第2話
夕暮れ時。河川敷の前を流れる川が夕日と同じ様に茜色に染まっている。
僕は自転車に乗り、コーヒー豆屋に向かっていた。
土手の下にある河川敷グラウンドでは、少年野球チーム「江戸前ライオンズ」に所属する子供達が大きな声を出して練習をしている、
僕は自転車を道の脇に停めて、土手の階段を降りて、グラウンドに向かう。すると、前方から大柄な男がこちらに向かって来る。
そして、僕は大柄な男とすれ違った。
僕は足を一度止めて、振り向いた。すれ違った大柄な男をどこかで見た事がある気がしたからだ。しかし、どこで見たかを覚え出せない。
僕は覚え出すのを止めて、グラウンドに駆け寄り、防球ネットに手をかけ、近くにいた監督に話かけた。
「監督ー」
「うん?」
監督は振り向き、僕を見る。
「誰だ?お前は」
険しい表情を浮かべている。
「なに冗談言ってるんですか?高松真一です」
「冗談だよ。久しぶりだな」
「お久しぶりです」
僕は小学生の頃、この「江戸前ライオンズ」に所属していた。その時、お世話になったのが目の前にいる監督なのだ。
「お前、野球続けてるのか?」
「……やめました。足やっちゃて」
高校一年の夏、練習試合中のプレーでアキレス腱の靭帯を切ってしまい、野球はその時に辞めた。
今はリハビリのおかげで、ある程度力を入れて走っても大丈夫なほどに回復している。
「そうか……」
監督は悲しげな顔をしている。
「まぁ、僕らの代で野球続けてるのは龍聖ぐらいですし」
「龍聖……川上か」
「はい。あいつ、今、大学2年で日本代表の4番を打ってるんですよ」
「川上のセンスなら当然だろ」
「そうですね。野球のセンスだけはずば抜けてますからね」
「そうだな。野球のセンスだけはな」
監督は笑いながら言った。
「はい……そうだ、監督。今年は行けそうですか?全国」
「難しいな。でも、この子達はどの代の子供達よりも野球を楽しんでいる。私は全国に行くより、野球を楽しんでいる事が一番大事だと思ってるんだ」
「……そうですね」
僕らの時もそうだった。監督は勝つ事よりも楽しむ事を教えてくれた。きっと、ただ勝つだけの野球を教えられていたらすぐに辞めていただろうし、こうしてグラウンドに立ち寄る事もなかったと思う。
「高松。練習混ざるか?お前の大好きなノックしてやるぞ」
「……えっーと、あれです。今、バイトのおつかいの途中なんでご勘弁を」
「嘘だろ?」
「本当ですよ」
「それは残念だ」
「それじゃ、僕帰ります」
僕はそう言って、自転車の方に向かって、軽く走り出した。
「高松!」
僕は立ち止まり、振り向いた。
「いつでも来いよ」
監督は笑顔だった。
「はい」
僕は再び走り出し、階段を上り、自転車に乗り、コーヒー豆屋に向かって、ペダルを漕ぎ出した。
自転車で走っていると、ふと気づく事がある。幼い頃に大きく感じていた物が小さく感じる事だ。それはなんだが寂しく思う一面、自分も成長したのだなと実感させてくれる一面もある。
視線の先にコーヒー豆屋「チャチャ」が見えてきた。この店こそが小山さんに頼まれた品を買える店だ。
自転車のペダルを思いっきり漕ぎ、スピードを上げる。顔に当たる風は強くなり、爽快感を感じさせる。「チャチャ」にどんどん近づいていく。
ようやく「チャチャ」に辿り着いた。
僕は自転車から降りて、手で押して、駐輪スペースまで持って行き、スタンドを降ろして、駐車した。
店に小走りで向かい、入り口のドアノブを手で握って引き、店内に入る。
コーヒー豆が入った袋が棚に陳列されており、壁に飾られている置物などはアンティークな物で統一されて、洒落ている。確実に小山さんにはないセンスだ。
「いらっしゃい」
店の奥のレジカウンターから、店長の土門さんの声が聞こえる。
土門さんの方を見ると、僕と同い年くらいの女性がお会計をしていた。
「ありがとうございます」
「こちらこそ、ありがとうね」
「はい」
「また来てね」
女性は土門さんに軽く会釈をして、こちらに向かって来た。
「こんにちは」
女性はそう言って、僕に軽く会釈した。
「こ、こんにちは」
急いで言い返した。
女性は少し微笑み、入り口のドアノブを引いて、外に出て行った。
僕はその女性に見惚れてしまった。とても素敵な人だった。黒髪のロングヘアーで、顔立ちは品があり、可愛いと言うよりは綺麗で、ミステリアスな雰囲気が漂っていた。
「おう!真ちゃん」
土門さんの声で、我に返った。
「ど、どうも」
僕は土門さんの居るレジカウンターに向かった。
「今日もおつかいかい」
「はい。いつものお願いします」
「はいよ。小山さんは本当にリッチだね」
土門さんは後ろを向き、棚に置かれているコーヒー豆が入った袋を手に取って、袋を開けて、レジカウンターの横に置かれている計量器の上のボウルに注ぎ始めた。
「そうですかね。僕にとってはただの人使いの荒いジジイですよ」
「ハハハ。その言葉そのまま小山さんに今度会った時に伝えとくよ」
「やめてくださいよ。あの人、一度機嫌が悪くなると良くなるまで、だいぶ時間掛かるんですから」
「冗談だよ。冗談」
土門さんは笑いながら言った。
「冗談キツイですよ」
「悪い悪い。おまけつけてあげるから許して」
「……分かりましたよ」
土門さんは、コーヒー豆の計量を終えて、コーヒー豆を持ち帰り用の袋に詰めて、テープで蓋をして、紙袋にコーヒー豆が入った袋を入れて、レジカウンターの上に置いた。
「それじゃ、4000円になります」
「じゃあ、これで」
僕は小山さんから渡された5000円札を土門さんに渡した。
「どうも」
土門さんはレジスターを操作して、レジスターの中から、おつりの1000円札を取り出し、発行されたレシートと一緒に僕に渡す。
「1000円のお返しになります」
「ありがとうございます」
「あと、これ」
土門さんは、レジカウンターの下から袋に入ったお菓子と紙を取り出した。
「おまけのお菓子と、目の前にある喫茶店のサービス券」
土門さんはお菓子とサービス券を渡してきた。
「何で喫茶店のサービス券?」
「だって、真ちゃん。さっき居た女の子に見惚れてたからさ。あの子、そこの喫茶店のアルバイトの子なんだよ」
「見惚れてなんかいませんよ。か、帰りますね」
「分かりやすいね。真ちゃんは」
土門さんは、にやけている。この人はすぐからかってくる。そして、僕がする反応を見て、楽しんでいるのだ。
「失礼しました」
僕はレジカウンターの上に置かれているコーヒー豆が入った紙袋を手に取り、店から急いで出た。
空の色が茜色から濃紺色に変わり、夕方は夜に姿を変えた。
泉丸書店に着き、駐輪スペースに自転車を停めて、自転車の籠から紙袋を取り出し、店の中に入った。
「いらっしゃい」
「高松帰りましたー」
「お、帰って来たか」
「これでいいんですよね」
僕はレジカウンターの上に紙袋を置いた。
小山さんは、紙袋からコーヒー豆の入った袋を取り出し、嬉しそうに確認している。
「これで間違いない。すまないな。約束通りお釣りはやるよ」
「どうも」
小山さんは紙袋にコーヒー豆の入った袋を戻した。
「……店長。なんで、そのコーヒー豆そんなに高いんですか?量少ないのに」
疑問だった。おつかいで買うたびに思っていたのだ。もっと、安いコーヒー豆でもいいだろう。コーヒーなんて飲めばどれも同じだし。
「な・い・しょ」
小山さんはもったいぶるように、さらに苛立ちの琴線に触れる言い方で、人差し指を口に当てて言った。
「なんか、その言い方腹立ちますね」
素直にむかついた。
「うるさい。ちょっと休憩したら、また仕事に戻れよ」
「はいー分かりました」
適当に答えた。それぐらいが丁度いいのだ。今の小山さんに、いや、このジジイには。
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