第184話 町田所長からの呼び出し

横浜第三ダンジョン支部のロビーは、いつもより空気が重かった。


探索者も職員も、足音だけはいつも通りなのに、声が低い。雑談が消え、必要な連絡だけが短く飛ぶ。壁際の大型モニターには、同じ話題が形を変えて何度も流れていた。


A.B.Y.S.S建国宣言――太平洋のど真ん中に出現した島を領土として、探索者のみの国を設立した、というそれだけで特大ニュースなのにも関わらず、そこですでに戦争が勃発している映像を見せつけられたのだ。多くの人間にとってセンセーショナルな事件に違いない。


剛志は腕を組んだまま、画面に映る島影を見つめる。

島の輪郭の周囲だけ、海の色が妙に揺れていた。映像のノイズではない。専門家のテロップは、そこを「領海・領空を含めたダンジョン空間化の疑い」と表現していた。


「……マジで国作ったんだな」


隣で臼杵健司がぼそりと漏らす。

剛志と臼杵の二人、その間にイチロイドの一体。さらに少し離れた位置に、宮本万葉と宮本百花が並び、同じモニターを見ていた。


百花は口元を押さえ、目だけで画面を追っている。


「ダンジョンに潜ってる間に、世界が勝手に進んでたってことか」


臼杵の言葉に、剛志は小さく頷いた。

ダンジョンの中では外の時間が遠い。出てきた瞬間に現実が追いつき、今は逆に現実が追い越していく。


万葉が淡々と情報を整理するように言う。


「建国宣言だけじゃないわ。各国の対応が分かれ始めてる。いま一番強硬なのは……アメリカね」


「アメリカ?」


剛志が聞き返すと、万葉は画面の右下に流れる速報欄を指で軽く示した。


「ギデオンの出身国。世論も過激よ。探索者は脅威、管理しろ、武装集団の国家化は認めない……そういう声が大きい」


臼杵が鼻で笑う。


「まあ、ながらく脅威となる国はいなかったからな。自分たちに明確に敵対しているテロ組織の国家なんて認められるわけがないわな」


万葉は肯定も否定もせず続けた。


「逆に中国は、探索者を最初から国家の管理下に置いてる。探索者=国家公務員。だからA.B.Y.S.Sみたいな形は、国家への挑戦として扱うって感じね」


「国が全部握ってるなら、そりゃそうなるよね……」


剛志は、単純に怖いと思った。

探索者が国家の道具になる世界。自分たちが今いる環境が、どれだけ特殊かもわかってしまう。


百花が小さく息を飲む。


「こわいですね……。ニュースなのに、現実感が……」


「現実だよ。だからこそ、支部の空気もこうなる」


万葉が短く言い切った。


モニターの画面が切り替わる。

会見、声明、専門家の推測、航路の規制、航空路の迂回、保険料の高騰。民間の生活が先に削られていく種類の話題が並んだ。


ニュース映像では国家の火力が届かない。届いても弾かれる。反撃は、魔法と矢で落ちる。その様子が何度も繰り返されている。


戦争の絵面なのに、理屈が現実から外れている。


『情報整理:通常兵器の優位は成立していません。あの島では“ダンジョン側のルール”が上にある可能性が高いです』


イチロイドの念話が、剛志と臼杵の頭に静かに響いた。

冷静な分析が、逆に恐ろしかった。


「つまり……国家が相手でも、A.B.Y.S.Sは普通にやるってことか」


臼杵が低い声で言う。


万葉が唇を引き結ぶ。


「そして、普通に勝つ」


そのとき、背後から控えめな声がかかった。


「岩井様、臼杵様、宮本様。町田支部長より、至急お話があるとのことです。所長室へお越しください」


支部の職員が深く頭を下げている。

“至急”の言い方が、今の映像と噛み合っていた。


万葉が即座に頷く。


「行くわ。ここで見てても、状況は変わらない」


剛志も頷き返し、百花へ視線を向ける。


「百花、大丈夫?」


「……はい。でも、こわいです」


素直な声だった。

剛志はその言葉を否定できないまま、歩き出した。


白い廊下の先、支部長室の扉の前。

今までの“ダンジョンの問題”とは別の、世界の問題に踏み込む入口に見えた。


扉が開く。


室内にいた町田桃花は、いつもより表情が硬い。

机の上のタブレットではなく、壁のモニターに各国の速報が並んでいる。職員が何人か控え、空気が張っていた。


「来てくれて助かったわ」


桃花は挨拶も短く本題に入る。


「今日から状況が変わった。A.B.Y.S.Sの建国宣言で、世界が探索者を“国家案件”として本気で扱い始めたの。……日本も例外じゃない」


剛志は背筋を伸ばす。

臼杵も無言で腕を組み直した。


桃花は続ける。


「あなたたちには、引き続きレベル上げを最優先で進めてもらいたいと思ってる。これは変わらない。でも、それだけじゃ足りなくなったの。公の仕事が増えてしまうわ」


「公の仕事……」


剛志が復唱すると、桃花は“現実的な項目”を箇条書きのように並べていく。


「まず対外向け。共同声明への同席、ブリーフィング、必要なら会見。海外の視察団への対応も来る。探索者側の意見を“顔と声”で出せる人間が必要になる」


臼杵が眉をひそめる。


「つまり、広告塔か」


「言い方は悪いけど、否定できない。次に国際連携の実務。合同チームの共通ルール作り――交戦規定、救助優先順位、撤退基準。探索者同士の共同訓練も必要になるわ」


剛志は、想像以上に“政治”の匂いがする話に少しだけ顔をこわばらせる。

ただ、今の映像を見たあとだ。避けられないのもわかる。


桃花の声はさらに硬くなる。


「そして国内の安全保障。拉致、襲撃、情報漏洩。そういう“狙われる前提”での保護枠を整える。移動ルート、宿泊先、連絡網。あなたたちが自由に動けるようにするための制限も増える。この辺は今までとあまり変わらない項目だけど今まで以上に制限がかかる可能性があるわ。それだけ緊急事態ということなの」


臼杵が短く息を吐いた。


「面倒になってきたな」


「面倒だけど、必要よ。海外は協力だけじゃない。引き抜きも管理も、必ず動いてくるわ。私たちとしても心苦しいのだけど、どうしてもお願いしないといけない。あなた達には何度も助けてもらっているのに、こうやって負担ばかり増えてしまってごめんなさい」


桃花が一拍置き、視線を剛志へ向ける。


「剛志くん。あなたは特に、狙われることが想像できる。ゴーレム戦力は、どの国家も欲しがる。A.B.Y.S.Sがあれだけ欲しがったように。……だから組合としても全力で守るわ」


剛志は口を開きかけて、言葉を選んだ。

怖くないわけがない。でも、逃げる選択肢は最初からない。


「……わかりました。できることはやります」


桃花の肩がわずかに落ち、しかしすぐに表情を引き締める。


「ありがとう。日本の探索者組合はあくまで探索者ファーストよ。会長の方針は揺らがない。だからこそ、代表を立てて今回の事件に立ち向かう必要がある」


桃花は持っていたタブレットの画面の一覧を切り替える。

そこには二つの枠が並んでいた。


「日本代表は二枚看板。あなたたちのパーティーと、日本最強のパーティーでもある西園寺たち。こちらのパーティーを日本代表として動くことを現在想定しているわ」


臼杵が小さく頷く。


「西園寺さんらは、表での経験が豊富だ。それは心強いな」


「ええ。彼らは対外折衝の顔ね。でもあなたた達、特に剛志くんはすでに一人で国家戦力級の実力よ。まだレベルがトップ勢に比べると低いのにも関わらず貢献度合いは西園寺パーティー以上。だからこの二組の人選は誰の目から見ても文句のない日本代表チームと言えるわ。なるべく早く会長と西園寺たち、そしてあなたたちで作戦会議をする必要があるわね」


剛志は頷きながら、ひとつ確認した。


「……時間の優先順位だけは、決めさせてください。強くなる時間を削りすぎたら本末転倒だから」


桃花は即答する。


「もちろん。レベル上げが前提。公の仕事は“必要な分だけ”に切り詰める。その調整役も組合が頑張らせてもらうわ」


万葉が横から淡々と補足する。


「要するに、面倒な交渉は組合が盾になる。私たちは必要なところだけ出る。そういう形にするってことね」


「その通りよ」


桃花は一度、壁のモニターへ目を向けた。

そこには、島の上空で砕けるミサイルの映像がループしている。


「……最後に一つだけ言っておく。おそらくA.B.Y.S.Sは、次のカードを切るわ。あれだけ派手にやったのに、まだ終わりじゃない。むしろ始まりだとすら思う。そんな気がしてならないの…」


剛志の胸の奥が、じわりと冷える。


「次のカード……」


『推定:世界が統一行動を取り始める前に、個別に強者へ接触する可能性が高いです』


イチロイドの念話が重なる。

冷静な声なのに、背筋を撫でられるようだった。


臼杵が顔をしかめ、短く言う。


「結局、俺らの周りはまた危なくなるってことか」


桃花は否定しない。


「危なくなる可能性は高いわね。だから準備する。それを組合は守る。あなたたちは――強くなる」


剛志は深く息を吸い、吐いた。

ダンジョンは強くなる場所だった。今はそこに、世界の事情が絡みついてくる。


それでも、やることは変わらない。


強くなって、守る。


ただ、守る対象が少しずつ広がっていくだけだ。


モニターの中で、島は静かにそこに在り続ける。

まるで、世界中の視線を集めることそのものが目的だと言わんばかりに。


剛志は、その違和感を胸の奥に残したまま、桃花との話し合いを続けるのだった。

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