聖女の泉へ

「ええっ!?聖女の泉に行くんですか?」

「当然ですわ!金竜に負けたのは、女神様の祝福が足りなかったからですもの。あの泉で祝福を受ければ、きっと無敵の力が手に入るはずですわ!」

 金竜の住処への遠征から帰ってしばらくたったある日、自称聖女のムナーファカが言い出した。


 聖女の泉というのは、その昔、ある聖女が女神に祈りを捧げて祝福を得たということで知られる場所だ。水底が見えるほどに透き通った泉のほとりに建った小さな聖堂に空から光が降り注いで、聖女は予言の力を得たのだという。その泉で授かった力を駆使して、聖女は当時世界の大半を支配していた大魔王をついにうち滅ぼしたと言い伝えられている。

 まあ、ぶっちゃけ先日わたしが魔王城の雲の上でやらかしたあれと同じだ。だからムナーファカはどれだけ頑張っても骨折り損が確定していると言っていい。まあ、そんなことはおくびにも出さないのだけど。

 ちなみに余談だが、その聖女の予言の力もわたしは使えるけれど、わたしにとっては使う意味が薄い。というのも、その「予言」というのは実際はある時刻にタイムリープするという魔法なのだ。さすがに同じ時間を繰り返すよりも、未来に生きたい。


 それはそれとして。わたしとしては、聖女の泉は水のダンジョンを作るのに最善の場所なので、内心願ったりかなったりというところなのだけど、人数が多いのは面倒だ。わたしはムナーファカにお願いした。

「それなら、今回はラーニヤたちは連れて行かないんですよね?」

「何を言っているのかしら?当然、一緒に行きますわよ!もちろん、セキラもですわ」

 しかし、残念ながら二十人ほどの「勇者」たちも同行することになってしまった。これでは、こっそりダンジョンを作るのも大変だ。結局、わたしはムナーファカに怪しまれたくないのもあって、説得するのは諦めたのであった。







 *********







 わたしたち聖女御一行様は、一か月の船旅を経て、聖女の泉の近くの町までたどり着いた。金竜の住処のときとは違って、道は十分整備されていたので、問題らしい問題もない。泉から徒歩一時間もかからないくらいの場所に小さな町があるので、野宿の必要もない。

 まあ、その分退屈な旅だったと言えなくもないけど、わたしは脳内に本をダウンロードすることができるようになったので、時間をつぶす手段には困らない。物語を読んだり、空の上で受け取った聖女の知識を調べたりと、のんびり過ごしていた。

 ちなみに、今回の装備は魔鉄の短剣を腰に下げたキュロットスタイルだ。黒いマントがアクセントである。今回は騎士たちの鎧も軽装だし、でかい剣は小回りが利かないとムナーファカを言いくるめたので、前回ほどばっちり武装する必要がなかったのだ。


「セキラ嬢、ありがとよ。まさか、旅先でこんないい酒を飲めるなんてな!」

 そして現在、わたしは宿の食堂でファーリスたち騎士による酒の席に付き合っていた。魔物は少ないとされているけど、明日は聖女の泉に行く任務があるというのに、すこし気を抜きすぎではないだろうか。

「ただのエールですけどね」

 わたしは満足げにグラスを傾けるファーリスを呆れた目で見ながら、自分のグラスのエールを一気に飲み干す。爽やかな苦みとほのかな麦の香りが感じられるけど、正直、わたしにはお酒の良しあしなんてよくわからない。


 このエールは、こっそり魔王城に戻ったときに準備したものだ。アミナの城の庭にある小さな(当社比)酒蔵の中から、外に出しても問題なさそうなやつを選んできたである。このエールは大きな樽に入っていたけれど、そこから瓶十二本分だけを持ってきたのである。

 実は、ほかのお酒はほとんどすべてマナを多量に含有していて、飲んだ者に魔法効果をもたらすような代物だった。そんな超技術、もちろん世に出せない。ましてや、クァザフの城に大量に保管されている「ドラゴンを酔わせる酒」なんてもの、絶対に知られるわけにはいかない。わたしはほとんどお酒を飲まないのに、どうして魔王城には浴びるほどの高級酒があるのだろうか。


 すでにエールを一瓶空けて酔っぱらったファーリスは、だらしなく机に体を預けながら、わたしをじろじろと見ている。このエール、どうも飲みやすさに反して酒精が強めらしく、すでにわたしとファーリスを除いては気を失っていびきをかいている。わたしはまったく酔わないから気づかなかったけれど、これはあとで魔法を使って回復させる必要がありそうだ。

 わたしが椅子で眠る騎士たちを見回していると、ファーリスが大きな声で話しかけてきた。

「セキラ嬢ちゃん、俺の剣、立派だろ?この前手に入れた魔鉄鋼で新しくこしらえたんだぜ?」

「ちょっと!いきなり剣を抜かないでください!危ないですよ!?」

 ファーリスは酔った勢いで腰に下げていた立派な剣を抜き、ぶんぶんと振り回し始めた。わたしは別に当たったところで痛くも痒くもないけれど、周りの騎士たちに当たったら一大事だ。

 そしてファーリスはガッと席を立ち、わたしのほうへと身を乗り出してくる。影の中にいるアミナが動く気配を感じたわたしは、魔法でファーリスの意識を奪い、そのまま寝室へと転移させた。ついでに、騎士たちも一緒に転移させて、新しく手に入れた聖女の回復の力で酔いを多少醒ましてあげた。聖女の力は細かい調節が効くので、こういう場面では結構便利だなと思った。




「セキラ嬢、すまなかった!昨夜はあんな無礼を……」

 翌朝、朝一番にファーリスがわたしに謝罪をしてきた。しかも頭の角度がめっちゃ深い。

「いいですよ、気にしてませんから」

 わたしはファーリスに頭を上げるように言う。実際、あの事態を引き起こした元凶はわたしだ。どっちかというと魔王城産のアイテムを不用意に外に持ち出すなという教訓として昨日の事案を解釈していたわたしとしては、ファーリスに謝られても戸惑ってしまう。

「そうか、ならよかった。だが、まさか理性の歯止めが効かないほどに酔ってしまうとは……」

 いや、ほんとうにごめんなさい。わたしは後ろめたさにファーリスから視線を外すと、ファーリスもわたしから目をそらした。気まずい雰囲気になりそうなところで、それをぶった切る声が聞こえた。

「何を呆けているのかしら?早く聖女の泉に行きますわよ!」

 聖女(仮)のムナーファカに急かされて、わたしたちは聖女の泉へと出発したのだった。




「そうですわ!今、手に入れた魔鉄鋼を使って勇者たちの武器を作らせていますの」

 聖女の泉へと向かう林道のさなか、酒の失敗のせいでわたしとファーリスは微妙な雰囲気だというのに、ムナーファカはそんなことは露知らず、一方的にやかましく語っていた。

 大げさに語られたムナーファカの話の内容は、要約すれば、高品質の魔鉄鋼を手に入れて、魔王討伐のための武器を作れるようになったのは、ムナーファカの功績だということだった。その割には武器の完成を待たずしてここに来ていたり、明らかな采配ミスが目立つ。

 あまりにも自慢げに語られて鬱陶しいものだから、いっそのこと魔物にムナーファカを襲撃させようかとも一瞬思ったけど、さすがにファーリスがかわいそうなのでやめた。

「でも、ダンジョンの内部の情報を得たのはファーリスたちですよね?」

「わたくしの聖女の勘がなければ、そもそもあの場所に行くことはなかったのですわ。新たな魔鉄鋼の鉱山を見つけただけでなく、高級なダイヤモンドの産出する坑道を見つけられたのは、わたくしのもつ女神の加護のおかげですのよ」

 わたしがそれとなく他人の功績にも目を向けるべきだと言っても、ムナーファカは聞く耳を持たない。さすがに九割方わたしのおかげだとまでは言えないけれど、ムナーファカは無謀だっただけだとは言いたい。


 ちなみに、土のダンジョンにはお宝を狙ってたくさんの冒険者たちが挑むようになったけど、ダイヤモンドの出る階層を攻略できるのはトップクラスの実力者だけだ。大半の冒険者は最初の大扉までに魔物にやられるか、ダイヤモンドに目がくらんだところを強めの魔物に襲われて死ぬ。魔鉄の階層にたどり着くなんて夢のまた夢だ。

 そういうわけなので、あのダンジョンで魔鉄を回収するのは現実的ではない。ほかの鉱山で上澄みを探したほうがましなレベルだ。だから現実としては土のダンジョンは魔力的にはゴミであるダイヤモンドが手に入る鉱山でしかない。それも、市場を破壊するほど採掘されてはいない。

 つまり、ダンジョンの発見自体は、戦力増強にはほとんど役に立っていない。ファーリスが魔鉄鋼を持ち帰ったのが最大の功績だ。そこにムナーファカはほとんど関わっていないのである。







 *********







「うわあ、すごい。こんな場所があったなんて!」

 森を抜けると、丘のようにすこし盛り上がった場所から、聖女の泉が一望できる場所に出た。

 聖女の泉は、聞いていた通りとても透き通った湖で、わずかに青く輝くさまは、その名にふさわしいほどに神秘的であった。周囲には魔物一匹おらず、そよ風で水面が揺れる音さえ聞こえてくるほどに静かであった。その泉のほとりにはこじんまりした教会が建てられていて、ちょうど雲間から太陽の光を受け、神聖な雰囲気になっていた。


「あの教会で、かつての聖女は祝福を授かったと言われているのですわ。さあ、景色に見とれてないで早く行きますわよ!」

 わたしが落ち着いた気持ちでこの風景を眺めていたら、ムナーファカが大声を出してムードを壊した。ムナーファカはそのまま先に進んでいってしまう。わたしは名残惜しい気分になりながらも、その後を追った。


 教会は、建材こそ普通の石レンガであったが、その建築様式はあのクリスタルの塔とよく似ていた。奥に入ってみると、祭壇に片手いっぱいの大きさの無色透明なまんまる宝石が安置されていて、その手前に魔法陣が刺繍されたカーペットが敷かれていた。大昔の建物のはずだけど、その歴史に反してそれほど劣化はしていなかった。

 ムナーファカはその宝石の前で祈りを捧げたけど、やはりというべきか、何も起こらない。いらだったムナーファカは、立ち上がってそのまま祭壇に祀られていた水晶玉のような宝石をつかんだ。

「わかりましたわ。つまり、これがわたくしに授けられたものなのですわ!この宝石の力を用いて魔王を倒せと、それが天啓なのですわ!」

「待ってください!それを動かしちゃダメです!」

 わたしはムナーファカを制止したけど、ムナーファカは聞く耳を持たない。

「わたくしの言うことが信じられないのかしら?聖女の泉にあるものを聖女であるわたくしが使ったところで、なにも問題はありませんわ!」

 ムナーファカはそのまま球体の宝石を抱えて教会の外へとずんずん歩き出していく。それを追いかけるわたしやファーリスの後ろで、祭壇から黒い瘴気がもくもくと湧き出していた。




「何ですの、これは!?」

 教会の外に出たムナーファカは、来たときの穏やかな雰囲気からは想像もつかないほど恐ろしい光景を目の当たりにして、大きな叫び声をあげた。

 そこには、無数の蟲の魔物が、耳障りな羽音を立てて、泉に流れ込むように現れていた。周囲ののどかだった森は瘴気によって黒く覆われ、今も蟲の魔物を生み出し続けている。そよ風の音さえ聞こえるほどの静粛な雰囲気を持っていた領域は、今や魔物の邪悪な雑音にまみれた空間になってしまったのだ。

「ムナーファカ様!」

 ムナーファカめがけたカブトムシの魔物の強力な突進を、ファーリスがとっさに剣で受け止める。しかし、そのパワーを受け止め切ることはできず、ファーリスはムナーファカともども離れた場所にはね飛ばされてしまった。

「マイム」

 わたしは水の魔法で一気に蟲たちを押し流すと、ファーリスに向けて叫んだ。

「ファーリスさん!みんなを連れて早く逃げてください!わたしが時間を稼ぎますから!」

「だが、セキラ嬢一人に任せられない!」

 ファーリスが断ったのにも構わず、わたしはラーニヤたち勇者もどきをファーリスのほうへ押し出し、そのまま魔法の水弾で近づいてくる魔物を打ち落としていく。ファーリスはわたしのほうへと移動しようとしたけれど、蜂の魔物の猛攻を受けて身動きが取れない。わたしひとりだけが教会の入り口のところにいる状況だ。

「ハーミド」

 わたしはほかの全員がファーリスの近くに集まったのを確認して、酸の魔法を放ち、ムナーファカを襲っていた魔物たちを溶かしていく。わたしの攻撃によって逃げ道が空いたところで、ムナーファカは一目散に走り出した。ファーリスはそれを追いかけながらわたしに叫ぶ。

「決して無理をするな!いつでも逃げられるように退路を確保しておけ!」

「わかりました!」

 わたしは蟲たちを押し流し、また溶かしながら、ファーリスたちが森の奥へと消えていくのを見ていた。




「ふぅ、何とかうまくごまかせたかな?」

 わたしは暗い瘴気の流れる通路をゆっくりと歩いて、教会の奥へと向かっていた。廊下の壁を覆いつくすほどの蟲の魔物たちも、まるで線が引かれているかのように、一定以上はわたしに近づいては来ない。

 わたしが祭壇のある部屋に入ると、そこには王冠をかぶったクマムシの魔物がいた。その魔物はちょうどムナーファカが持っていった宝石のあった場所に鎮座していて、その体から瘴気を発生させ、蟲の魔物たちを生み出していた。

「ちょっとどいてくれる?」

 わたしはクマムシの魔物に言って、その体を祭壇から除けようとする。わたしとしては無駄な殺生をしたくないが故の言動だったのだけど、その一言はクマムシの魔物を激怒させてしまったようだ。

「この無礼者!わらわがかの大魔王が眷属、『不死身のバティ』と心得たうえでの狼藉か!?許さぬぞ!」

 そう言ってその魔物はわたしに突進してきたけれど、次の瞬間、影から出てきたアミナの平手打ちであっけなく弾き飛ばされ、体がバラバラになって死んでしまった。ついでに周囲にいた蟲たちは影に飲み込まれて跡形もなく消されていた。

 いや、不死身って言ってたよね!?

 思わずツッコんでしまいたくなるくらい、あっけなく古代の大魔王の封印されし眷属は倒されたのであった。


「お嬢様、あのような不浄な輩に触れる必要などございません」

 まるでほうきで掃くように魔物たちを一掃したアミナにとって、この蟲たちは、『不死身のバティ』も含めてただ不快な害虫にすぎないのだろう。まあ、魔王城の虫はもっと耐久力も攻撃力も高いから、わたしとしてもこれくらいでは普通の虫が大量発生しているのと大して変わらない。

 わたしは苦笑を浮かべながら、祭壇に淡く光る無色透明な球体を供える。この前たくさん手に入ったはいいものの、魔王城で光属性だけの宝石はあまり使いどころがなかったので、今回使ってみることにしたのだ。ムナーファカがくすねていったやつより何倍も大きく、マナの貯蔵量には天地ほどの差があるけれど、気にしない。

「ここまでは計画通りだね。これでダンジョンコアを作るには十分かな?」

 また誰かが奪っていくことがないように宝石の周りにバリアが張られるようにしながら、わたしはこれからの計画を考えていた。


 聖女の泉でダンジョンコアを作るうえで、もっとも避けなければならないのがその瞬間を誰かに見られてしまうことだ。そのため、普通なら二十人を超える大所帯で行動しているときにそんなリスクを冒したりはしないのだけど、今回はムナーファカが愚かすぎた。

 かつて、この地で祝福を授かった聖女は、何度殺しても復活する不死身の魔物を、魔力あふれるこの地に封印した。しかし、その封印の要であった宝石を持って行ってしまったので、そいつとその配下の蟲たちが世に放たれてしまった。そのせいで、この泉は魔力的に不安定になってしまい、わたしはダンジョンコア作成を急がなければならなくなった。

 そこで、わたしは出現した魔物たちに紛らせて自分の魔物を生み出し、ファーリスたちがこの聖女の泉に近づけないようにした。そして、魔力を安定させるために新しく宝石を供えたのだ。あとは、あのきれいな泉に瘴気を流し込み、ダンジョンコアへと変えるだけだ。


 わたしは教会の外に出て、蟲の魔物たちをさっと浄化して消し去ると、普段は外に出さないようにしている瘴気を少しずつ水の中に混ぜ込んでいく。透明度を失わないように、わたしの力に染めていくのだ。わたしの魔力が増大しているからか、本気で瘴気を注ぎ込まなくても、水はどんどん中央へと集まっていく。

「アブニーズィンザーナ」

 わたしがぱっと手を開くと、凝縮された水はぴかっと光り、青色の正二十面体の宝石へと姿を変える。その宝石は水路を伝って、下流へところころ流れていく。

 わたしが第一段階の成功にひとまず安堵あんどしていると、後ろから声が聞こえた。

「えっ!?セキラさま!?」

 振り返ると、平民の勇者候補ラーニヤが、真っ青な顔で立ちすくんでいた。



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