異世界作家生活 7話

「カイ〜……緊張する……」

「ハグする⁉︎ ストレスの緩和にいいって最近論文がでてるらしいよ!」

「いい……」

「本当に? 本当にいいの? ストレス緩和だよ? 多分緊張も解けるよ?」

「うん、いい」

「えー」


 ブスくれるカイに苦笑いを返しながら、わたしたちの住む街から馬車で片道一時間程度の王都へと向かう。

 今日は王都で、新作小説の発表会。一人では心細いので、カイにお願いしてついてきてもらった。


「もうこれはデート……いや、夫婦!」

「違うよ」


 カイはわたしより浮き足立っている。外を流れる景色が、どんどん都会的なものになっていくのを眺めた。


「ねえキョウ。新作発表会って何するの?」

「講演会とサイン会」

「え! 俺もサイン欲しい!」

「後でいくらでも書いてあげるよ」

「ダーリンって書いてくれるの⁉︎」

「誰もそんなこと言ってないよ」


 いくら冷たく返しても、カイはニコニコ笑っている。そんなカイに、最近は絆され始めていた。


 この世界に来て、今日がちょうど一年。つまり、カイと出会って一年経ったと言うこと。

 一年。様々なことがあった。

 フジ出版から最初の本を出した。そこから二冊目、三冊目と続くことができ、四冊目にしてコミカライズを勝ち取った。コミカライズから前作や前前作を読んでもらうことができ、二冊目は映画化もした。今日は五作目の新作を発表する。


 今でも夢だと思っている。元の世界で成し得なかったことが、今少しずつ叶っていて、居場所ができた。


 でも同時に、不安もあった。


 元の世界に帰りたくないと思うことが増えた。きっとあの世界で、わたしは死んでいる。手首を切って、風呂に沈めたのはわたしの意思。死にたいと思ったからやったこと。でも、確実に死んだと言う証拠はない。


 今でも、夢だと、思っている。

 これはわたしにとって、都合のいい夢だと。わたしが死ぬ間際に見ている、ただの妄想だと。


「キョウ? キョーウ」

「……何?」

「なんかキョウ、元気ない? 帰る?」

「帰らないよ。今日はお仕事なの」

「……でも俺、キョウが嫌ならアメリアさんに嘘ついて連れて帰るくらいのことはするよ?」

「絶対にやめてね。多方に迷惑がかかるから」


 じとっとカイに見つめられる。居心地が悪くて顔ごと窓の方に逸らした。


「……王都ってすごいんだね」

「俺もあんまり王都には来たことないからちゃんとした案内はできないけど、ホテルの場所と発表会の会場はちゃんと頭に叩き込んできたよ!」

「頼もしいね」


 ドキドキと、心臓は小さく鼓動を続けている。


「……ね、カイ」

「なあに」

「わたしが急に元の世界に帰っちゃったら、どうする?」


 ふつと、カイの呼吸が一瞬止まった。

 視線だけを向けると、悲しそうな、絶望したような表情で、カイはわたしを見つめている。


「……なんて、嘘———」

「違う」


 カイがわたしの言葉を遮った。


「キョウの帰る場所は、元の世界じゃない。あの古本屋だよ」


 はっきりと、彼は告げる。


「……うん。そうだね」


 カイはいつも、わたしの欲しい言葉をはっきりと口にしてくれる。

 それに、この一年、何度も救われた。


「カイ」

「なあに」

「お昼、食べたいものあるんだ。王都で有名なカフェのスパゲッティなんだけどね。一緒に行こう」

「え! いいよ! デートだね!」


 パッと顔を輝かせるカイに、わたしは微笑んだ。


「うん、そうだね」

「……え? 本当にデートなの?」

「いいよ、デートらしく手繋ぐ?」

「え? 待って待って供給過多で死んじゃう!」

「死なれたらデートできない」

「じゃあ死なない!」


 馬車が、湖の近くを通りかかった。観光案内を読み始めたカイを隣に、なんとなくその湖を見つめる。

 馬車が止まった。


「どうしたんですか?」


 カイが声をかけると、御者は震えながら湖を指差した。


「な、何か映ってる……!」


 指の先を見ると、湖には、わたしにとっては見慣れた、懐かしい景色が映っている。

 元の世界だ。


「あ……」


 背の高いビルに走る車、道を埋め尽くす人間。

 カイは興味深そうにそれを見つめる。


「なんかすごいね。なんだろう? 魔法の類かな」


 わたしは直感した。この湖に飛び込めば、元の世界に戻れる。

 でも。


「……御者さん、すみません、急いでください」

「あっ! そうですね、すみません。珍しい景色だったもので」


 馬車が動き出す。元の世界を映した湖が遠ざかる。


 わたしは、夢が叶った、この幸せな世界で生きていく。わたしが帰るのは、パン屋の隣にある古本屋。


 隣には、カイがずっといてくれる。わたしの欲した言葉を口にしてくれる彼に、きっとわたしは何度も恋をする。

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