第34話
「そういえば、随分と沢山手紙を書いてましたね」
露火は思い出したように言った。
「はい。今までお世話になったお客様に」
詩兎はここに来てから今まで贔屓にしてくれていた顧客に手紙を書いた。
今までの感謝ともう詩兎が依頼を受けることができないという謝罪の手紙だ。
昔からの顧客は詩兎を指名して研磨を依頼してくれた。
詩兎の腕に惚れ込んだと言ってくれた人もいる。
桜家としては依頼を受けるがそこに詩兎はいない。
「律儀ですね」
感謝と謝罪の気持ちをしたためた手紙を送るのが詩兎の誠意の示し方だ。
「あとは万里と工場のみんなにですね」
詩兎を支えてくれた工場のみんなと姉と慕ってくれた異母弟の存在は当然だが大きい。
殿下は心配するなって言うけど⋯⋯どうしているかはやっぱり気になる。
みんなは既に疲弊している。
倒れていないか心配だし、横暴な父の振る舞いを止められる人もいない。
万里のことも心配だった。
詩兎が家を追い出されたと知って父や継母達に噛み付いていないだろうか。
詩兎が憂いていると、温もりが右の頬に触れた。
気付くとすぐ目の前に露火の整った顔があり、詩兎は息を飲む。
露火の長い骨張った指と大きな手の平が詩兎の頬を包み込んでいた。
「いい加減にして下さい。弟と職人達のことは心配しなくていいと言ったはずでしょう?」
露火は少しだけ首を傾けて静かな声でそう言った。
詩兎がうじうじとしていたことが気に障ったらしい。
窓から差し込む光を背にしてできた影のせいか、詩兎の顔を除く薄い黄色の瞳が金色に輝いて見え、その美しい瞳に苛立ちが滲む。
「も、申し訳ありません」
金色の瞳に圧倒されたこともあり、詩兎は謝罪の言葉を口にする。
露火から見れば、詩兎が自分の言ったことを信じられずにうじうじと心配をしているように思えたのかもしれない。
詩兎は露火から視線を逸らす。
「露火様のお言葉が信じられないというわけではなく……私がまだ気持ちの整理を付けられないのです」
「気持ちの整理⋯⋯ですか?」
露火は『何ですか? それは?』みたいな顔をするので詩兎は困った。
まるで自分がおかしなことを言ってしまったのではないかと心配になる。
しかし、自分は断じておかしなことは口にしていない。
「気持ちに整理や整理する時間が必要なのですか?」
「急に理不尽な理由で家を追出され、皇族の方に保護されるという普通に生きていればそうそう経験することにない出来事が立て続けに起こり、それらの出来事をほんの数日で受け入れる図太さがある人の方が稀かと。やり残したことが気掛かりなのは当然だと思いますが」
露火がきょとんとした表情で心底不思議そうに言うので詩兎は眉根を寄せる。
前から思っていたが、露火には人として大切な何かが欠けているのではないだろうか。
以前から無神経な発言が目立っていたが、それは高貴な身分として周りを気にする必要がないからであると露火の身分を知った時に納得した。
しかし、それとは何だか違う気がした。
「何か言いたそうですね? 不敬には問いませんから遠慮なくどうぞ。言ってもらわなければ分からないので」
「恐れながら、露火様。露火様は相手に対しての思いやりや配慮に欠けていると思います」
不敬にならないと言うのであれば詩兎も我慢しない。
以前から感じていたが、露火には相手の気持ちに対して鈍感過ぎる。
「特に気持ちの面での。私の体調は気遣って下さるのに、気持ちの面での配慮を感じられません」
相手がこう言ったら、どう感じるか、想像できていないように感じる。
相手のことなど気にしなくてもいい身分なので、そのせいかと思ったが、露火の場合は身分をはぎ取られても変わらないように思えた。
「その通りです。俺は他の者よりも感情の機微に疎い。よく気付きましたね」
そりゃ、気付くわよ。
あれだけ神経を撫でるような発言をされれば。
「やっぱりあなたは優秀ですね」
「前々から思ってたんですけど、私のこと馬鹿にしてますよね?」
不敬に当たらないのはどこまでだろうか、と考えることも忘れて詩兎の本音が飛び出す。
「馬鹿になんてしてませんよ。前にも言ったじゃないですか。感心していると」
感心しているような風には到底見えない。
ニッコリと嘘くさい笑みを浮かべる露火がやっぱり苦手だと再確認した。
露火は感情を読み取りにくい。
何を考えているか分からないから詩兎は露火が苦手だ。
父達のように何を考えているか分かりやすい人間の方が楽かもしれない。
そしてやっぱり馬鹿にされている気がする。
「あなたから感情を奪ったのはどなたです?」
詩兎は冗談っぽく、真面目に訊ねてみた。
「母でしょうね」
冗談っぽく訊ねたのに露火からの回答は至って真面目だった。
しかも『母』という言葉に詩兎は言葉を失う。
「よく言われます。俺は情緒の欠落、感情の欠如した人間だと。原因を真面目に考えれば、母親が原因なのではないかと思います」
「ろ、露火様のお母様といえば……前帝のお妃様ですよね……?」
詩兎は恐る恐る訊ねる。
お妃様ともあろう人が、一体どうやって自分の子の感情を奪うことになるのか。
「えぇ。私の母は当時勢力の強かった貴族の娘で周りから蝶よ花よと育てられた。社交界でも常に注目を浴び、誰からも関心を持たれる存在でした。当然、皇后になることを期待され、そのつもり前帝である父と婚約を交わしました」
しかし、前帝が皇后に選んだのは別の女性で、露火の母は側室となった。
「俺を産んで義務を果たした前帝は母の元を訪れる機会を減らしました。母を遠ざけることは政治的な理由で個人的な感情ではなかったと後から聞きましたが、前帝の関心がなくなった母は荒れに荒れました」
皇子である露火を産み、義務を果たした前帝が露火の母の元へ足を運ばなくなった理由を彼女は前帝の関心がなくなったのだと考えたのだと、露火は告げる。
「『お前のせいで美貌も若さも、帝からの関心も全てを失った』と母は俺を詰りました。俺の中の母は常に俺を責め、折檻用の鞭を持っている」
「そ……そんな……」
詩兎は絶句した。
想像もしなかった露火の過去に詩兎は胸が痛くなる。
「露火様は皇子です……どうして……どうして誰も、お妃様を止めなかったのですか⁉」
詩兎の声が怒りで微かに震える。
我が子を……しかも皇子である露火にどうしてそんな仕打ちができるのか。
「母は名家の出身でしたからね。母のすることを咎めることができる者はいませんでした」
「前帝様は……⁉ 露火様は竜王の加護もあるのにっ……!」
前帝は一体、何をしていたの⁉
詩兎は憤りを顕わに声を荒げる。
我が子が妻に虐げられる様子を黙ってみていたというのだろうか。
「前帝は前皇后陛下を愛しておりましたから、俺のことは大して気に留めていなかったのでしょう。いや、気にはしていましたね。前皇后と皇太子を脅かす存在としては認識されていたと思います」
前帝が前皇后、現在の皇太后を深く愛していたのは有名な話だ。
皇太后のために新しく建てられた離宮や二人で過ごすために造られた庭、後宮には多くの女性がいたが、愛したのはその人だけ。
「それに幼い頃は、竜王の加護は現れていませんでした。それどころか、どの竜眼石も操ることのできない欠陥品だと言われてましたよ。それこそ、母が不貞を働いてできた子ではないかと囁かれ、いない者として扱われた」
「それは、まるで……」
自分のことのようだ。
「あなたと同じです。私もあなたと同じく、血を分けたはずの家族が蔑まれ、虐げられていた過去がある。自分は嫌悪する暴力的な母と無関心な父、声を上げても見て見ぬふりする大人達。子供の俺は何を言っても、何をしても無駄だと諦めたのでしょうね。子供が大人から当たり前のように与えられる『愛情』というものを、俺は与えられることがなかった。恐らく、そのせいでしょう。俺が他人の感情に疎いのは」
それはあまりにも悲しいことだ。
この国で二番目に高貴な人がこんな辛い境遇の中で生きてきたなんて誰が想像しただろうか。
子供は大人からの優しさ、思いやり、愛情を与えられることによって自分も相手に優しさや思いやりを持ち、考えることができるようになる。
喜怒哀楽の感情も大人が子供に教えるものだ。
全ては大人が与える『愛情』からなる。
それを与えて貰えなかったのであれば、感情の機微に疎くても仕方がない。
しかし、それはとても悲しいことだ。
詩兎の瞳からほろりほろりと涙が零れ落ちる。
頬を伝って顎の先に向かって滑るように涙が流れた。
「だから俺はあなたを尊敬します。似たような境遇にも関わらず、あなたは感性が豊かで全く擦れたところがない。ひたむきに真っすぐ前を見ている」
「私は……幼い頃からあの状態だったわけではありません。母と祖父から愛情を受けて育った自覚があります」
「そうですね。ですが、天国から奈落に突き落とされた。幸福であった人ほど絶望は深い。それにも関わらず、あなたはまだ他人を思いやれる心がある。俺にはないものです」
露火は詩兎の頬を流れる涙を服の袖で優しく拭う。
「俺があなたであっても、こんな風に他人の話しで涙は流せないでしょう。むしろ、何故他人事で涙が流せるのか不思議に思うくらいです」
露火は呆れたような、それでいて不思議そうな顔で詩兎を見る。
話を聞けば、詩兎を馬鹿にしているわけではないとは理解できる。
本当に分からないからこの態度なわけで。
だから余計に悲しくて涙が出るのだ。
「……あなた様が泣けるほどの情緒をお持ちでないようですので、代わりに泣いて差し上げてるんです」
詩兎は勢いを増す涙を堪えることができず、強がる。
「……なるほど。では、今後はあなたが私の代わりに喜怒哀楽の感情を表現して下さると?」
少し考えるような仕草を見せて言う露火に詩兎は首を横に振る。
違う、違う。そうじゃない。
何でそういうことになるのよ。
「感情は、あなたのものです。喜怒哀楽全ては露火様の中にあるんです。誰もあなたの代わりにはなれません」
「ですが、今は私の代わりに泣いてくれているではないですか」
露火はそう言って詩兎の涙を指の腹で優しく拭う。
甘えるような声と触れて来る手の温もり詩兎は少しだけ絆されそうになる。
「そ……それは、そうですけど……」
確かに、同情で涙は出たが、それが露火の代わりに感情表現することの理由にはならない。
「そうしましょう。今後はあなたが側で私に感情というものを教えてくれる、ということで」
露火は名案だ、と言わんばかりに告げる。
いやいやいや、何でそんな展開になるのよ。
何で同情で泣いただけで、こんなわけが分からないことになるのか。
一体、どうすれば感情を持たない相手に感情を教えることができるのか。
無理に決まっている。
詩兎は速攻で断ろうと口を開きかけた時、詩兎の唇に露火の長い指がそっと押し当てられる。
発言する権利を詩兎は奪われてしまう。
「断ることはできませんよ。お忘れですか? 私は皇族です」
そうでした。
この人は皇帝の次に尊い身分の方だ。
当然、詩兎には皇族の頼み事を断ることなどできない。
しかし、彼の言う『今後』がいつまでなのか分からない。
断れないなら、せめて期限を設けた方が良いわ。
客から無理難題を吹っ掛けられた時は、妥協点を見つけるといいと祖父が言っていた。
詩兎は少し考えて提案をすることにした。
「では……露火様が誰かに対して涙を流すまで、ということでいかがですか? 今の私のように胸が引き裂かれるような痛みで涙する。もしくは極まった喜びの中で流す涙でも良いと思います」
「分かりました」
どちらにせよ、涙を流すということは感情が大きく動くということだ。
感情が大きく動き、涙が流れるくらいになればある程度は他人に対しての思いやりや優しさを持つこともできるはずだ。
「では、涙を流さなければあなたは一生俺のもの、ということで」
蠱惑的に目を細めて形の良い唇が弧を描く。
鳥肌が立つほど麗しい美貌の男は身体の芯が痺れるような甘い声で恐ろしいことを口にする。
詩兎は思わず後ずさりして生唾を飲み込む。
そして自分の言動を後悔したのである。
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