第32話 真相

『ここは? またこの感覚か・・・』


 綾は、閃一に一撃を貰った時と同じような感覚に陥っていた。あのふわりとした感覚だ。

 間もなくして、また何らかの景色が見え始めた。


『今度は何・・・って、閃一!?』


 綾の前にぼんやりと浮かんできたのは、幼少期の閃一だ。この時は、まだ閃一と綾の父親は生きており、深月村は平和そのものだった。


 次に綾の前に浮かんできたのは、少年期の閃一だった。

 今彼女の目に移っている彼は、ハンターになるための修行を始めたばかりの頃の姿をしていた。


「俺は、村だけじゃない。綾を、彼女の父親の代わりに守ってやるんだ!」


 閃一は固く決心していた。村を守るという意思は強かったが、それ以上に、綾を守るという意思の方が固かった。彼は自分と綾の父親の背中を追いかけ、固く目標を掲げている。


『閃一・・・あなたはずっと明るくて頼もしくて、とても安心できる存在だった。・・・ってダメ!コイツは私を裏切ったんだから・・・!』


 場面は変わり、閃一と綾はハンターとなっていた。

 この時の二人は、しばらく故郷に帰れていないため、故郷の恋しさを噛み締めていた。


「ハンターになったはいいものの、やはり忙しいな~。綾は過労とかには気をつけろよ?」


「大丈夫だって~。ていうか、閃一もそうじゃない?」


「確かに俺が倒れたらお前を守れないからな。あ~、早く村に帰りてぇ~」


 そしてその直後に受けた依頼はモンスターの討伐であり、二人はその地へと赴いていた。この依頼は比較的簡単であり、特に問題も無く終わるだろうと二人は思っていた。

 しかし、閃一が戦いの最中に投げた槍が、綾の肩を掠めてしまうというアクシデントが発生した。


「すまない綾!!怪我は・・・?」


「これぐらい平気だよ」


 幸いなことに、ちょっとした切り傷が付いただけに止まり、問題は無かった。


「別に、あれは私が周りを気にしなさ過ぎて・・・って、どうしたの?」


「・・・!ああ、何でも無い!小さな傷だけど、手当はしっかりしておこう!」


 閃一は綾に傷を負わせてしまったショックで放心していたのか何なのか、一点を見つめてボーッとしていた。

 そしてはっとして綾の肩に包帯を巻き始めた。その手つきは少し焦っており、少し乱暴に感じた。


「(・・・でも好き)」綾は心の中で思った。そう思った時、傷の手当が終わった。


「よし、終わりだ。念のため早く帰って病院で見て貰おう」


「うん、分かった」


「(何だったんだ・・・?今の感覚は・・・)」


 閃一は、初めての感情を感じており、少し戸惑っていた。

 そして二人は陽華村へと帰っていった。


『・・・どうしてこんなものを見せるの?』


 さらに日は変わり、二人は一日だけの休日を家で過ごしていた。

 ちなみにこの時の二人は、お互いが抱いている恋愛感情を表に出すことが出来ず、悶々としている時期だった。


「綾、そこにある紙を取ってくれないか?明日の依頼を確認しておきたくて」


「折角の休日なんだし、もうちょっとゆっくりすればいいのに~。まあ取るけどさ」


「ちゃんと休んでるさ。なら、一緒に確認しようぜ」


 そして綾は閃一に頼まれた紙を差し出した。

 意外にもそれを取る時の勢いが強く、綾は指を切ってしまった。


「痛っ!」


「あ、すまん!何か手当を・・・」


「これぐらい大丈夫!こんなミス、誰にだってあるよ」


「ありがとう・・・。(何だ・・・またあの感覚が・・・)」


 閃一は再びあの時(槍を綾の肩に掠めてしまった時)と同じような、よく分からない感情が彼の胸に浮かんでいた。何かが胸を掴んで締め付ける感覚と共に、得も言えぬ開放感があった。

 彼は、綾の紙で切った傷から、目が離せなかった。


 さらに時は流れ、閃一は綾とに来ていた。それは、閃一が綾に告白をした場所だ。

 綾が見た記憶と同じように、閃一は綾に告白し、二人は接吻を交わした。

 そして二人の唇が離れると、綾は顔を赤らめて、今の想いを口にした。


「・・・幸せだね」


 綾と同じく、閃一もまた幸せであった。


「ああ・・・そうだな・・・」


 しかし、彼の心にはまた、よく分からない感情が湧き上がっていた。少なくともこれは、頬を赤らめている最愛の人の姿を見て浮かんでくる感情では無い。何か不幸を撒いてしまうような感覚だ。

 その感情を必死に押し殺し、綾への愛で塗りつぶそうとした。しかし、そんなことが綾に伝わる筈も無く、彼女は閃一の目を見て言った。


「ねえ、もっとしよ・・・?」


「ああ、まだ足りないよな」


 そして再び唇を重ねた。さっきのものより深く、濃厚なものを交わした。すると突然、閃一の中にが湧き上がった。閃一はその衝動を抑えようとするのではなく、素直に従った。

 彼女の舌が、閃一の口に触れようとした時――


「痛っ!!」


 綾が軽く突き飛ばすようにして閃一から離れた。

 なんと閃一は、綾の舌を噛んだのだ。彼女の舌からは血が出ており、痛そうに涙を流している。

 綾のその姿を見て、閃一の中にある“よく分からない感情”が満たされていった。彼女から流れる血が、涙が、閃一の何かを埋め尽くしていき、この感情が何なのかを少しずつ浮き彫りにしていった。満たされいっても、完全に満ちた訳では無く、また新たな衝動が彼の内より溢れてきた。

 それでも、閃一は涙を流す綾を見てその衝動を必死に堪えていた。


「・・・っ!ごめん、綾!初めてで、その・・・緊張しちゃって・・・」


「もう、痛いじゃん!でもまあ、閃一だから許すよ」


 綾は傷つけられながらも、笑顔で彼を許した。


 しかし閃一は、自分自身の中にある“衝動”が何なのか分かってしまった。その“衝動”とは「綾を傷つけたい」という衝動だったのだ。だからといって、何故傷つけたいという風になったのか、これだけはまだ分からなかった。


 その後の二人は、夜が明けるまで愛し合った。

 でもその最中の彼は、綾を傷つけたいという衝動を抑えながら、彼女と愛し合っていたいという想いの狭間で苦しんでていた。


『まさか、彼はこの時から何かを抱えていたの・・・?』


 翌日から、長期間の別行動が始まった。そして閃一はただ一人で淡々と依頼をこなしていった。それと同時に閃一は、自分の中に湧き上がっていた“よく分からない感情”が一体どんな感情なのか、それに悶々とする日々を送ってた。

 そしてその依頼の最中、


「はあ、今日の分は結構キツかったな~。さっさと戻って、明日に備えないと。・・・誰だ!?」


 突然、後ろから何かが近づいてくるのを感じた。聞こえてくる足音から、その正体は人らしきものだと推測し、その方向へ振り返った。

 そこには、フードを深く被り、歪な槍を背負っている女が立っていた。


『この女・・・一体誰?どうして私に見せる必要なんか・・・』


「・・・ほんとうに誰だ?どうしてこんな所に一人でいるんだ?」


 閃一はその怪しげな風貌の女に向けて槍を構えた。


「いきなり現れて悪いね。別に殺そうとかしている訳じゃないから、そんなに警戒しないでよ」


「そんなこと言われて警戒しない奴なんて、あまり居ねえだろ。だから答えろ。お前は誰だ?そして、どうしてこんな所に現れた?」


 女はやれやれといった様子で槍を地面に突き刺し、閃一に向かって話始めた。


「私がこんな所に来た理由は、もちろんあんたに会うためだよ」


「俺に会うため・・・?」


「正確には、あんたの中にある“渇望する心”かな」


 女は閃一の胸を指さし、意味の分からない言葉を発した。

 勿論、閃一は全く理解出来ておらず、呆気に取られていた。


「か、渇望・・・?心?何だそれは?」


「どう説明するべきか・・・。そうだね・・・あんたは最近、何かよく分からない欲望や渇望を感じたことは無い?」


 閃一は心当たりがあった。綾を愛すること、故郷を守ること、それら以外に無いと思っていたが、これらよりも引っかかるモノがあった。それは――

 

 綾を傷つけようとしたことだ。彼はなによりも“よく分からない感情”が引っかかっていた。


「・・・!」


「何か思い当たる節でもあったみたいだね。話してくれない?」


「・・・断る」


 閃一は拒否した。自分の中に湧き上がっていた“よく分からない感情”を口にしてしまったら、もう元の自分には戻れない気がしたからだ。


「何で・・・って言ってもダメそう。手っ取り早く行こうかな」


 そう言うと女は閃一に詰め寄り、彼を組み伏せようとした。


「正体を現したな!俺に触るんじゃねえ!」


 閃一はすぐに武器を振りかざして応戦しようとした。

 しかし、女の力は人間離れしており閃一は簡単に組み伏せられた。


「ぐあっ・・・!これが人間の力なのか・・・!?」


「じゃあ早速・・・ムムム・・・」


 そして女は閃一の頭に手を置いて、掴んだ。握る力が強く、閃一の頭は割れそうになる。


「は・・・離せ!!!」


「そんなに暴れないの。 ・・・これは、成る程ね」


 女はそう言うと手を離し、閃一を離した。

 閃一はとっさに女から距離を取り、武器を再び構えた。


「な・・・何をしやがった!?」


「あんたの中にある“渇望の心”を読んだの。じゃあ何なのか、言ってあげようか?」


「さっきから何のことなのかさっぱりだ。言ってみろ」


「あんたの中にある“渇望の心”は・・・あんたの幼馴染みを傷つけることだね」


「・・・!」


 閃一の引っかかっていたものが、見事に的中した。願わくば、それでは無いことを祈っていた。

 さっきから胡散臭い話しかしない女だが、閃一の内に秘められるものを的中させたことにより、女の発する事に信憑性が宿った。


「あんたの過去もどうじに見えたけど、この渇望が芽生えた時はその幼馴染みを始めた傷つけた時みたいだね」


「・・・やめてくれ」


 女は淡々と話し続けた。

 閃一が誤って綾に槍を投げてしまい、その槍が彼女の肩を掠めた時に女の言う“渇望の心”は芽生えたそうだ。そして、閃一が雑に紙を取ったせいで綾が指を切った時、“渇望の心”は再び姿を現した。

 この渇望の心は、閃一の中で着々と広がり続け、ついには綾と愛し合っている最中にも、それを満たそうと出てくるようになった。彼が綾を傷つけることでその渇望が満たされるのにも、理由があった。

 それは、彼が故郷である“深月村を守る”という使命を一時的に忘れられるからである。


「俺が・・・故郷から離れたがっているだと・・・」


「そうよ。あんたは自由を望んでいるんだよ」


 閃一は父親を失ってから、故郷を、そして綾を守ろうという使命を持った。それは紛れもなく、自分の意思で自分の心に宿したものだ。そして閃一はその使命を全うするために生きてきた。

 しかし、彼がほんとうに “望んでいる” ことは、彼が “果たそうとする” こととは違い、「自由になること」だったのだ。

 彼は綾や故郷を守りたかったのでは無く、守らなくてはいけなかったと “思い込んでいただけ” だったのだ。

 村を守護する者が居なくなったら、次に村を守護するのは誰になるのか?幼い頃の閃一はそれを拡大解釈してしまい、あたかも次世代である自分が守らなくてはいけないと勘違いした。そしてそれが彼の “使命” となった。

 心の底から望んだことではないため、彼は気付かぬうちに、次第にその使命に忌避感を感じ始め、自ずと自由になることを渇望し始めていたのだ。


 だからこそ綾を傷つけることで、自分がその使命から遠のく感覚を得ていた。自由になりたい身に、この感覚は忘れがたくなるのは仕方無いことだ。


 利他的な使命、利己的な渇望。彼はその狭間で、渇望を満たすことに快感を見いだしていた。


「嘘だ・・・そんな・・俺は、故郷を、綾を守りたくて・・・!それが本当なら今までの俺は一体何だったんだよ・・・!」


「嘘じゃ無いよ。でも、綾って子が好きなのは、心の底からの感情だよ。いつの日かその使命に耐えかねたときは、またここに来るといい。そうすればあんたは――」


 そう言い残して、女は消えていった。突然現れ、人の心を勝手に覗き、かき乱していった。


『閃一は・・・自由になりたかったの・・・?村のことなんて放り出そうとする素振りなんて、彼は一度も・・・』


 そこからの展開は、綾も見たことがあった。自分の中に秘められた “使命” と “渇望” を同時に満たし、果たすために、ハンターとして功績を挙げ、自分勝手に綾を傷つけていった。

 しかし、彼自身でも不自然なほどに、自分の性格が攻撃的な渇望を満たすための性格へと変貌していった。


 そしてある日、幻龍と対峙した。勝てないと判断した閃一は、綾を放り出して一目散に逃げていった。


 逃げ切った閃一は、深月村を訪れていた。恋人である綾を置き去りにしたというのに、彼の心に罪悪感は無く、逃げ切った安心感と開放感だけがあった。

 彼は疲れ切った様子で家に帰宅した。


「ただいま」


「・・・閃一!?どうしたの突然!?」


 驚いているのは閃一の母親だ。

 実に数年ぶりの帰宅だった。二人が功績を挙げるにつれて依頼が立て込んできて、帰る暇も無かった中の、突然の帰宅だった。


「帰ってくるなら連絡ぐらいしておいてよ!ていうか、綾ちゃんは?一緒に帰ってるの?あの子にも会いたいんだけど」


「いや、あいつは帰ってきてない。今はあいつだけ忙しいみたいなんだ」


「え、そうなの?」


 そして閃一は家でゆっくりと過ごした。


『ここから、どうして村を燃やそうとなんてしたの・・・?』


 すると、閃一に彼の母が言った。


「あんた、こんなに立派になってね・・・。父さんも浮かばれるわ」


「ああ・・・そうか」


「何よそんな反応。・・・でも、これからも村をよろしくね」


「ん・・・」


「皆感謝してるわよ!父さん達の代わりに使命を引き受けてくれて――」


「うるせえ!!!」


 閃一は突然叫び、母の顔を殴った。彼の母は頬を押さえながら、彼を驚愕の表情で見つめている。


「何してんの・・・?私何か変なコトでも言ったかな!?」


「そうやってどいつもこいつも使命だの何だの言いやがって・・・!!いい加減うんざりなんだよ!!!」


「閃一やめて――!」


 閃一はかつて無いほどの破壊衝動に襲われ、自分の母を手に掛けた。

 もはや自分の性格の変貌ぶりが気にならなくなっていた程に、彼は別人になっていた。

 彼は使命から解放されるため、村を破壊し尽くした。


「ハハハハ!!あのフードの女、俺に何かしやがったな!?気持ちが良いぐらいに欲が溢れてくるぜ!!」


 そして決別を果たすために、最後に残った綾の母を手に掛けた。そこに駆けつけた綾の姿など、閃一の眼中になかった。


『どうしてここまで変貌してしまったの・・・!?いくら理屈を積んでも、おかしすぎる・・・!』


 閃一は故郷を自らの手で滅ぼし、当てもなく彷徨っていた。彼は住処を失った。しかし、自らの渇望に身を任せた行いの代償なのに、彼は罪悪感を感じるどころか清々しさを感じていた。


 使命を投げだして自由を手にしても、彼に居場所はない。自由を収める場所の無い閃一は、どこかの辺境の森林に居た。


 彼は以前、こう言われた。


“いつの日か、使命に耐えかねたときは”


「ここに戻ってくることになるとはな。・・・俺はこれから、何をして生きていけば良いんだ・・・?自由って一体――」


「自由が欲しいから大切なモノを手放すなんて、果たしてそれは自由なのかな?」


 突然聞こえた声の方を振り向くと、以前会った謎の女が立っていた。女は相変わらずフードを深く被っているが、不気味な笑みを浮かべていることが窺える。

 そして驚いている閃一の方を見て続けた。


「やはり耐えきれなかったんだね。いいよ、あんたに施しを与えてやろう」


「・・・結局、お前は何者なんだ?本当に自由は手に入んのか?」


 すると女はフードを脱ぎ、素顔を露わにして言った。


「何者かに関しては、着いてから明かすよ。でも安心しな。“自由” はすぐそこにあるよ」


 そして閃一の意識は途切れ、暗闇へと落ちていった。


 ここで記憶は途切れている。


――――――


 綾は再び虚無の空間に残された。


「結局、この現象は何なの・・・?前にも同じようなこと・・・。死人に一体何を見せようとして――」


 綾があの記憶を見せられた理由を考えていると、突然後ろから声が聞こえた。


「よお、綾」


「・・・その声は!」


 綾と同じくこの虚無の空間に、閃一が立っていた。

 彼女は警戒したが、今の閃一の表情は彼が豹変する前のような柔らかな表情を浮かべていた。


「閃一・・・あなたは何を今更・・・」


 そして閃一は突然現れた上、突然話をし始めた。


「今この空間に俺達がいるのは、アセロンという男がお前に俺の血を飲ませたからだ。だからこうして話せているんだ」


 アセロンは、綾に閃一の血、幻龍と異形の血、そして自身の血を取り込ませた。そして、閃一は人外の身であるために彼の血液は未知の領域に達した物質だ。この彼女の意識内に創られた虚無の空間、流れていく閃一の記憶は全て、閃一の血液の起こした現象だ。


「先ずは謝らせてくれ。俺が本当に望んでいたことを話さなかったこと、自分の欲に任せてお前を好き放題したこと、何より・・・故郷を、お前の家族を、綾を見捨てたこと・・・。さらには自分の目的のためだけに、お前の愛弟子まで手に掛けてしまった・・・。本当にすまない」


 閃一は頭を深々と下げ、綾に謝罪した。その様子は、豹変する前の閃一と同じだった。綾の閃一に対する警戒心は徐々に薄れていった。


「・・・もういいよ。今までやって来たことは許されるべきじゃ無いし、許したくも無い。けど、あれだけ生を共にしてきた私が気づけなかった・・・肝心の時に守ることが出来なかった私にも、多少なりとも落ち度はあるよ」


「だが・・・!」


「申し訳ないと思うのなら、謝らずに私の質問に答えて欲しい。・・・お願いできる?」


「ああ、なんでも答えるさ」


「あなたが豹変した理由は分かってるけど、いくら何でも豹変しすぎじゃない?どうしてあそこまで変わってしまったの?」


 閃一は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。綾を傷つけた日々を思い出したのか、視線を落としている。


「言い訳らしく聞こえると思うが・・・初めてあの謎の女に会ったとき、何かされたんだ。そのせいで、あの時から自分の感情をコントロール出来なくなって、衝動に身を任せるようになってしまったんだ。でも、人格改変の類いではなかった筈だ。こんなので納得できたか?」


「・・・あの女があなたの感情や性格に何か手を加えたのなら、あの豹変ぶりも頷けるけど・・・すぐに納得はできそうにないかな。でも奴らならそんな事が出来てもおかしくは無い・・・。あともう一つ、あの女と共に行った後何があったの?」


 閃一の表情は以前悪いままだ。それでも閃一は答え始めた。


「悪いが、あの後の記憶が殆ど無いんだ。あの女や、俺が何をされてあんな怪物みたいな力を手に入れたのか・・・。あのアセロンという男が求めるような記憶は全て失われているんだ」


「なんて都合がいいこと・・・」


 その通りだ。あまりにも都合が良すぎる。

 その後も何を覚えているのか聞いたが、結果的にあの女は何者なのか、あの力を得ることができた理由、閃一の “渇望” を知っていた理由、そもそも何故閃一が目をつけられたのか・・・。話し甲斐が全くと言って良いほど無かった。


「あ、霧尾さんの姿なら、一部だけ記憶の中にあるぞ・・・!」


「嘘でしょ・・・!?」


 霧尾とは、陽華村の元教官であり、ミラとレオの師匠でもある。勿論、綾達もお世話になっており、村では温厚な人柄で人気があった。

 しかし、現在は何らかの理由で行方不明になっている。


「姿だけ・・・?」


「すまない・・・本当に何も思い出せないんだ」


「仕方無いか・・・。でも、何か裏があるという推測は確実になったね」


 すると閃一は何かを思い出したかのような表情を浮かべ、上を指さして綾に質問した。


「・・・なあ綾、お前は “神” の存在を信じるか?」


「また神・・・?」


「なんだ?他にも聞いてきた奴がいたのか?」


「うん、一度だけ」


「・・・そいつの事は心に留めておいた方がいい・・・気がする」


 そして綾は閃一の神に関する質問に答えた。


「神は・・・居ないに決まってる。居るならあなたと私は、こんな事にはなっていない筈よ?」


「そうか・・・それがお前の答えか。別に気にしないでくれ。突然聞きたいという衝動に駆られただけなんだ。俺もよく分からない」


 そして二人の間に沈黙が訪れた。すると、閃一が先に口を開けた。


「綾、もうそろそろお別れみたいだ。・・・お前は目覚めると良い」


「そう・・・。じゃあこれでおさらばね」


 そう別れを告げ、閃一は後ろを向いて歩き出した。


 しかし、綾の心には彼が残っていた。

 そして綾は離れていく閃一を追いかけ、彼の腕を掴んだ。


「私・・・あなたにあんな酷いことをされて、挙句には殺されかけた・・・。それなのに、あなたの事がまだ好き・・・愛してるの・・・!」


 すると、閃一は綾に抱きついた。


「ごめん・・・!ごめん、綾・・・!本当に弱いのは、俺の方だった・・・」


 彼は涙を浮かべていた。それと同時に綾の目頭にも涙が浮かんだ。


「ううん・・・、最期にあなたと話せて良かった・・・。お陰で、私はあなたを愛したまま、あなたと別れられる」


「・・・綾、俺を愛するのは・・・もうここで終わらせてくれ」


「どうして・・・!?」


「お前にはまだ未来があるんだ。俺のことは割り切って、自分のことだけ考えて生きてくれ・・・」


「そんなこと、出来るわけないよ・・・」


「お前にはまだ、レオとミラが居る。それに新しい仲間だって出来たじゃないか。気にするなら、今居る仲間のことを気に掛けてやってくれ」


 綾は閃一の胸の中で泣いていた。いつしか閃一の涙は止まっており、綾を強く抱きしめている。


「お別れまでもう時間が無い。これで本当にお別れだ・・・」


「嫌だ・・・やだよ・・・もっと一緒にいようよ、閃一・・・」


 二人の間を裂くように、虚無の空間に光が差し込んだ。


「大丈夫だよ。・・・俺は、自由を手に入れても、求めていたような居場所はなかった。でも、今気づいたんだ。俺の居場所は綾いるところだったんだ・・・って」


 二人に別れの時が訪れた。無理矢理引き剥がされそうになり、綾は閃一の腕掴んで必死に抵抗した。しかし、その手はいとも簡単にすり抜けてしまった。


「だから、俺はこれからも綾と――」


 孤独で暗い夢が覚める。


 その夢の中に一筋の光が差し込み、綾を後ろから照らし、彼女が流されて行く先を、強く美しく照らしている。

 綾はつらい思いをしてきた。裏切られ、奪われ、そして自らの命までも傷つけられた。それでも、根底にある想いまでは変えられなかった。愛情とは、表面をえぐり取られても愛が深ければ深いほど、その抉られた傷など些細なものになる。


 これからも辛い思いをすることがあるだろう。そしてその辛い思いの先には、果てしない “虚しさ” が待っているかもしれない。それでも、再び歩みを進めなくてはならない。その先に何が待っていようと。


 でも、一つだけ分かることがあった。

 この夢から覚めた先に、希望はあるということが。


 まるで、この虚無の中に差し込む光が、綾の歩む道を強く照らすように――


――――――


 朝になった。

 柔らかな朝日が病室に差し込んでその訪れが知らされる中、一人の看護師が綾の部屋に入った。

 そして、看護師はそこで自身が目にした光景に、思わず息を呑んだ。


 ベッドに横たわって衰弱していたはずの綾が、体を起こしていたのだ。

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