第32話 未来

「ん……?」


 すっと目が覚めて、瞬きを何度か繰り返す。

 ぼやけていた視界がだんだんとはっきりしてきて、天井が見える。

 見慣れない天井だけれど、不思議と落ち着く空間だった。

 ベッドから起き上がり、カーテンを開けて、心地よい朝日にうんと伸びをする。


 うーん、気持ちの良い朝だな……。


 心にともる温かい気持ちを慈しむように、胸に手を当てる。


 私、ルイ様と婚約してるんだよね……。


 左手を太陽にかざして、まだ何もない薬指を眺める。


 ここに、いずれは……。


 ぼーっと自分の左手を眺めていると、コンコン、とノックの音がして、アレクシアが部屋に入ってくる。

「お早いお目覚めですね、ソフィア様」

「……なんだか落ち着かなくて」

 長年住み慣れた屋敷とは違うからか、早く目が覚めてしまった。

 

 私は昨日の夜からルイ様のお屋敷に住むことになっていた。

 正式なお披露目はまだ先だけれど、ルイ様が早々に準備を整えてくれたらしい。

 おかげで、殿下に正式な婚約を認めてもらってから、一週間という異例の早さでルイ様のお屋敷に住めることになったのだ。

 ルイ様が心を込めて準備してくれたようで、私が落ち着くような空間にしてくれたのだけれど、それとは別に、ルイ様と同じ家に住んでいるという事実が、私の心を落ち着かなくさせていた。


 アレクシアは私を見て、少しだけ微笑んだ。

「食堂に向かいましょう。朝食をご用意くださっているとのことです」

「朝食……」


 今日からは毎日、一緒に食べられるのだろうか。


「朝食だけでなく、昼食、夕食もできるだけご一緒に……とのお話ですよ」

「わ、わかってるよ」

 食事はなるべく一緒にとりたいというルイ様のお気持ちは、昨日の夜にざっとお屋敷の案内をしてもらったときに聞いていた。


 何故だろう、アレクシアの表情はほとんど変わらないのに、からかわれているのが分かる気がする……。


 アレクシアに支度を整えてもらって、部屋の扉を開けると、廊下の壁に背を預け、落ち着かない様子であごに手をあてて考え込んでいるルイ様が目に入った。

 目が合うと、彼はすぐに顔を綻ばせて、微笑んでくれる。

「おはようございます、ソフィア様」

「……おはようございます、ルイ様」


 ……迎えに来てくださったんだわ。


 こんなに朝早くからルイ様に会えることが嬉しくて、自然と笑顔になる。


 朝から麗しいルイ様の、頬をほんのり染め、はにかむような笑顔に、胸がトクンと鳴る。

 私はおずおずと差し出された手を取った。

 ルイ様にエスコートされながら、広々とした廊下を並んで歩く。


「あの……、ソフィア様」

「はい」

 やっぱり、ルイ様の隣は緊張するけど落ち着くな、なんて思っていたら名前を呼ばれたので、ルイ様のお顔を見上げる。


「……好きです」

「へ?」


 急に告白されて、一気に顔に熱が集まる。


 なななな、朝から何を……?


 動揺で何も言えずにいると、ルイ様は少し眉を下げて微笑む。


「もう、ご存知かも、しれませんが……。俺は口下手で……、あ、私は、えと、なので、なるべく言葉にして伝えられるように、努めます」


「……ルイ様」

 真っ直ぐ見つめてくれる金色の瞳に、私が映る。

 ルイ様の気持ちが伝わってきて、嬉しくなる。


「はい、好きです」

「し、心臓に悪いです」


 全部の語尾を「好きです」にするつもりなの……?


 赤くなりながら抗議すると、ルイ様はしゅんとうなだれてしまった。


「私も好きです」


「え」


 ルイ様は歩みをとめてしまって、私をまじまじと見つめる。


「何で驚くんですか? まさかまた疑って――」


 お兄様に勘違いで嫉妬していたときのように、また私が他の人が好きみたいなことを言うんだろうかと思って問い詰めようとすると、すぐに否定された。


「いえいえまさか! もう疑いなどしません! その、ソフィア様の夫は、唯一……、私だけですので……」


 照れくさそうに頬をかくルイ様は、とても可愛らしい。


「……! わ、わかってくださったのなら、良かったです……」


 あ、改めて言われると恥ずかしいな……。


 私は恥ずかしさで話題を変えたくて、ふと気になっていたことを言ってみる。

「ルイ様、『俺』でも大丈夫ですよ」

「えっ!? あ、あれは……つい素が、出てしまったといいますか……」


 『俺』が素なんだ……。

 いつもは、丁寧に接するために『私』って言っているってことかな……?


「嬉しいです。素が出るくらい、心を許してくださっているみたいで」

 そうだったら良いなという願望を込めて、素直に言ってみる。

「はい、そうですね……。で、ですが、貴女の前では、丁寧な紳士でいたいんです……」


 紳士。

 ルイ様がどんな言葉遣いだろうと、丁寧で素敵な紳士だと思うけどな。


 さすがに恥ずかしくてそうとは言えなかったけれど、楽にしてほしいなと思って、言葉を重ねる。

「殿下に──アル兄様に話されていたように、敬語も無くて構いませんよ?」

「え、と、……それは、難しいですね……」


 む、難しい……?

 な、何でだろう。距離を取りたいとか……?


 いくらでも悪い方向に想像できてしまって不安になっていると、ルイ様は真面目な顔で考えるようにつぶやいた。


「私にとっては、貴女ほど敬い愛すべき人などおりません……敬愛の意を示すのに、敬語を省くなど……」


 敬愛……。

 朝から甘すぎます、ルイ様……。


 もう私は顔から火が出そうなくらい赤くなってしまっていて、顔を上げられない。

 照れてしまってもじもじとしていると、ルイ様がおもむろに口を開いた。


「殿下のことは……、アル兄様と、呼ぶのですね」


 急にお兄様の名前が出てきてびっくりする。

「あ、そうですね、昔はそう呼んでて」

 何気なく答えれば、ルイ様は静かに頷いたあと、ぽつりと言葉を落とした。


「いいな……あ」


 思わずといった声色に、きっとルイ様の本心から出だ言葉なのだろうと思うと、わたしにできることなら何でもしたいという想いが出てくる。


「……る、ルー様……?」

「……!」


 噛んでしまったけれど、言えた、かな……?


 ルイ様は真っ赤な顔で私を見つめて、絞り出すように私の名前を口にした。


「ソフィー、様……」


 愛称で呼ばれた瞬間、身体中を温かい感動が包み込んで、ほわっと体温が上がる。

 

「な、慣れませんね! ごめんなさい、しばらくはルイ様とお呼びするかも!」

「お、俺もです。ぜ、善処します」

「あ、また『俺』って」

「お、お構いなく……」


 たじろぐルイ様がかわいくて、ふふふっと笑みがこぼれる。

 そんな私を見て、ルイ様も、幸せそうに微笑んでくれる。


 何気ない幸せを、この先もずっと一緒に、共有していきたい。


 未来の話を当然のようにできることに、胸が高鳴るのを感じる。


 きっと、私の薬指に優しい灯りがともる日も、そう遠くはないと思えた。


 私たちは穏やかに微笑みあって、幸せな未来に想いを馳せた。

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騎士様の素顔 夜星ゆき @Nemophila-Rurikarakusa

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