第二話「ふしぎな人、生きるってなに?」

***


それから十日が過ぎても月冴は顔を見せなかった。



(変なの。お腹が空くこともないなんて)


生贄として出されたが、本当はすでに死んでいるのではないか。


虚無感への向き合い方を見つけられないまま、寝ころんで畳の目を数えるくらいに暇を持て余していた。



部屋に籠もりきりだと本当に生きている心地がしないので、時折襖を開けて縁側に腰かける。


部屋から眺めることの出来る庭では、手水鉢に流れる水の音や風が木々を撫でる音がした。




静かすぎる日々を打ち破ったのはドスドスとした大きな足音。


縁側に触れた指先から感じる振動と、音の間隔。



(強い音。機嫌が悪い?)


その場に正座をして待機すれば、月冴が険しい表情をして少女の前に現れた。



(何か悪いことでもしたかな?)


機嫌の悪そうな顔に少女はボーッと首を傾げる。


ずいぶんと荒々しい足音だった月冴の足元を眺めると、上からひんやりとした手が少女の頬に触れた。


力加減を知らない手に少女は眉一つ動かさなかった。



「お前、逃げなかったのだな」



月冴の言葉に少女はキョトンとする。


「あやかしの贄にされたとわかったら怯えて逃げ出すものだろう」


何も理解しない少女に月冴の口調が荒くなった。



少女は”そういうもの”と認識し、怯えた素振りをみせる。


その人まねが月冴には不愉快だったようで、眉をひそめて睨まれてしまった。



「ここは人の生きる場所ではないんですよね? だったら逃げません」


「それは冷静に言ってか?」


「私に帰るところはありませんから。……十日も経てばさすがに知らない場所とわかります」



しょせん、養父に捨てられた生贄だ。


少女が逃げ出せば、月冴が村を滅ぼす可能性も否めない。


簡単に滅ぼすことが出来ると感じさせるほど、月冴からは圧倒的な強者のオーラが漂っていた。




少女は生贄となることに悲しさはあれど、諦めるのも早かった。


その歪さは月冴には不可解なようで、しかめっ面に少女の腕を引くと庭に出て、高下駄をカラコロと鳴らした。


「ずっと部屋にこもっているだろう。庭は眺めるのも良いが、歩いてみるのも良い」



あれほど冷たかったのが噓のように言葉がやさしかった。


あたたかな音色に少女が顔をあげると、光の粒をまとう美しい髪と、涼やかな横顔に魅入ってしまった。


月冴が視線に気づいて振り返ると、恥じらって慌てて目を反らす。


その先に見えた庭の全貌に少女は息を呑み、感嘆の息をついた。



「キレイ……」


松の木、石畳の道、流れる水、木の橋。


隅々まで洗礼された光景には見たこともない花がある、


(季節がないのかな? いろんなものが混ざってる)


季節を問わない虫や鳥、池には紅白や金などの鯉がゆったりと泳いでいる。


橋の上から池を覗き込むと、鯉が口をパクパクさせながら近づいてきた。



(かわいい……)


山菜採りに野菜づくりと決まった日々を送っていた少女にはすべてが新鮮に映る。


草木の生い茂る自然もよいが、こうして趣のある計算された空間もよい。


自分にちゃんと好ましさが存在することに胸を撫でおろした。



「美しいだろう」


ワクワクする少女の心を読んだかのように月冴が代弁する。


「はい。それはとても」


生命力を感じて草木からも呼吸が聞こえた気がした。


月冴は「ふっ」と微笑むと、赤い橋の手すりを指でなぞった。



「私には持て余す庭だ。好きにすればいい」


その横顔はうら寂しそうで、少女はかけるべき言葉がわからなかった。


見つめるだけでいると、月冴は困り果てた顔をして少女に問いを投げる。



「お前の名は?」


一瞬にして現実に引き戻される。


餌をもらえないとわかって離れていく鯉を目で追いながら、気まずさに首の皮を引っ掻いた。


「名はございません」


率直すぎる回答に月冴の眉があがる。


「ないだと?」


「はい。名をつけてもらう前に両親は亡くなったそうです」


まるで他人事のように淡々と語れてしまう。


「養父からも名前をいただいていないのです。ずっと"名無し"と呼ばれておりました」


名前があれば自分の所在がわかるかもしれない。


叶わなかった夢に駄々をこねても致し方ないと、嗤うしかなかった。



「怒らないのだな」


月冴が手をのばし、乱れた少女の髪をすくって耳にかける。


「怒る?」


指から体温に少女は頬に熱が集中するのを感じた。



「いや、いい」


追及はしまいと言葉をひっこめ、月冴は少女から大股に歩いていく。


少女は月冴の背に手を伸ばそうとして、すぐに手を下ろす。


この手が伸ばしたかったのは違う背中だと虚しさに落ちこんだ。



「好きに生きろ。私も少しばかり見てみたくなった」


「月冴さま……?」



風の向かった先に、いじわるな笑みを浮かべる月冴がいた。


袖をあわせて微笑む姿は何度でも魅入ってしまい、胸が焦げそうだ。



(わからないけど、今は追いかけてみたい。いいのかな?)



これも期待の一種だろうか。


いつ月冴に見捨てられても平気でいられるように予線をはり、高鳴る旨を抑えて月冴のもとへ駆けた。

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