第48話 貴妃の恋煩い薬


「アンデ商会が作った流行……ハインエルフ社製の精油の動向を追えば、事件になる前に食い止めることができるかもしれない、ということになりますね」


 ユーフェドラはアルトバロンの見解に頷き肯定を示す。それからふと、視線を窓へと向けた。

 アルトバロンがその視線を辿ると、いつ、どうやって入ってきたのか、アクアマリンに輝く蝶がひらひらとこちらへ飛んでくるではないか。


「もうすぐ時間みたいだね。とにかく、僕の見立てではそろそろ黒幕が動くはずだ」

「……それは後宮で焚かれている獣人避けの量、それから第二王妃がティアベルお嬢様を呼びつける回数が比例しているからですか?」

「うん。あの獣人避けがのだとしたら。…………大丈夫、今日じゃない」


 アルトバロンは眉を寄せ、菫青石の瞳で疑り深く彼を睨む。


「来月、僕が隣国の式典に向かうに当たって、グレイフォードを護衛として連れて行くんだけれど、その期間中に、国王陛下と第二王妃が主催する舞踏会が王城で行われることになってる」


 ユーフェドラやグレイフォードが居ない時にわざわざ開催するのは、十中八九、第二王妃派の助言だろう。

 複雑な思惑が絡み合っているのが見て取れる。事に及ぶならその日だ。


「レグルスの婚約者探し、だそうだ。ティアベル嬢にもレグルスから招待状が届くはずだよ」

「…………そうですか」

「運命の女神が味方するのは第二王妃派貴族の令嬢たちか、レグルスか、それとも――君か」


 蝶を指先にとまらせたユーフェドラの、憂いを帯びたシュテルンの瞳がこちらを眺めている。

 アルトバロンは感情を削ぎ落とした表情で、その猫のような男を見返した。


「ふふっ、怖い顔だ。……舞踏会の日は、僕の息が掛かった者たちを国王陛下とレグルスの護衛に付ける。もちろん会場の警備は魔術師団と騎士団の精鋭部隊に任せるつもりだよ。メローナも居るし、癒師団にも急患に備えさせておく。……だけど、それだけで万全とは限らない」


 真剣な忠告を受け、アルトバロンは腰に下げているディートグリム公爵家の紋章が施された剣の柄を握った。


「ティアベルお嬢様のことはご心配には及びません。――彼女は僕が守ります」

「……そうだね」


 ふわりと、皮膚を撫でるように空気が揺れる。それを合図にアルトバロンも防音魔法を解いた。


「では失礼いたします」

「うん、またね」


 アルトバロンは冷徹な美貌に逸る気持ちを隠して礼をすると、ユーフェドラの部屋を足早に辞した。




 ◇◇◇



「なるほどね……。あのお誕生日パーティーに、そんな裏話があったなんて」


 無事にディートグリム公爵邸に帰宅したティアベルとアルトバロンは、ティアベルの部屋にこもり、お互いの今日一日の収穫を話していた。


 ソファに座ったティアベルは、アルトバロンが給仕した紅茶を飲みながら、「やっぱりアルトの紅茶が一番ね」と安心したように一息つく。


「……確かに、今日のアンデ夫人の様子も少しおかしかったわ。クレアローズ妃殿下のお部屋に焚かれていた香りに関する質問をしたら……そうね、誰かに怯えるみたいに震えてたの」


 今日あった出来事を思い出すように斜め上を見上げたティアベルは「うーん」と唸ると、「微かに感じる程度だったけれど、あの香りは絶対に〝フィーリア・ウィーティス〟だったわ」と考え込む。


「お嬢様が〝フィーリア・ウィーティス〟の香りを間違えるなんてありえませんね」


「そうでしょう? でもアンデ夫人は、『本日の香りは〝水蜜甘露〟と〝乳香〟の精油をブレンドしたものですわ』って、隠したのよね」


「乳香は一般的な精油や香水にも使われますから、自然なブレンドに見せるために使われただけでしょう」


(獣人避けの件から考えても、ハインエルフ社には特定の材料同士が魔法薬変化を起こさないようにして、同時に香らせる技術がある。つまり、その逆も容易ということだ)


 アルトバロンは長い睫毛の影を頬に落とし、軽く握った指先を顎に当てて思考の海に沈む。


「〝水蜜甘露〟と〝フィーリア・ウィーティス〟とくれば、精油には〝妃胡蝶〟の鱗粉が入っているはずです」

「……あっ! 〝貴妃の恋煩い薬〟ね? この間、ちょうどアルトの授業で出てきた範囲だわ!」


 ティアベルは「『東国魔法薬の歴史』の!」と、大きな真紅の瞳を輝かせる。


(こんな緊迫感のある会話の最中にも可愛いなんて、反則だな)


 王城からずっと張り詰めていた緊迫感が、彼女の微笑みを見るたびにスルスルと解けていく。

 アルトバロンは甘やかに目を細めて、ふっと優しく微笑むと、「その通りです。よくできました」とティアベルの真珠色の髪を撫でた。


「え、ええ、もちろん! 授業で習った範囲だもの、当然だわっ」


 彼女は頬を染めつつも、得意げな顔をする。


「残念です。覚えていなかったら、なにかお仕置きをしようと思っていたんですが」

「な、なにかって……?」


 アルトバロンはティアベルの長い髪を一房指先ですくうと、彼女を見つめながらゆっくりと梳く。


「そうですね……。膝枕とか」

「ひ、膝枕!?」


 ティアベルの長い睫毛が、ぱちぱちと驚いたように瞬きを繰り返す。

 真珠色の髪のせいか、はたまた雪のように白い肌のせいか、急激に赤くなった彼女の顔は、まさしく彼女の大好きな林檎のように真っ赤になっていく。


(……もしかしてお嬢様は、僕がすでに専門領域を教えていることに気づいていない?)


 一緒に過ごせる授業時間を少しも減らしたくなくて、アルトバロンは家庭教師が教えるべき範囲を終えている教科も、研究者が学ぶ専門領域へと範囲を広げて続けていた。


「ふふっ。ああ、可愛いお嬢様。困っていらっしゃるんですね」

「うぅぅ、困ってなんかいませんっ。膝枕くらい、いつでもできちゃうんだから!」

「それは楽しみです」


 アルトバロンは苦しいくらいに胸がきゅうっと締め付けられるのを感じながら、忠実な従僕の顔に戻る。


「お嬢様の言う通り、〝貴妃の恋煩い薬〟は古代東国の後宮で『政略結婚をした貴妃が皇后になるために使った』という謂れのある秘薬です。

 飲用した者が魔法薬ですが、果たして香りだけで同等の効果があるのかはわかりません」


 通常の〝貴妃の恋煩い薬〟は、ふたつの花の蕾と鱗粉を煮込んで完成する。

 一種の魅了薬だが、材料が希少で高価ななものばかりなため、上級貴族であっても作るのは難しい。

 だが、王国随一のアンデ商会なら、ハインエルフ社にオーダーすることも可能なはずだ。


「〝妃胡蝶〟の鱗粉の成分は純金と同じです。そうと知らなければ、純金として簡単に混入できるでしょう」


「それにもし混入がバレても、〝貴妃の恋煩い薬〟ならただの魅了薬じゃないから、『第二王妃殿下と国王陛下のますますのお幸せを願って』って言えば済むわ。

 ……だけど変ね? どうして強い獣人避けに隠して、〝貴妃の恋煩い薬〟を?」


 ティアベルはそう言って、首を傾げた。


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