第33話
宮廷で過ごし始めて五日が経った。
滋養のある食事と睡眠に入浴、散歩などの適度な運動、空いた時間は本を読んで過ごし、至れり尽くせりな生活のおかげで詩兎はみるみるうちに肉好きが良くなってしまった。
健康的な生活をしているおかげで身体が軽い。
鏡を見ればやつれてボロボロだった頃の自分はおらず、年頃の娘らしい姿の自分がいて詩兎も驚いた。
「まるで別人ですね」
「そうでしょうね」
詩兎を頭のてっぺんからつま先まで眺めた露火は言う。
露火の包み隠すことない言葉に詩兎は乾いた笑みを零すしかない。
劇的に肉付きが良くなった自覚はある。
だって、食事もおやつも美味しいんだもの。
宮廷の料理人が作る食事は控えめに言って最高だった。
祖父が亡くなってから粗末な食事しかしてこなかった詩兎にとって、宮廷の食事はとってもとっても豪華で残すことはできなかった。
出されたものはなるべく無駄にならないようにしたいし、特に好き嫌いのない詩兎は出されたものはほとんど食べた。
あまりにも量が多い時は侍女のみんなに分けて、残飯として処理されないように心掛けていたらみるみるうちに自分の肉付きが良くなってしまったのである。
「かなり肉付きは良くなった気がしますが、まだまだですね」
露火からまるで品定めをするかのような視線を向けられた詩兎は訊ねる。
「それはもっと肉付きを良くしろということですか?」
「そういうことですね」
一体、何のために……と口に出そうとした瞬間、身体がふわりと浮いた。
「っ⁉」
いきなり両脇から持ち上げられ、高い位置で身体はブレることなく停止した。
詩兎は驚きのあまり言葉を失ったまま、無礼にも露火を見下ろすかたちになる。
薄い黄色の瞳が真っすぐに詩兎を見上げており、吸い込まれそうなその美しい瞳に息を飲んだ。
「軽過ぎます。世の女性達はもっと重いですよ」
世の女性達をこんな風に持ち上げているのか、と反射的に口から出そうになった言葉を詩兎は何とか飲み込んだ。
言葉はどうあれ、心配してくれているのかしら……?
そう考えると少しだけ胸が温かくなる。
「その辺りの令嬢達のように豚になれとは言いませんが、骨と皮では人かどうか見分けがつかないでしょう?」
「…………」
露火の悪辣な発言に詩兎の温かくなった胸は一瞬にして冷たくなる。
露火の言葉には何の悪意も感じないので質が悪い。
ニコニコとまるで挨拶でもするようにサラっと令嬢達を『豚のようだ』と言うのだ。
『豚のようだ』じゃないわね。『豚』って言ったわね。
「医者から聞きました。痩せすぎて月のものが途絶えていたそうですね」
詩兎は露火の発言にぎょっとする。
確かに、詩兎は一年以上前から月のものが来ていない。
医者にもそのことを聞かれて、そのまま正直に答えた。
露火の耳にも入るかもしれないとは思っていたが、こんな風に露火が指摘してくるとは予想していなかった。
「あなたの身体は生命機能を維持するために本来当たり前に備わっている生殖に関わる機能を止めたのです。明らかに異常な状態だったんですよ」
真剣な声で露火は言う。
静かに説教をされている気持ちになり、詩兎は居たたまれない。
露火の言う通り、そういうことなのだと詩兎も理解している。
粗末な食事、足りていない睡眠時間、詩兎がこれまで倒れたことがなかったのは恐らく生命を維持するためにすぐには使わない身体の機能を止めていたからだと思う。
幼い頃から風邪は引いたことがないので元々、身体は丈夫だ。
丈夫であることが幸いし、今まで大事に至らなかったのだ。
「ですが……つ、月のものも戻りました」
詩兎は言いにくいが伝えるしかなかった。
昨日、腹部に違和感があり、気付いたら出血していた。
ここでの生活で本来の女性としての機能を取り戻しつつあることを詩兎は露火に伝える。
「ようやく正常な状態に戻ろうとしているのです。戻ろうとしている最中であって、元に戻ったわけではありません。食事と睡眠をしっかり取って身体を休めることがあなたには必要です」
正論過ぎて言い返す気も起きないわ。
詩兎は小さく『はい』と返事をして、居心地悪く視線を逸らす。
正論なのだが、その正論で責められている気がして、それがまた理不尽な気がする。
詩兎とて好きでこんな状況に陥ったわけではない。
祖父を失ってから、何とか詩兎なりに家門を守ろうとした結果、身体に負担がかかってしまったのだ。
「責めているわけではありませんよ」
詩兎の心を読んだかのような発言に詩兎はギクッとする。
「顔に『理不尽』と書いてありましたので」
「も、申し訳ありません……」
「あなたはすぐに顔に出ますね。だから余計にあのロクでもない父親達の勘に障ったんでしょうね」
図星だ。
自覚はある。
「そんなことよりも、身体は辛くないですか? 月のものは人によって症状が様々だと聞きます。無理をしてはいけませんよ」
露火の意外にも優しい言葉に詩兎は驚く。
またあけすけに何か言われるのかと思ったのに……。
「……そ、それほど辛くはありません……症状を軽くする薬を処方して頂いたのですが、飲むほどでもないので。ただ、少し腹部に違和感はありますが……」
久しぶりの月のものなので、身体全体に違和感がある。
けれども、薬を飲むほど辛いわけでもない。
「そうですか。月のものが過ぎるまではゆっくり過ごして下さい。それが過ぎたら以前お話していた仕事をお願いしたいと思っていますので」
「それは、『華祭り』の研磨師試験のことですか?」
今年は陛下の即位十年の節目の年となる。
『華祭り』をより完璧なものにしたいという露火の熱意は強いようで、そのために詩兎が必要らしい。
「えぇ。それからあなたの肩書きは宮廷研磨師となります。研磨師達との顔合わせも必要ですので、研磨局へお連れします」
研磨局とは宮廷にある部署の一つで竜眼石の研磨を行う場所である。
宮廷に研磨師がいるにも関わらず、露火はわざわざ王都北部にある桜家まで自ら足を運び、研磨の依頼をしていた。
きっと研磨局の者達はそれを面白く思わないだろう。
加えて露火は詩兎を華祭りの研磨師候補に宮廷研磨師として選出しようとしている。
露火は立場上、詩兎を宮廷研磨師の肩書きを与えることはできても、個人として研磨師候補にすることができない。
できるとしても、せいぜい口添えくらいだろう。
露火の力が及ばない場所で詩兎は自分の力で研磨師候補にならなくてはならない。
嫌がらせの一つや二つは覚悟しないといけないわね……。
自分の生活と弟や工場の職人達の生活もこの仕事に掛かっているのだから、やるしかない。
詩兎は心の中で決意を固める。
「……殿下、とりあえず降ろして下さい」
今の今まで詩兎は露火に抱き上げられたままだ。
流石に腕が怠いのか、途中から縦抱きにされて、詩兎の身体は露火の腕に脚と背中を支えられている。
詩兎は露火の頭の後ろから肩に腕を回している状態だ。
自分の貧相な胸を露火の顔面に押し付けそうで恐怖である。
何せ貧相なのでそこまで過剰な心配はないが。
「俺とお嬢様の仲なのですから、露火と呼んで下さい」
詩兎が少しでも身を離そうとすると、露火は詩兎を見上げてにっこりと微笑む。
「そういうわけには参りません」
どんな仲だ。
恩はあるが、特別な関係性ではないと詩兎はきちんと線引きをしているつもりだ。
周りに誤解されるかもしれない振舞いはやめて頂きたい。
しかし、露火も引く気はないようで、詩兎が頷くまで降ろす気はないようだった。
「人目がない時であれば……露火様とお呼びしてもよろしいでしょうか」
観念した声で詩兎がいうと露火は満足そうな笑みを浮かべて詩兎を丁寧な手つきで床に降ろしてくれた。
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