第9話
翌日の昼。
俺達は昼食を食べ終えて、夜飾師・スタジオに向かっていた。
太陽達の光が眩しい。朝からずっとこの明るさ。いや、昨日からそれよりも前から明るさは変わらないのだろう。雨などが降っていないかぎり。考えるだけでぞっとする。
人工的に夜を作るのは人間の感覚を狂わせないためにも正しい行いだと思う。そうしないと確実に数日で神経がおかしくなり体調を崩す。
マーレンナハトで住む人々は他の世界で住む人達よりも命の危険と隣り合わせの生活をしていると思う。
夜飾師・スタジオが見えてきた。入り口に作業着を着た男性が立っている。
あれはリゲルさんだ。
「おはようございます」
リゲルさんが手を振っている。
「どうも。おはようございます」
「おはようございます」
俺とエマは手を振り返した。そして、歩く速度を上げて、リゲルさんのもとへ向かう。
「どうも、よく眠れましたか?」
「まぁ、それなりに」
「ばくすいだよ。すごいでしょ。えらいでしょ」
エマは自慢げに言った。
それは自慢することなのか。子供の褒めてもらいたい点はいつも不思議だ。まぁ、寝る子はよく育つと言うからその点で評価してくれて言うなら自慢すべきことなのかもしれない。
……何を考えているんだ。俺は。そんな事で悩む必要はないだろ。
「そうだな。偉いな。エマちゃんは」
リゲルさんはエマの頭を撫でた。エマは嬉しいそうににやけている。
「すいません。出迎えてもらって」
「いいえ。お二人をお連れしたい場所があるのでここで待っていただけですから」
「……そうですか」
「おつれしたいばしょって?あと、ふたりといっぴきだよ」
「キウ」
ネックレスの姿をしたキッキが鳴いた。きっと、俺も居るよと言ったのだろう。
「そうだったね。ごめんね」
「キウー」
「それでどこへ行くんですか?」
「博物館です。まだオープン前の」
「いいんですか?」
「はい。その代わりにお願いが一つあるんですがいいですか?」
「俺が出来るものならいいですよ」
「博物館の事を記事にしてもらいたいんです。別界からも来てもらいたいので」
「大丈夫ですよ。お受けします」
「本当ですか。ありがとうございます」
リゲルさんは握手を求めてきた。俺はそれに応じた。夜空を描く以外にも色々と仕事をしないといけないのだろう。ちゃんと家族の時間とかはとれているのだろうか。……失礼だ。他人の家庭の事に土足で踏み込んでいけない。
「では案内しますね」
リゲルさんは歩き出した。
「たのしみ、たのしみ」
エマはとても嬉しそうだ。今にもスキップしそうだ。
俺達はリゲルさんの後に着いて行く。
夜飾師・スタジオから5分程歩いた場所に博物館は建っていた。ドーム型のレンガ造りで大きさは近くに建っている建物より少し大きいぐらい。特別変わった雰囲気は感じない。失礼になるが想像していた博物館より迫力はない。
「ここが博物館です」
「はくぶつかん」
「迫力ないですよね」
「いえ、そんな事ないですよ」
心を読めるのか。いや、そんなはずない。一瞬、焦ってしまった。
「優しいですね。でも、大丈夫です。中に入ればきっと楽しんでもらえますから」
「……はい」
「入りましょう」
俺達は博物館の中に入った。壁には博物館の地図が貼られている。
「……地下18階まである。これって本当ですか?」
「はい。それに現在拡張中です。最終的には地下30階にして博物館兼アミューズメント施設になる予定です。まだ、18階までしか出来てないでのでオープンから当分の間は18階より下は利用できませんが。出来次第都度解放していく予定です」
「……凄い技術力ですね」
「ありがとうございます。この技術力は限られた土地を最大限に利用する為なんです。この技術を使って、地下に農園や牧場などを造って、食料を生産してるんです。だって、街から出たら灼熱地獄ですからね」
「……たしかに。それにしても凄いです」
人間は逆境に立たされると真価を発揮する生き物だと感じた。人間はものが溢れている場所よりも物が少ない方が素晴らしいアイデアを生み出すかもしれない。
「なにがすごいの?」
エマが訊ねて来た。
「えっとな、簡単に言えばこの下に18階立ての建物が埋まっているんだ」
「え!ほんとうに!それじゃ、このかいがいちばん上のかい?」
理解が早い。さすがわが娘。
「そう言うことだ」
「あんびりーばぶ」
エマは両手を挙げて言った。驚いた時にこの動作をする事がある。本当にたまにだが。
「あ、安心してください。ちゃんと、地下全ての階は温度調節されて過ごしやすくなっていますから」
「そうですか」
「じゃあ、進みましょうか」
「はい」
エレベータに向かって歩き出した。
この階は売店やフードコートなどがある。まだ、オープンしてないから利用は出来ないが。
エマは売店に置かれているおもちゃや夜空柄のネクタイをしたテディベアを見て、ものほしげな表情をしている。
駄目だぞ。この前、うさぎのぬいぐるみ買ってあげたんだから。それにそのおもちゃやテディベアは販売前のものだ。
「……ジェード」
「駄目だ」
「なにもいってないよ」
「どうせ、おもちゃほしいだろ」
「……うん。あのくまさんがほしいの」
「駄目だって言っただろ」
「くまさんがほしい」
「駄目。仕事中なんだぞ。今」
「くまさんがいっしょにいたいっていってる」
動物の言葉が分かるのは知っている。けれど、テディベアは熊の形をしたぬいぐるみだ。決して、動物ではない。だから、それは?だ。
「言ってない。絶対に言ってない」
「いってる。ぜったいにいってるもん」
「あとで記念に一つ差し上げますよ」
リゲルさんは言った。
「やったー」
「え、リゲルさん。ちょっと、それは」
リゲルさんは俺を手で制した。
「まぁ、条件付きだよ」
「じょうけん?」
「それならいいですよね」
リゲルさんは言った。
「……はぁ」
一度条件を聞こう。条件次第で断るかを決める。リゲルさんには子供が居る。だから、簡単な条件にはならないはずだ。
「この博物館を楽しむ事とお父さんの言う事をちゃんと聞くこと。その二つが守れるならあげるよ」
「まもる。ぜったいにまもる」
「じゃあ、おじさんとゆびきりげんまんしよう」
「うん。わかった」
リゲルさんとエマは小指と小指を引っ掛けあった。
「ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本飲ます。指切った。よし、これでOKだ」
「ジェード、いいこにするからおねがい」
「……はぁ。分かったよ。けど、ちょっとの間おもちゃはなしだからな。だから、今日貰うおもちゃと今まで買ったおもちゃを大切にするんだぞ」
「うん。たいせつにする」
「じゃあ、リゲルさん。すいません。あとで、ぬいぐるみを一つください」
「はい。必ず。では、エレベーターに乗りましょうか」
「はい」
リゲルさんはエレベーターのボタンを押した。エレベータのドアが開く。
俺達はエレベーターに乗った。
エマはドア前に立ち、何度もつま先を上げたり下げたりしている。きっと、ワクワクしているに違いない。
リゲルさんはエレベーター内の壁に付けられている階数ボタンの10階を押した。すると、エレベーターのドアが閉まり、下降し始めた。
「大変ですか?女の子は」
リゲルさんが耳元で囁いた。
「……はい。色々と」
「先ほどは勝手な事してすいません。あれしか方法がないと思いまして。ぬいぐるみやおもちゃを置いていたのはこちらの責任ですし」
「いえ、こちらこそすいません。それとありがとうございます。ぬいぐるみ」
「いえいえ」
気を遣わせてしまった。そして、こんなに気を遣える人でも子供とは上手くいかないものなんだと思った。
「なにおはなししてるの?」
エマは振り向いて、訊ねて来た。
「なんでもないよ」
「ほんとうに?」
「本当だよ。あ、もう着くからドアから少し離れて」
「わかった……ちがう……わかりました」
エマはリゲルさんの指示通り、ドアから少し距離をとった。
エレベーターの下降が止まり、到着音が鳴る。そして、ドアが開いた。
「じゃあ、行きましょうか」
「はい」
リゲルさんがエレベーターから降りた。俺達も降りる。
「うわーまっくら。お、みちがある」
エマは興奮気味に言った。
フロア全体が暗い。床には道になるように蓄光パネルが敷き詰められている。怪我防止や迷子にならない為にだろう。
「この階は何のフロアなんですか?」
「この階はですね。歴代の夜飾師が描いた夜空を自由に見れる階になっています」
「そうなんですか。でも、なぜこんなに暗いんですか?」
「ちょっと進めば分かります」
リゲルさんは言った。暗いせいで表情が見えない。
「そうですか」
「はい。では行きましょう」
リゲルさんは進み始めた。俺達はリゲルさんに着いて行く。
奥の方に進んでいるがこれっと言って変化が見えない。リゲルさんの言葉の真意が分からない。
「もうすぐです」
「何がです?」
次の瞬間、両側の壁が星達が煌く夜空を映し出した。まるで、今まで荒地だった場所に突然綺麗な花々が無数に咲いたみたいだ。
温かい。決して、体温が上がっている訳ではない。なんだが、夜空に優しく抱き締められているかのような感覚がした。
「どうです?」
リゲルさんは得意げな顔で言った。
「……凄いです」
ただただ、感動している。言語化しようとしても感情がその行為を止める。この光景を目に焼き付けろと言わんばかりに。
人間と言う生き物は心揺さぶられる体験をした瞬間はその事を言語化できないのだと感じた。
「きれい」
「キーウ」
エマとキッキも両側の壁の夜空に心奪われている。
「……よかった。そんな風に言ってもらえて。結構、演出には凝ったので。じゃあ、進みましょうか」
リゲルさんの表情はホッとしていた。きっと、俺達の反応がとても嬉しかったのだろう。こう言うものは自分達がいいと思っていも、客が良くないと思ったら意味がないだろうから。
俺達は奥に進んだ。すると、ドアが見えてきた。
「あ、ドアだ。ドアのむこうにはなにがあるの?」
エマがリゲルさんに訊ねた。
「……それはねぇ、開くまで秘密だよ」
「えーリゲルさんのいじわる。きになる、きになる」
エマはだいぶリゲルさんに心を開いたみたいだ。まぁ、元々人見知りする子ではないから心配はしていないが。
「じゃあ、開けるよ」
リゲルさんはドアのドアノブを掴んで言った。
「ワクワク、ワクワク」
エマの感情は言葉になって漏れている。本当にこの子は感受性豊かの子だ。
リゲルさんはドアを開けた。ドアの向こう側には無数のドアが見えた。ドアの上部分には年代が書かれたプレートがある。
「ドア、ドア、ドア。ドアばっかり」
エマは見たことをそのまま口にしている。
「エマちゃんは、どの時代のどの日の夜空を見たい?」
「うーんとねぇ。エマのたんじょうび」
「誕生日ね。いつかな」
「2820年11月11日だよ」
正式にはエマと出会った日だ。本当の誕生日は誰も知らない。
「……えーっと、アルモネシス暦で言うと?」
「アルモネシスれき?」
「295年11月11日です。すみません」
俺はエマの代わりに答えた。まだ、エマにはアルモネシス暦の事を教えていなかった。
アルモネシス暦。それは別界共通の紀元。それぞれの世界には独自の紀元がある為混乱を防ぐ為に作られたものだ。だから、自分達の世界の西暦とアルモネシス暦で答えられるようにならないといけない。
「五年前ですね。じゃあ、こっちです」
俺達は290~299年と書かれたプレートが上部にあるドアに向かった。
リゲルさんはドアを開けて、部屋の中に入った。
俺達も部屋の中に入る。
リゲルさんが部屋の中の電源を点けた。部屋の中は明るくなった。
部屋の中は映画館にある背もたれが付いている椅子が並んでいた。
「お二人共、どこでもいいので座席に座ってください」
リゲルさんが俺達に指示を出す。
「ジェード、まんなかにいこう」
「あぁ」
エマは俺の手を掴んで、部屋中央にある椅子に向かって走り出した。
俺はエマの走る速度に合わせて走る。
「エマ、別に走らなくてもいいんだぞ。座席は逃げないから」
「なにーかな、なにーかな」
聞いちゃいない。エマは一秒でも早く座席に着く為に走っている。
エマは楽しみの対象を見つけるとその対象にしか集中しない事がよくある。家に居る時などはいいが人が大勢居るところでこの状態になるとやや面倒。まぁ、集中出来る事自体は悪くない。だから、使い分けできるように教えてやらないと。
部屋中央に位置する座席の前に辿り着いた。
「すわろう」
「わかった。一つだけいいか?」
「なに?」
「こう言う所では走ったら駄目だぞ」
「なんで?」
「もし、大事な機械とかに当たって壊してしまったら弁償しなくちゃいけないんだ。それにこけたら痛いだろ」
「いたいのはいやだ。べんしょう、ジェードがこまる」
「そうだ。美味しいもの食べられなくなるぞ」
「おいしいものがたべらなくなるのはいやだ。はんせい。つぎからはちゃんとする」
「エマ、お前は偉い子だ」
俺はエマの頭を撫でた。
「エマ、えらいこ。うれしい」
エマは嬉しそうだ。
この子にも反抗期が来るのだろうか。もし来たらどんな子になるのだろう。ジェードの服と一緒に洗わないで、加齢臭が移るとか言われるのかもしれない。そんな事言われたら数週間は落ち込むだろう。そして、その落ち込んでいる姿を見て、キモいとか言われるのだ。で、また傷つく。頼むから反抗期は来るな。
俺は溜息を吐いた。
「どうしたの?」
エマが不思議そうに顔をのぞいて来る。
「なんでもないよ。座ろうか」
「うん。すわる。キッキ、楽しみだね」
「キウー」
俺達は座席に座った。背もたれの部分が自然と沈んでいき、天井が良く見える角度で止まった。
「電気消します」
リゲルさんは部屋の電気を消した。
「じゃあ、エマちゃんが生まれた日の夜空を映し出しますね。ちゃんと、天井見ててください」
「はーい」
エマは返事をした。
天井の夜空が写し出されていく。自分達の世界で言うプラネタリウムみたいだ。
「きれー。これがエマがうまれた日のよるのおそらなんだ」
エマは言った。
「そうだな」
本当の事は言えなかった。
俺はあの日からエマにどれだけの?を吐いてきたのだろう。それぞれの?はエマを傷つけない為に吐いてきたつもりだ。でも、もしかしたら自分を守る為だったのかもしれない。いや、違う。俺はそれが正しいと思って?を吐いてきたのだ。真実と正論だけが人を守るのではないんだ。
「いいなー。ジェードはこんなきれいなよるのおそらをみたんでしょ」
「自分達の世界の夜空だけどな。あの夜空も綺麗だったと思うよ」
「ぜったいそうだよ。エマのうまれた日のよるのおそらだもん」
「……そうだな。絶対にそうだ」
涙がこぼれた。悲しくて泣いているんではない。辛くて泣いているんでもない。涙の理由が分からず泣いているのだ。普段なら記者として感情を言語化する。だけど、今、胸の中にある感情を言語化したら駄目だと思う。もし、言語化したら軽薄な言葉になってしまうはず。だから、言葉にしてもいいと思うまで、この感情は胸にしまっておこう。
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