第5章 研究所: 5-10 トンネル
四人は探偵事務所の車に乗り込み、旧国道を北西へと進んでいた。ヘッドライトが闇を押しのけ、舗装の剥がれたアスファルトをぼんやりと照らす。地図と衛星写真を突き合わせた結果、山の斜面を縫うように走るこの旧道の中で、トンネルがある可能性はただ一か所に絞られていた。そこが、あの匿名の電話で告げられた“長いトンネル”に違いなかった。ラジオからはノイズ混じりの音が流れ、車内の沈黙をいっそう際立たせていた。
運転席の神崎は真剣な表情でハンドルを握り、額に浮かぶ汗を拭った。慎重にカーブを曲がるたび、フロントガラスに映る闇が深く沈んでいく。助手席の久保田はカーナビに映る地図と前方を交互に見つめていた。車内には緊張が張りつめ、時計の針が午前零時を指していた。夜を選んだのは、昼間では監視の目が多すぎるためだった。闇の中なら、誰にも気づかれずに動ける。
「本当に、こんな場所に研究所の入り口があるの?」彩音が小さくつぶやいた。声はラジオのノイズに飲まれ、返答はなかった。彼女はメモを握りしめ、唇を噛む。
久保田は落ち着いた声で答えた。「わからない。でも、行くしかないわ。」その一言に、車内の全員が小さく息をのみ、再び沈黙に戻った。
旧国道は一車線の細い山道で、路肩は雑草に覆われ、ガードレールはところどころ錆びている。遠くに街灯がいくつか見えるが、光は弱く、車のライトを消せば即座に闇が支配するだろう。新設されたバイパスに交通が流れた今、ここを通る車はほとんどない。両脇には朽ちた倉庫や商店が並び、看板は剥がれ落ち、鎖が風に鳴っている。まるで時間そのものが止まったかのようだった。
「もうすぐです。」神崎がバックミラー越しに言った。声の震えが車内に伝わる。剛志は後部座席で外を見つめ、闇の中に潜む何かを探るように目を凝らした。木々の影が車窓を横切るたび、誰かに見られているような錯覚を覚える。
やがてカーブを抜けた先、二手に道が分かれる地点、山肌迫る側道の向こうに口のような影が現れた。ヘッドライトがそれを照らした瞬間、全員が息をのんだ。岩を削って造られた古いトンネル。入り口には錆びた遮断機が立ち、赤と白の反射板がわずかに光を返していた。周囲は草木に覆われ、足元の泥が湿って冷たい。トンネルの奥から吹き出す風は金属と油の匂いを含み、地面を伝って微かな振動が響いてきた。まるで奥で何かが動いているようだった。
「ここですね……間違いない。」彩音の声が震えた。久保田は頷き、外へ出た。夜気が頬を刺し、遠くで鳥の羽ばたくような音がした。虫の声は途絶え、代わりに低い機械音がトンネルの奥から響いてくる。
「警備があるって話でしたが、静かすぎます。」剛志が低くつぶやいた。冷静に見えて、その手は汗で湿っていた。「おかしいな……。」
「車はここに置いていくわ。」久保田の指示で神崎がエンジンを切る。ライトが消えると、闇が一気に濃くなった。四人は懐中電灯を手に取り、互いの顔を確かめ合う。闇の中で光が一点に集まるだけで、奇妙に心強く感じられた。
「引き返すなら今ね。」久保田の声に、誰も返事をしなかった。剛志がわずかに笑い、「ここまで来て帰るなんて、ありえませんよ。」とつぶやいた。その一言に、彩音が短く息を吸い、全員の視線が再びトンネルへ向いた。
久保田が皆に合図を送り、壁に身を寄せてライトの光を細く絞る。奥を照らすと、岩肌に反射した光の中に金属のゲートと監視カメラらしき影が浮かび上がった。古びた外観とは対照的に、中は現代的な施設の一部のようだった。冷たい空気が奥から流れ、金属の軋む音が響く。
「間違いない。ここが“トンネル”よ。」久保田が呟く。「奥にゲートがある。警備もいるかもしれないわ。」
「正面突破は……無理ですね。」神崎が息を吐く。背後で風がトンネルを駆け抜け、かすかな笛のような音を立てた。全員がその音に耳を澄ますが、誰も言葉を発しない。久保田が周囲を見回し、決断を下すように言った。「まず周辺を調べて。何か抜け道があるかもしれない。」
彼らは手分けして探索を始めた。トンネルの周りの岩肌に沿い、草の間を進み、壁を叩き、地面の傾斜を確かめる。やがて剛志が低く声を上げた。「ここ……開いてる。」
岩壁の脇に、苔むした鉄扉が半ば埋もれるように立っていた。手をかけると、驚くほどあっさりと開いた。中は真っ暗で、埃と油の臭いが混ざり合っている。懐中電灯を向けると、古い配管と錆びたレールが奥へと続いていた。かつて整備用に使われていた通路のようだ。
「うわ……いかにもって感じですね。まさか罠?」彩音が警戒の声を上げた。
「いや、あの電話の主の手引きかもしれない。わざわざ場所を知らせてきたんだ。中に入れるよう細工してあってもおかしくない。」神崎が言う。
久保田は短く息を吐き、一歩前に出た。「どっちにしても、行くしかないわね。」
四人は互いに目を合わせ、静かに頷いた。通路の奥から冷たい風が吹き抜け、まるで彼らを誘うように揺れていた。懐中電灯の光が壁を照らし、細かい水滴がきらめく。音もなく、時間の感覚が失われていく中、彼らは無言のままその闇の中へと足を踏み入れた。
夢紡ぎ @Pirotan40
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