」彼は、腕にはめた高そうな金ピカの時計を見ながら言った。
彼は隣の席に置いておいた龍の絵柄が入ったナップザックを取って、そこから拳銃を取り出した。
銃口を僕に向ける。
「君は僕を撃った後、コーヒーを美味しく感じるのかな」と僕は彼に言った。
彼と僕は同期だ。この業界に同時に入り、苦楽を共にしてきた。お互い金がなくて、都内のボロアパートで一緒に暮らしてたこともある。でも彼は僕よりずっと優秀で、彼は「粛清」の仕事を任されるまでに出世した。一方の僕は落ちこぼれで、何度も何度も仕事に失敗した。そのたび彼が何とか処分を軽くしてくれたのだけれど、とうとう取り返しのつかないほどの大きなミスをしてしまった。
殺し屋業界における「粛清」とはつまり、死だ。
使えないやつは殺せ。そういうことだ。
「いや、コーヒーは嫌いだという前提は揺るがねえよ」
彼はそう言った。僕は笑った。
彼は引き金を引いた。
パァンという、かけっこのスタートを知らせるみたいな間抜けな音が響いて、僕の意識はそこで途切れた。
ひな祭りは、僕が消えたあとも続いていくのだろう。
カフェオレに拳銃 春雷 @syunrai3333
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