第二十一話 

 その晩、昇龍はなかなか眠れなかった。

 中華マフィア。イタリアマフィアとかよく聞くけど、中国もよく耳にする。

 貫禄のある体格のヒゲのおじさんが高そうな椅子に座ってぶっとい葉巻をふかしているイメージしかない。

 そう言えば老師の家にはテレビも無ければラジオもない。もしかしたら日本にいたときにニュースで聞いたのかもしれない。

 組織自体は小さかったのかもしれない。ただ力があった。恐らくそのボスに力があったんだろう。そうでなきゃあんな強い老師を雇えるわけがない。

 自分の知っている限り、なんとかカルテルとか、なんとかシンジケートとかそんなのがマフィアって呼ばれるやつで麻薬密売組織だったりする。老師がそんなものの仲間なんて考えられない。

 いや待てよ。仲間とは限らない。この家さえ知らせていないし、知っているのはあのパイロットだけだって言ってた。しかもあのパイロットの為なら組織を壊滅させるとも言っていた。

 ということは、だ。老師はマフィアに雇われているだけのボディガードということじゃないか。世界の麻薬の鍵を握ると言われてる中華マフィアが出てくることはほとんど無いけどその大ボスが出て来るときだけ老師はボディガードとして雇われるということか。

 だとすれば相当お給料が支払われているはずだ。でも全然ぜいたくな暮らしをしてない。この暮らしを気に入っているみたいだ。あ、そうか、そのお金でヘリを買って、あのパイロットを雇って彼に整備をすべて任せてるのか。ここの口止め料も入ってるんだろうな。

「あれ? だけどGPSは? あのヘリにGPSが積まれていたらここ一発で分かっちゃうじゃん」

「良いところに気が付いたな」

 隣の部屋から声がした。

 襖も何もなく開けっ広げでお互いの布団が見える状態では、寝言も独り言も丸聞こえだ。昇龍は最後の疑問だけ音声化してしまっていたことにようやく気付いた。

「アレはただのパイロットじゃない。凄腕のハッカーだ」

「は? っかー?」

「ここに来る度にヘリのGPSを少しずついじってる。前回はチベット、その前はモンゴルに行ってたらしい。今日はサウジだったかわしにもわからん」

 そう言って老師は愉快そうに笑った。

「本部の方がヘリを追っているのをヘリ側でキャッチして、ヘリを操縦しながらGPSを操作するんだそうだ。何が何でもここの所在は知らせないつもりらしい。アレが信頼できるのはそういうところだ。お前の戸籍やパスポートを準備したのもアレだ。まあ、アレには朝飯前だろうがな」

「あの人……名前なんていうんですか」

春蘭チュンラン

「女の人?」

「そうだ。だからお前の冬服や林業用の作業服、下着やパジャマにも気が付くんだ」

 なるほど、男の人にしてはずいぶんと細やかな気遣いのできる人だと思っていたが、女性だったのか……昇龍は妙に納得した。

「アレにも一応功夫クンフーは教えたが、アレに何かあればわしは組織を壊滅させる。それだけの力を持っていることを奴らは知っている。だからアレは特別扱いのはずだ。組織にいながら組織の人間じゃない。ただのジジイの送り迎えだ」

 今までずっとパイロットを男の人だと思っていた。思い込みは身を亡ぼす、そう何かの本に書いてあった。今僕は一回死んだ。明日は死なないようにしよう。

 唐突に「フジワラ」という名前が頭に浮かんだ。フジワラ……誰だっけ。でも老師の声で聴いた記憶がある。

 ――さすがにあの位置からフジワラを守るのは無理だった――

 あの位置? どの位置だ。

 そうだ、僕が老師の靴紐を結ぼうとして屈んだ時だ。お父さんの席に爆弾が仕掛けられたのを見たと言ったんだからそのフジワラさんはお父さんの近くにいたはずだ。

「フジワラさんて誰ですか」

 老師はしばらく無言だった。昇龍は老師が答えるのを待った。あるいはこのまま眠ってしまうかもしれなかった。だが、それは無かった。

「その名も迂闊に言うと殺されるぞ」

「老師の周り、そんなのばっかり。空港で僕を助けた時、『お前をスーツケースで守ることができたけどフジワラは助けられなかった』って言いました。老師がマフィアのボスのボディガードなら、なんでそのフジワラさんを助ける必要があったんですか」

「知らん方がいいこともある」

「僕は知りたい」

 老師は大袈裟にため息をついた。こんなときの昇龍は強情だ。

「奴の身内に殺される可能性があったからだ。だがフジワラは有能だった。殺されるには惜しい人材だった。だからフジワラが殺される前に助けてウチにスカウトしろという話がボスからあった。それでフジワラを監視していたらちょうど昇龍が駆けて来て、その背後でヤツの身内が粘土型プラスチック爆弾を固着したのが見えた。間に合わんと思って目の前にいたお前だけ助けた」

「じゃあそのフジワラさんはお父さんのすぐ近くにいたんですか」

「簡単にその名を言うな。ヤツのことは忘れろ。その名は王九龍ワンガウロンより危険だ、いいか、お前死ぬぞ。絶対言うな」

「わかりました。老師の言うことは絶対です」

「じゃあ、一つ命令する。今すぐ寝ろ」

「はい」

 とは言ったものの、昇龍はなかなか眠れなかった。

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