第36話

 夏休み中、私たちは色んなところに遊びに行った。

 遊園地とか、水族館とか、動物園とか。夏の動物園なんて臭いし最悪、と風菜は文句を言っていたけれど、結局最後には楽しそうにしていた。単純というか、なんというか。二人で撮った象の写真は、今は私のスマホの待ち受けになっている。


 夏休みが終わっても、特に何かが変わることはなかった。

 毎朝風菜の家に行って、髪を結んでもらったりたまに彼女の髪を結んだり。そうして毎日過ごす中で、いつの間にか季節は秋になっていた。


「風菜。ここにいたんですね」

「あ、りんね」


 放課後。

 彼女は少しずつ秋の色に染まってきた並木道のベンチに座っていた。


 一緒に帰ろうと思ったのに、いつの間にか教室から姿を消していたから驚いたものの。きっと探してほしいんだろうなって思ってここに来たが、正解だったようだ。


 彼女の隣に座ると、秋の風が木々を揺らした。

 まだ紅葉には早いけれど、もう少し経ったら見頃になりそうだ。今年は風菜と紅葉を見に行くのも楽しそうだ、と思う。少し冷たい空気の中で、手だけが温かかった。見れば、彼女は私の手を握ってきていた。


「なんか、懐かしいですね。一学期の頃はサボってばっかだったのに、最近は風菜、授業全然サボってませんね」

「授業サボってたの、演出だし」

「私に構ってもらうための?」

「……うん。まだ本気じゃないですよーって、アピール」

「ばか。それで先生から目をつけられたら、生活しづらくなるじゃないですか」

「りんねがふうなを見てくれるなら、それでもよかった」


 彼女はぎゅっと私の手を握ってくる。

 私も彼女の手を握り返した。


 放課後だから、並木道にもそれなりに人がいる。授業中とはやっぱり違うなぁと、ぼんやり思った。


「そろそろ、帰りませんか?」

「そうだね」


 私たちは手を繋いだまま立ち上がって、歩き出した。


「りんね。ふうなのこと、見つけに来てくれてありがと」

「どういたしまして」

「今日だけじゃなくて、これまでもずっと、りんねがふうなのために授業抜け出してきてくれて嬉しかった」


 改めて言われると恥ずかしいけれど。彼女は私のことをじっと見つめて、微笑んでくる。


 最近は、ふとした瞬間にふわふわした空気が流れる。それは私たちが恋人になってから、まだ日が浅いからなのかもしれない。そうした空気が流れる時、私はいつも少し照れてしまって、何も言えなくなるのだ。

 その時、ふと思う。


「……そうだ! 今日は私の家にごはん食べに来ませんか?」

「え」

「今日の夕飯は風菜が大好きなグラタンなんです! せっかくですし、皆で作りましょう!」

「い、いいけど……お泊まり?」

「風菜がよければ泊まってきます?」

「……ちょっと待って」


 風菜は立ち止まって、少し考え込むような表情を浮かべた。今日は何か、外せない用事でもあるのだろうか。


「……うん、大丈夫そう。じゃあ今日は、りんねのお家に泊まってくね」

「ほんとに大丈夫ですか? 用事があるなら別の日でも……」

「用事があるわけじゃなくて……ただ、今日どんな下着にしてきたっけって考えてただけだから」


 彼女の言葉に、私は目を丸くした。

 下着。

 それって、つまり。


「し、しませんからね!」

「まだ何も言ってないじゃん」

「私たちにはまだそういうのは早いっていうか私もよくわかっていないというか練習とか勉強とかが足りていないっていうか!」

「勉強してるの?」

「……。少しは……」

「ぷっ……あはは! りんねってほんと、そういうとこ真面目だよねー」


 けらけらと風菜は笑う。

 おい。笑うんじゃない小娘。こちとら真面目なんじゃ。


 その頭を引っ叩いてやろうと思ったその時、彼女は私の耳元に唇を寄せてくる。


「大丈夫。その時になったら、ふうながちゃーんと、りんねのことリードしてあげるから」

「リード……!? そ、そういうのいいですから!」

「顔真っ赤。秋だからりんごになっちゃったのかなー?」

「ぶっ飛ばしますよ」


 最近はからかってくることも少なくなってきたけれど、こういうところはやっぱり変わらない。私はため息をついた。


 別に、いいけど。いいんだけど。

 ……ほんとにそういうことになったりしないよね?





「いやー、風菜ちゃんがいると料理が捗って助かるわー」

「いえいえ、そんな」


 キッチンには和気藹々とした空気が流れている。家に着いた途端変なことをされるのではないかと期待……もとい危惧していたけれど、そんなことはなく。彼女はお母さんに促されて、キッチンに立っていた。


 私は無心で玉ねぎを切っていた。私は体質的に玉ねぎを切っても涙が出ないから、いつもお母さんには玉ねぎ切り係に任命されている。それは別にいいんだけど、なんというか、拍子抜けというか。

 ……いやいや。


「りんね、どうしたの? なんか難しい顔してるけど」

「いーえ、別に」

「もしかして……」


 風菜は後ろから私を抱きしめてくる。包丁を持っている時に抱きつくのはおやめください。


「期待、しちゃってた?」

「な、何をですか」

「こういうこと」


 ふっと、彼女は耳に息を吹きかけてくる。

 危うくまな板まで真っ二つにするところだった。包丁を一旦置いて、風菜の目に玉ねぎの汁をぶちこんでやろうと思ったのだけど。

 彼女はさっと私から離れて、お母さんの隣に逃げていく。


「りんね。じゃれ合ってないで玉ねぎちゃんと切って」

「文句は風菜に言ってください。風菜が全部悪いんです」

「風菜ちゃんはいいんだよ。可愛いし」

「それ私が可愛くないってことですか……?」


 それでも私の親かこの。

 私の美貌は全人類が認めるほどだというのに。確かに風菜は可愛いし、私も時々見惚れてしまうことはある。でも、私だって負けないくらい可愛いって自負しているのだ。告白とかは、されたことないけど。


 ……はぁ。

 いやいや、こういうのは回数ではない。そもそも告白なんてされるよりする方が私の性に合っているし、そもそも好きでもない人から告白されたいってわけでもない。そもそも私には風菜がいれば、それで十分なのだから。そもそも……。

 ……やめよう。なんか、テンション下がってきたし。


「ねー、りんね?」

「はいはい。今度はなんですか、もー」

「どうしてりんねは、今も敬語なの?」


 マカロニを茹でながら、彼女は言う。


「……む」

「ふうなが本気になるまで敬語使い続けるって、前に言ってたけどさ。ふうな、もう本気になってるよ?」

「……むむ」

「せっかくカノジョになったのに、ずっと敬語だとふうな楽しくなーい」


 ちょっと。お母さんがいる時に彼女とかなんとか話すのはやめてほしい。そういうの、親に知られるの恥ずかしいんだけど。


「ん? ああ、続けて続けて」


 お母さんは言う。


「なんならあたし、書斎行ってるわ」

「料理を途中で放棄しないでください」

「いいからいいから。あんたは彼女さんと仲良くしな」

「むむ……」

「風菜ちゃんのこと、泣かせちゃダメだからね?」

「どの立場で物言ってんですか。お母さんは私のお母さんですよね? ちょっと! もおぉ!」


 お母さんは素早くキッチンから去っていく。

 もっとこう、ないのか。りんねのこと幸せにしてあげてね、とか、りんねを泣かせたらお仕置きだからね、とか。


 ……うわ。

 想像しただけで鳥肌が立ってきた。そんなことを言うお母さんはお母さんじゃないというか、不気味極まりないというか。


「りんね。敬語、やめて? この前ちょっとタメ口で話してくれたじゃん」

「それはその、無意識というか。敬語は私のアイデンティティというか」

「りーんーねー」

「う、うむむ。……むぅ。い、一回だけですからね!」

「なんでよー。ふうなもう本気なのにー」

「今更キャラ変するの、恥ずかしいの! わかってよばか風菜!」

「うぅ、りんねにばかって言われた……。えーん」

「この……! もー! わかったから!」


 いつもいつも、下手な泣き真似ばかりして。

 私はちょっと呆れながら、深呼吸をした。


「ごめんね、風菜。……大好きだよ」

「……っ!」


 風菜はそっぽを向く。

 せっかく心から好きって言ったのに、こういう反応されるとちょっと嫌なんですけど。そう思ったけれど、照れているのはわかるから放っておくとしよう。


「……反則。りんね、反則だから! そういうのずるいっていつも言ってるじゃん! なんなの? ふうなを爆発させたいの?」

「何言ってんですか」

「ばかりんね!」

「あー! バカって言いましたね! 風菜の方がバカですよバカ! ていうかいつまでマカロニ茹でてるんですか! さっさと上げてください!」

「わかってるし! りんねも早く玉ねぎ全部切ってよ!」

「風菜が余計ことばっかりするから切れないんじゃないですか! ばか風菜!」

「またばかって言った! ばかばかばか!」


 私たちは一体何をしているのだろう。

 自分で自分に呆れるけれど、これも紛れもなく私たちの日常だ。

 私は小さく息を吐いて、残りの玉ねぎを全部切った。


「りんね」

「はーい?」

「私も、大好き」


 彼女はそっぽを向いたまま言う。

 私は、にこりと笑った。


「知ってますよ、もー」

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