A.B.Y.S.S.建国

第183話 A.B.Y.S.S.建国

横浜第三ダンジョンの深層から離れて、剛志と臼杵が鎌倉ダンジョンに潜っていた間に、外の空気はどこか変わっていた。


横浜第三ダンジョン支部――そのエントランス付近のロビーは、いつもなら探索者の笑い声や軽口が飛び交う場所だ。だが今日は、足音だけがやけに響く。受付の職員は表情を引き締め、端末を叩く指の動きが速い。誰もが「何か」を抱えたまま、落ち着かない目でモニターをちらちら見ている。


その殺伐とした気配の中へ、岩井剛志と臼杵健司、そしてイチロイドが戻ってきた。


「……なんか、空気重くない?」


剛志が小さく言うと、臼杵は肩をすくめる。


「そりゃ、権蔵の件で一回ぐちゃぐちゃになった直後だしな。支部も神経尖ってんだろ」


そう言いながらも、臼杵の視線は自然と周囲を走査していた。騒ぎの火種が残っていないかを確かめるように。


ロビーの一角で、こちらに気づいた二人が手を上げた。


宮本万葉と、宮本百花だ。


万葉はいつも通り背筋が伸びていて、どこか凛とした雰囲気を崩さない。百花はその隣で、少し緊張したようにしながらも、確かな明るさを纏っていた。以前のような青白さはなく、頬には血色がある。視線もぶれず、足取りも安定している。


「おかえり。こっちは概ね順調よ」


万葉が短く切り出す。無駄のない言葉なのに、声の端に柔らかい熱が混じっていた。


「百花ね、もう十分一人で戦えるようになったのよ。……20階層で出てくる敵にも問題なく戦えるようになったの」


百花は少し頬を染め、控えめに笑った。


「えへへ……。お姉ちゃんが、ちゃんと見てくれたので」


「本当に⁉︎すごいじゃん!」


剛志は素直に目を丸くした。権蔵戦の直前、百花は「守られる側」だった。もちろん本人の努力はずっと続いていたが、ここまで形になってきたのは大きい。


「20階層の敵って言ったら、そこそこだよ?一般的な探索者なら普通に苦戦する相手だ」


「まじか!やったね百花ちゃん!」


臼杵も全身で百花のことを褒めるように大きなリアクションをとって賞賛する。ちょっと前までは車椅子なしには動くことができなかった少女が、パワーレベリングの成果ではあるがここまで成長したのだからそれは褒めてやる必要があるだろう。


百花はその仕草に、嬉しそうに目を細めた。


万葉が場を落ち着かせるように続ける。


「横浜第三もね。復旧の知らせが来たわ。もう探索可能になってるわよ」


その言葉を聞いた剛志の顔が、一瞬だけほっと緩む。けれど同時に、頭の中では「現場」の映像が蘇った。あの深層の崩落。あの爆発。あの後に残ったぐちゃぐちゃの地形。


「よかった、じゃあ探索再開できるね。地下60階層は一回グジャグジャになっちゃったからモンスタードームの再設置とかからやらないとだけどね」


言いながら、自分でも「普段の感覚」に戻っているのを感じた。恐怖や疲労が消えたわけじゃない。ただ、次にやるべき作業が見えると、人は前を向ける。


万葉は小さく頷く。


「ええ、そうね。でも――」


そこで、万葉の視線が一度だけロビーのモニターへ流れた。さっきから人の目を吸い寄せている、あの画面へ。


「もっと大きい話が出たの」


剛志と臼杵が眉を寄せる。百花も、反射的に背筋を伸ばした。


万葉は言葉を区切り、淡々と告げる。


「昨日。A.B.Y.S.Sが、“建国”を宣言したわ」


一瞬、ロビーの空気がさらに重くなる。聞き慣れない冗談を投げられたみたいに、剛志の思考が半拍遅れる。


「……建国?」


臼杵が言葉を反芻するように呟いた。


「太平洋のど真ん中に出現した島を、自分たちの領土にするって。探索者だけの国を作るって、声明を出したのよ」


百花の顔色がわずかに変わる。恐怖というより、理解が追いつかない戸惑いが先に来たような表情だ。


剛志も同じだった。頭の中で、これまで見てきたA.B.Y.S.Sの行動が一気に並ぶ。襲撃。爆破。壁。暗殺。計画。犠牲。その全部を積み上げた末に――国。


どうもその流れが腑に落ちない。


「テロリストの考えることはよくわからないけど、何が目的なんだろう。本当にこんな子供が考えるようなことを、多くの人の命を犠牲にしながら実現しようとしているっていうのか?どうもどこか違和感があるんだけど…」


剛志の疑問は、ロビーのざわめきと同じ質感を持っていた。誰もが同じことを思っているのに、答えが出ない。


臼杵は鼻で笑う。


「テロをするくらいのイカれた連中だろ。それぐらいあり得るんじゃないのか?」


万葉は肩をすくめ、どこか冷たい刃のような目で言った。


「バカの考えることを理解するのは無理よ。明確に敵なのだから、目の前に出てきたら叩っ切るだけよ」


「何だか別世界の出来事みたいです…」


百花の小さな声が落ちる。恐怖を隠そうとしているのに、隠しきれない震えが混じっていた。


その瞬間だった。


ロビーの大型モニターが、突然赤い枠で縁取られた画面に切り替わる。甲高い警告音が鳴り、テロップが流れた。


《緊急速報》


映し出されたのは、海の真ん中に浮かぶ島だった。衛星映像か、軍のライブ中継か。島全体が薄い膜に包まれているように見える。空気が揺らぎ、境界線が歪む――まるでそこだけ世界の法則が違うような、不自然さ。


次の瞬間、画面の端から複数の光点が突っ込んでくる。ミサイルだ。


ミサイルは島へ向かって一直線に落ちる。だが、島の上空に差し掛かった瞬間――空中で爆ぜた。


一発ではない。二発、三発。連続して、空中で迎撃されるように爆散していく。迎撃の光は見えないのに、結果だけが淡々と積み重なる。


続けて、島の内部が発光した。


次に映ったのは、海上を飛ぶヘリと戦闘機の編隊。そこへ、島から放たれた“何か”が飛ぶ。


いくつもの魔法の光線が走り。曲線を描く矢が、常識外の速度で空を裂く。まるで「狙い撃つ」ための軌道。


一機、落ちた。火を噴き、海へ消える。


二機目も、落ちた。


「……おいおい。これってリアルタイムの映像か?」


臼杵が声を漏らす。だが、映像は嘘を許さない。国家の軍事力が、まるで「相手になっていない」。


剛志は唾を飲み込んだ。


「A.B.Y.S.Sが建国した島って。島全体がダンジョン空間……って感じなのか」


万葉が小さく頷く。その目は冷たいが、怒りと警戒が確かに宿っている。


「領空も領海も、そのまま“ダンジョン空間”になってる。正確な敷地面積はわからないけど、アレだけの巨大な島一つがすでにダンジョン空間なの。ダンジョン内なら私たち探索者のトップ層は国を相手にしても戦えるってことがこれで証明されてしまったわね」


臼杵が舌打ちした。


「これを見てバカなことを考えるやつも増えそうだぜ。まじで碌なことしないな」


百花はモニターを見つめたまま、両手を胸の前で握りしめている。怖さを振り払おうとしても、映像がそれを許さない。


支部の空気がさらに殺伐とする。職員が走り、受付が慌ただしく指示を飛ばし、探索者たちが低い声で何かを話し合う。


剛志はその中で、ひとつだけ妙な感覚を覚えていた。


――自分たちは、さっきまで鎌倉ダンジョンで巨人を殴っていた。


その間に、世界の方が勝手に、次の段階へ進んでいた。


「……建国ってのは、ただの看板だな」


臼杵が吐き捨てるように言う。


「本命は別にある。そういう臭いがするぜ」


万葉は無言で肯定した。言葉にしなくても、同じ結論に辿り着いている。


剛志も、胸の奥に冷たいものが落ちるのを感じた。A.B.Y.S.Sは、派手なことをする。だが派手さは目的じゃない。目的に向かうための“過程”にすぎない。


「……次は、何をやるつもりなんだろうね」


呟いた剛志の声は、モニターの爆発音にかき消されそうになるほど小さかった。


誰も答えない。


答えがないからこそ、ロビーの空気は重いままだ。


それでも、剛志たちは目を逸らさなかった。理解できなくても、見ておく必要がある。敵が、どこまで行っているのかを。


緊急速報のテロップが、赤く点滅し続ける。


その光は、まるで世界全体へ向けた宣言のようにも見えた。


――ここから先は、もう“探索者の問題”だけでは済まない。


そんな予感だけが、支部のエントランスに冷たく広がっていた。

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