名前のない贄娘〜養父に売られた私に愛を教えてくれたのは孤独なあやかしでした〜

泉花

第一話「捨てられた女の子」

それはあまりに少女の孤独を浮き彫りにする出来事だった。



少女は村から少し離れた山の麓に暮らしていた。


両親は少女が生まれてすぐに亡くなったらしく、顔馴染みという男に育てられた。


酒飲みでろくに働きもしない男であったが、育ててもらった恩を返そうと少女はせっせと働いていた。



「おじさん、ただいま戻りました。今日はいっぱい山菜がとれ……」



採れたての山菜を使っておひたしでも作ろうと考えていたが、戻ってすぐに籠が手から落ちた。


いつもぐうたらしている養父が珍しく身だしなみを整え、来客の男二人と話している。


「おじさん、この人たちは……」


突如、少女は男たちに拘束され、困惑のまなざしを養父に向ける。


返ってきたのは養父の冷笑と、侮蔑の言葉だった。



「お前とは今日でお別れだ」


「何を言っているんですか? この人たちは誰ですか?」


「今後はおめぇの面倒を見てくれるってよ。ったく、大した金にもならねえから大損だ」


「だっ……だから何を言っているんですか? 意味がわからないです……!」



見つめ続けた養父の背が遠ざかる。


ずっと振り返ってくれない背中を追って、名前を呼んでもらえると期待していた。



(なんで? 私にはここしかないのに。なんで……)


何もかもが壊れていくなかで、最後に養父が見せたのは下劣な笑い。


懐から金銭の入った麻袋を取り出して、少女に見せつけるかのように床に置いた。



「……嘘。おじさんは私を売ったりなんかしない。違う、違いますよね! ねぇ……!」



欲し続けた答えを得ることもなく、腹を強く殴られて頭の中がチカッと光った。


強い衝撃に視界が横線を引いて、膝が折れて前に倒れていく。



(そっか。私ははじめからこのために……)


養父に捨てられたと痛感し、少女は心が冷めていくのを感じながら目を閉じた。



***


目を覚ますと知らない部屋で、清潔な布団に横になっていた。


身体を起こしてまだ痛む腹を擦りながらあたりを見渡し、行燈の灯りに時間の経過を知る。


あいまいな現実に、行燈の灯りのように生きる力が弱まっていると感じていた。



「起きたか」


落ちついた低音の声に顔をあげると、閉ざされていた襖が開く。


灰色の着流し姿に、艶やかな顔立ちの男性。


蒼玉色の瞳に少女の姿を映せば眉根を寄せ、疑念の色をにじませた。



「……はっ」


少女の顎を掴むと顔を近づけ、鼻で嗤って少女の肩を突き飛ばす。


乱暴な扱いに抵抗する力も出ず、少女は男に押し倒されて虚ろな目を向けた。



「めずらしいものだ」


「えっ?」


「どうしてやろうか。生きた贄ははじめてでな。わかりやすく煮て殺すか、引き裂いてしまおうか」



男の発言に異常さを感じ、少女は不安と諦めの板挟みに消え入りそうな声を出す。



「わかりません。何を言っているのですか?」



養父に捨てられたことは夢ではなかったようだ。


男の言葉を拾えば、生贄としてどこか不思議な世界に投げ出されたと把握できた。



(この人は誰? 私は……)


疑問が浮かんでは消え、糸が切れたかのように深い息を吐く。


最も不鮮明と感じていたのは自分の所在だった。



(捨てられた。それ以外何でもないんだ)



一度たりとも自分に実感を持てたことがないので、生贄にされた恐怖よりもあきらめの方が大きかった。



「お前は育ての親に贄として売られた」


「そう……なんですね」



大した興味もなさそうに返事をすれば、男は目を丸くし少女の肩を押すと指で顔の輪郭をなぞった。



(冷たい)


この手は少女に触れて何も思っていない。


お互いに空虚のため、少女は生贄の顔しか表に出せない。


二度と振り向いてほしい人の背を見ることも、振り返った顔が笑いかけてくれることもないと心が凍てついた。


「ここまで辿り着くまでに世界が変わる圧力に負けて死ぬ。お前は例外のようだが」



愛想のない声に少女は物寂しくなり、男に手を伸ばしてみた。


どうせ食われてしまうのならば、誰に見られたかを知って消えたい。



「あなたは誰ですか?」


これはあきらめと、わずかな興味だ。


男の目が驚きに満ち、一瞬のためらいの後、温度が下がる。


美しい顔がさみしく見えるのは、他の人にとっても同じだろうかと少し興味がわく。



「人間は私を土地神と勘違いしているようだ」


「土地神様……?」



少女と生贄の意味が繋がった。


山のふもとから歩いて四半刻(15分)ほどの場所に大きな村があり、凶作に悩むと生贄を差し出す風習があった。


洞穴に石棺があり、生贄を寝かせれば人知れずに消えていく運命をたどる。


棺に生贄を置いた瞬間に外に弾かれるので、誰一人生贄の行く末を知らなかった。


それが土地神様に生贄を送れた証明として、祈りが届くと歓喜に舞いあがっていた。




(少しはお金になったのかな。おじさん、ちゃんと生きていけるかな)



捨てられたとわかっていながら思うのは養父の後ろ姿。


傷ついたはずなのに、嫌いだと断言できない虚しさに目を閉じた。



「お前、泣かないんだな」



男に手を掴まれ、少女は目を開くと視線を滑らせて白い肌を見る。



(キレイな手。私と大違い)



野草をとってかぶれて腫れたこともあった。


ぐうたらな養父を支えるために畑仕事にも勤しんできた。


冷たい水で手を洗えばあかぎれに染み、そっと手を擦り合わせた。


そうして男の美しさに飲まれていると、男はクックと喉を鳴らしておかしそうに目を細める。



「月冴(つきさ)だ。そう呼ばれることが多い」


「月冴……さま?」


それだけの響きに胸が高鳴った。


少女が持たない固有名詞。


耳にスッと入ってくる響きに月冴は鼻で嗤ってから立ち上がる。


裸足で大股に部屋を出ると、振り向いて一言「生かしてみようか」と呟いた。

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