番外編「You sing your song.」
一
『剣と鞘』というバンドを知ったのはたまたまだった。
まだサブスクも普及していなかった時代、高校生らしくロックに興味を持った僕は、高校の帰りに遠回りをして渋谷のタワーレコードに向かっていた。
同級生が勧めてくれた洋楽バンドのインポートCDを何枚か手にとって、インディーズのコーナーに足を運んだ僕の目に止まったのが彼らのインディーズセカンドシングル『名前のない怪物』だった。
彼らのそのCDが目に止まったのは、ショップ店員が『こいつら、絶対売れる!』とポップをつけていたからではなくて、バンド名も曲名も日本語だったのが単にちょっと珍しかったからだ。同じコーナーを見回すとほとんどが英語、それも意味のとりにくいような英語ばかりが並んでいて、そんな中彼らはちょっと異彩を放っていた。
何となく手にとって、試聴もせずにそのままレジに持って行った。
一万円近い会計にうげげとなりながら財布からお金を出していると、
「こちらのアーティスト、本日無料でサイン会やってますので、もしよければぜひ」
と店員に言われた。彼女が持っていたのは『名前のない怪物』だった。
「お、若い子来た」
バンドのサイン会なんて初めてだった。変な緊張感の中時間を潰して、開催時刻に会場へ向かった。
小さなブース、お客さんは数えるほど。女性がほとんどで、僕だけ男で、僕だけ若かった。
「誰にサインしてもらいますか?」
スタッフが聞いてくる。そういうシステムか。とはいえ、もともと知らないバンドなので誰が誰だかわからない。とりあえず僕は名前の後にVo.と書いてあった人を指差した。
「俺か〜」
そう言って椅子に座る青年。年はさほど離れていない。まだ大学生くらいだろうか。
「お、願いします」
言いながらCDを出す。
田伏剣。先ほど書いてあった名前を思い出す。田伏さんはすらすらサインをする。大きい手だ。っていうかこの人は体が大きいし、存在感も大きい。僕は思わず気圧されるように言った。
「あの、すいません。今日初めてバンド知って。まだ全く聴いてないんですけど」
「え、そうなの?」
彼は全く怒らずあっけらかんとしている。
「うわあ、じゃあこっちが緊張しちゃうな」
「え?」
「満足してくれると嬉しいけど。期待はずれだったらどうしよう、こんなサインまで書いちゃって、恥ずかしいじゃん。ははは」
笑う田伏さんに、僕もはは、と笑った。
せっかくなのでチェキもどうぞとスタッフが言う。思わず断ろうとしたけど、本人の手前断るのもなんだか失礼な気がして、せっかくなのでと撮影した。待機していたバンドメンバーと、ぎこちなく小さくピースをする僕。芸能人と写真を撮るなんて初めてです、と言った。
「芸能人!」
嬉しそうに言う田伏に、
「では、まだないかもね」
「だなあ」
他のメンバーがそう言うのを聞きながら写真を受け取った。それでも、その写真の四人はなんだかきらきらして見えた。
家に帰って、CDをパソコンに取り込んで、イヤホンをつけて再生した。
――かっこいい。
まず、音がかっこいい。シンプルな音だ。メロディも綺麗で、印象的。
一度聴いて、歌詞カードを広げてもう一度聴いた。
歌詞も良い。シンプルな音と対照的に物語的な歌詞。
カップリングは逆に抽象的で、少しゆったりした曲だった。
全然違う世界を感じる二曲だった。
そしてその二曲だけで、僕はすっかり心を奪われてしまった。
『絶対売れる!』と書いた店員は間違ってない。これはきっと売れる。でもそれは、今日ちょっとスペシャルな体験をしたからそう思うだけで、それって結局レコード会社の思うツボな気もしたが、まあ、そんなことを言い出したらキリがない。とにかく生で見た彼らの雰囲気がとても良かった――若くて溌剌なボーカル・田伏剣を、他のメンバーがどっしり、しっかりと支えている感じで、互いの信頼関係が見てとれた。
結局、僕はすっかり『剣と鞘』のファンになってしまった。翌日にはファーストシングルを買いに行って、しっかりiPodに取り込んだ。ファンになったといっても彼らはまだただのインディーズバンドだったし、まだSNSも発達していなかったので、活動の告知を彼らのホームページで追いかけるのがメインだ。
そして僕は彼らのページでライブ情報をゲットして、ライブハウスへ向かった。初めてのライブハウス、初めての自分で行くライブは緊張したけれど、メンバーが近くて、かっこよくて感動した。
ライブハウスに通うのにもすぐに慣れた。まだ持ち曲の少ない彼らは洋楽のコピーなんかもしていて、そこから僕はいくつものバンドを知った。ライブのたびに新曲が発表されるのも嬉しかった。
ライブに通ううち、僕は自然と彼らに認知された。というよりも、最初からあの子だなと思われていたようだった。多分、客の中に僕みたいな人が他にいなかったからだろう。
一度、MCで僕のことを話してくれたこともある。
「すごい若いファンの子もいるんですよー」と田伏さんが言った時、僕はどきりとした。もしかして僕のことだろうか。だけど、そんなわけもない。田伏さんは話し続ける。「いやあ、俺たちの曲聴くなんて、センスいいですよね、いつもライブ来てくれてるんですよ、今日も来てくれてます、ほら、彼」そう言って、僕の方を指差してくれた。僕はどうしていいかわからず顔が赤くなって俯いてしまい、「照れてますねえ」なんて言われた。
僕はその頃ギターを始めた。見よう見まねでコードを押さえる練習をして、彼らの曲の一部分をコピーして楽しんだ。
『剣と鞘』の曲は徐々に増えた。ライブでコピーをほとんどやる必要がなくなり、ミニアルバムを出した頃、認知が広がったのか客が如実に多くなった。彼らは順調に売れてきていた。僕は見る目が正しかったんだなと思って誇らしいのと同時に、ある種の寂しさを覚えた。
そして彼らはメジャーデビューをすることになった。
僕はちょうど大学受験の時期で、それでもなんとか時間を捻出してメジャー初ライブに参加した。駅から向かう途中、若くて綺麗な女性たちが嬉しそうに楽しそうに彼らのことを語るのを聞いた。
僕は、なんだか白けてしまったのかもしれない。それは単に受験のせいで自分に精神的な余裕がなかったからもあるだろうけれど、自分がとても大切にしてきたものが衆目に晒されてしまってどうでもよくなるみたいな感じだった。
もしかすると、メジャーデビュー直前にベースが変わったのも大きいかも知れなかった。彼らの事情はわからないが、知らないメンバーが入って、バンドの音も少し変わった気がしていた。
ライブが始まった。最初の曲はインディーズでのデビューシングルで、その次がメジャーデビューの曲で、僕が大好きだった『名前のない怪物』は、途中にさらっと演奏されただけだった。そこにいる人たちも、あんまり知らないみたいなリアクションだった。
彼らは遠くに行ってしまうんだ。そう思った。
――最初から、そばにいたことなんてなかったのに。
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