第27話

 確かに想像に難くない姿だ。西浦は体格に恵まれていたが、幼少期に父親から暴行を受けたせいで傷だらけだった。


 いや、西浦の過去はどうでもいい。どうして西浦がこんな姿になっている?


「白亜、君が西浦をこんな姿にしたのか?」

(そうですわ。治癒魔法の応用ですの。碧さん、お気に召して?)

「ふざけるな!!」


 あらんかぎりの力で喉を絞り、僕は叫び声を上げた。

 

「西浦は人間だぞ! それを……それをどうしてこんな姿に……!」

(ゴーレムの体型維持は困難ですが、西浦くんであれば可能だと判断しました。その上で戦闘用に体細胞を改造し、活用させていただくことに致しました)


 僕は自分が膝から崩れ落ちるのを感じた。樹凛は衝撃のあまり、ぽかんと立ち尽くすしかない様子。


(白亜、てめえ! お前が行使したのは、神様だって否定した禁断の魔法だぞ! どうしてそこまで地上界の人間に拘ったんだ? 西浦は……碧や樹凛のダチになってくれるかもしれなかったのに!)


 黒木の言葉を受けて、僕は改めて白亜の顔を見上げた。そして、ぞっとした。

 彼女の目が、薄い灰色に染まっていたのだ。まるで目の前で抗議する僕や黒木など、目に入らないとでも言わんばかりに。


(やれやれ、君も口うるさくなったね、黒木)


 ふっと脱力し、突っ立っている白亜。タメ口になったからか、随分と本音に近い言葉で、またはまるっきり本音で話しているように聞こえる。


(ああ、邪魔しないで。これはわたくしなりのルーティンでしてね、一服する権利を与えられている。地上界のものと違って副流煙は出ないから、そこんところの心配はいらないよ)


 白亜が右手を宙に差し出すと、掌から真っ直ぐ上に何かが現れた。

 箱入りの煙草だった。慣れた手つきで一本引き抜き、片端を口元に持っていく。

 左手の魔法で火を点けたこと以外は、地上界の人間の煙草の扱いとそう変わらない。

 しかし、聖職者のような格好と煙草の紫煙のギャップがこれほど酷いとは。


 黒木はぐっと拳を握り締めているが、白亜を攻撃しようとはしない。きっと、全力で戦ってしまうと両人ともただでは済まないのだろう。

 地上界での警戒任務にあたることができなくなる。大きな損失だ。


(すまねえ、碧。樹凛も。お前らのダチになるかもしれねえ地上界の人間を、怪物に変えちまった)


 拳を解き、手を震わせながら黒木は俯いた。

 もちろん、黒木が悪いのではないことは承知している。では白亜が悪いのか、と訊かれれば、そうかもしれない、と僕は答えるだろうか?


 見上げると、白亜は煙草の吸殻を携帯用灰皿に押し込むところだった。律儀なものだ。とても西浦を無感情な兵器に改造するような人間の挙動とは思えない。

 ああ、人間ではなくてエルフ、だったな。


 僕が頭の中を整理しようと必死になっていると、突然円形の扉が現れた。目を上げると、ちょうど神様が境界を跨いでくるところだった。

 ボディガードらしい、黒装束のエルフを数名従えている。微塵も温もりを感じさせない様子だ。


(ああ、皆ここにいたんだね! ボク、五人がどこに行っちゃったのか、ずっと心配してたんだよ?)


 その割には、だいぶ穏やかな笑みを湛えていらっしゃるようだが。

 ……そうだ!


「神様、僕からお願いがあります!」

(おっと! まあ内容によるけど、言ってみ言ってみ)

「この戦いが終わったら、このゴーレムを元の人間の姿に戻してやってください! こいつは西浦なんです。立派な苦労人なんです! どうか、どうか……」


 その場でうずくまる僕。誰がそれを見て、何をどう思うか? 知ったこっちゃない。

 だが、人間としての西浦の無事を願っていることは偽りではないのだ。


 僕は這うように進み出て、神様の腰元を掴んだ。微かに神様の手が動く。ボディガードたちに、静観するよう指示したのだろう。


(ごめんよ、碧くん。今の魔術では、一旦怪物化させた人間や動物を元の姿に戻すことは、絶対不可能なんだ。もちろんボクがやっても駄目だし、今この星にいる神様たちを集めて魔力を一点集中させても無理だ)

「そんな! やってみなくちゃ……」

(もう試したさ。でも、無理だったんだ。その原因すら分かってはいない。確かに言えることは、とてつもない魔力量と超高度な技術を以てしても無理だった、ということだけ)


 流石に僕も、もう一度やってみてください、などとは言えなかった。

 神様は僕の肩を軽く叩き、言った。


(三十二階層から地上降下用ポッドが準備態勢に入る。どうやら地上界の人間は、東京都西部の山林地帯で、対天使用兵器の試験運用に当たっている。君たちには、その制圧に当たってもらいたい。どうかな?)


 なんだか怒ってばかりだが、今日一番の熱を帯びた感情が、再び僕を叫ばせた。


「ふざけるな!!」


 周囲がざわついたがお構いなしだ。きっとこの洞窟にいるエルフたちは、全員の耳に届いただろう。唯一涼しい顔をしているのは、やはり神様だった。


(怒りに身を任せるのも、時には大事なことかもしれないな。でも碧くん、実際のところどうなんだい? 君にとって西浦くんという人物は、救うに値する存在だと言えるのかい? 君は今まで、彼のせいで散々いじめの被害に遭ってきたというのに。西浦くんはその首謀者だよ? 生かしておいていいとでも思うのかい?)

「……彼は心を入れ替えたんだ。ちゃんと話せば分かってくれるよ!」

(心、か)


 神様は他のエルフたち同様、軽く地面から浮かび上がりながら顎に手を遣った。

 

 洞窟内が静まり返って、恐らく十秒くらいは経過したと思う。

 また別の誰かが、円形ドアから入ってきた。伝令だろうか。


(神様、非常事態です!)

(ん。どうした?)

(我々が、対天使用兵器の研究所に乗り込んだところ、予想以上にガードが固く……)

(実弾で発砲されたのかい? ボクたちなら簡単にすり抜けられるはずだけど)

(それが、回避できないのです! バリアやシールド、それに携行用の盾までもが貫通されます! これは……)


 間違いない。今の地上界には、既に天使を迎撃し得るだけの装備が整っている。いや、初期段階の量産型モデルは十分量製造されたようだ。


 こんな情勢でも、神様はやはり冷静というか、一人だけ心地よい冷風に当たっているというか、余裕の姿勢を崩さない。


(了解。今からゴーレム小隊を送り込む。戦闘中の面々に、ゴーレムの陰に入りながら戦うように知らせてくれ)

(了解!)


 伝令らしきエルフは引っ込んで、代わりに、僕たちが通ってきたものよりずっと大きな円形ドアが現れた。

 いつの間にか洞窟壁面で形成されていたゴーレムたちが、黙々と歩み入っていく。


「に、西浦!」


 僕が声をかけると、そのゴーレムはモノアイ状の目で僕を一瞥した。しかし反応はそれだけで、彼もまた円形扉の向こう側へと姿を消してしまった。


(やれやれ、すっかり出遅れましたわね、わたくしのゴーレム……)


 振り返ると、そこには元の口調に戻った白亜がいた。

 こちらを馬鹿にしてはいない、嫌味を垂れてもいない。それでいて、聞いている相手を自己嫌悪に陥らせる。白亜の言葉は、そんな声音で述べられていた。


 結局、僕には何もできなかった。もちろん、いじめられっ子扱いされないように強くなりたい、という初期目標は達せられた。だが新たな目標、すなわち西浦の救出には何の策も出せずにいる。


「くそっ……」


 僕が悪態をついた、次の瞬間だった。

 僕の隣にいた人物が、さっと腰を上げた。樹凛だ。しかも丸腰ではない。長さ二十五センチほどの、淡い緑色を帯びた短剣を腰に差している。


「碧くん、この戦いをやめさせて、皆が傷つかないようにしよう。もし西浦くんのゴーレムが生き残ることができれば、彼を人間に戻す手段を探す時間が稼げるし」


 僕はしばし、樹凛を止めるべきか否かで混乱した。

 神様と称されるエルフたちでも、変身後の動物を元には戻せなかったという。

 しかしそれは、天国での話だ。


 地上界は、魔法が存在しないぶん、科学技術は天国より発展している。こちらからアプローチしてもいいのではないか。


「僕たちは、ゴーレムにされた西浦剛という少年を元の姿に戻すことを考えています」

(ふっ、はははっ!)


 白亜が派手に笑い声を上げる。今までの経過を見ればそうだよな。

 所詮無理だと決めてかかっている。他のエルフたちは、嘲笑こそしなかったものの、戸惑いや半信半疑といった表情だ。


 ここで僕は、自分たちにとって最善の状況というものを考えてみた。

 一つ目。生きたまま地上界へ戻ること。

 二つ目。対天使用兵器の開発・使用を、地上界の人間たちに止めさせること。

 三つ目。西浦を元の姿に戻させ、これ以上僕たちの生活に干渉しないようにすること。


 僕は、丸いドアの前で立ち竦んでいた樹凛の手を取った。

 覚悟を決めたのか、彼女もぐっと頷いた。


 こうして僕たちは、ゴーレムたちの後を追って地上界へと出向いた。

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