三(前)

 前から書こうと思っていた話があった。小説家志望の青年、二人の話だ。彼らは文芸部に入り、互いに小説を読ませあう仲になる。だけれど、彼らの小説には歴然とした実力の差があった。才能のある方をA、ない方をBとしよう。Bは悲しいかな、自分にがあった。だからBは小説を書くのをやめてしまう。Aはそれがとても悲しい。確かにBの小説は、プロになれるようなものではないのかもしれなかった。しかしAにとってBの小説は、唯一無二の存在だった。少なくともAにとっては、どんなプロの小説よりもBの小説は魅力的なものだった。BとAの友情にもひびが入り、Bを失ったAは書くことができなくなっていく。

 ラストをどうするかは決めていなかった。決められなかったのだ。しかし、『剣と鞘』の曲を聞くうちに、この話はもっと違う解釈で書けるのではないかという気がしてきた。

 まず大きな変更が、舞台を文芸部から軽音部に変更すること。僕は今まで、ほとんどの小説で小説を書く人間を主人公に据えてきた。だけれどそれを軽音部に変えることで、違った角度から『表現する』ことを描けるのではないかと思ったのだ。そう、僕があの日バンドメンバーたちの笑顔に、全く今までと違う何かを感じたように。

 そして、物語の手触りも変わった。才能のあるなしをはっきりさせず、ともにしのぎを削り合うような感じで……。

 一ページほどのラフだった構想が、どんどんと膨らんでいく。そのBGMは、もちろん『剣と鞘』だ。

 僕の頭の中で、登場人物が、物語が動き出す。

 タイトルは自然と決まった。

 ――『世界と向き合うための方法』。

 これはつまり、Aである田伏に対し、Bだった僕が、世界とどう向き合っていくかを書いた小説なのだった。そこが固まってしまえば、小説はずいぶんとくっきり形ができあがった。


「そうかそうか、執筆は順調か」

 小森は嬉しそうだ。

「よかったよかった」

 言いながら、唐揚げにレモンを絞っている。

「ライブに連れてった甲斐もあったってもんよ」

「それで、話の大筋はだいたいできたんだけど」

 僕の話に、小森が、ん? と反応する。

「あのさ、小森ならわかると思うけど、俺の話って結構が実体験に基づいているっていうか」

「ああ、まあそんな感じだな。だいたい小説書くやつが主人公だし。想像で話を書くってよりは、実体験を元に膨らませていく感じだよな」

「そう、……だから、ちょっと困っちゃって」

「困る?」

「自分の中で主人公が、明確なイメージにまだなってないんだ。僕自身が『彼』をちゃんと掴み切れてない気がする。このまま書き始めると、結局またボロボロになって終わりそう」

 それを聞くと、小森はしばらく考え込む。

「そこを想像力でなんとかするのが作家ってもんじゃないのかね」

 その指摘に、僕は黙り込む。すると小森は笑って、

「なんてな! 嘘、嘘! 要するに、イメージをもっと膨らませたい、んだろ? だったら今、お前がやらなきゃならないことは一つだ」

 そう言いながら、人差し指を僕に向かって突き出してきた。

「やらなきゃならないこと?」

 問いかける僕に小森が笑いかける。

「取材だよ」

 小森はおもむろにスマホを取り出して、急に通話を始めた。

「あ、もしもし? 俺、俺。うそうそ、小森でーす。この前はありがと。……うん、うん、よかったよ。ああ、そう、あいつもよかったって……それで、話があってさあ」

 そこまで聞いていれば、僕は電話の相手が誰なのかは分かっていた。取材って、まさか。

「ほれ」

 動揺する僕の目の前に、スマホが差し出される。画面に表示された通話先は、『田伏剣』。

「ちゃんと自分で説明してお願いしろよな」

 あまりに唐突すぎる話の展開についていけず、電話を押し戻そうかとも思ったが、僕は思い直す。

 ここで取材を頼むことは、いろいろな意味で自分にとって良いことかもしれない。

 無論、『神は細部に宿る』なんて言葉もあるくらいだから、実際に高校生からバンドを組んでいる田伏にインタビューできるのは、間違いなく小説のリアリティを増す結果になるだろう。

 だが、それだけではない。田伏にインタビューをすれば、それが自分へのプレッシャーになる。僕は今までインタビューや取材なんて、ほとんどしないで小説を書いてきたから、完成させることもほとんど自分自身との戦いだった。だけど田伏にインタビューをすれば、田伏のためにも書き上げなければという気持ちに、なれるかもしれない。

 それに、田伏を取材すれば……。

 僕は決心を固め、スマホを受け取って耳にあてた。

「っ、もしもし」

「こんにちは」

 電話越しでも、無駄に良い声だなこいつ。

「あ、あの、……小説を、書こうと思って。今までずっと、自分のことばかり書いてきたんだけど、今度は違うことを書こうと思って。……そう思ったのは、田伏、くんの、ライブを見たからなんだ。あのライブを見てから、ずっと自分の中で何かが鳴ってるみたいな感じがして。それで、今度は自分とは全く違う人を主人公にしようと思ったんだ。音楽が大好きな人を主人公にして、小説が書きたい。だけど、僕は音楽、全然詳しくないんだ。だから、田伏くんに取材をさせて欲しい。勝手なお願いだけど、よろしくお願いします」

 僕は見えないのに頭を下げた。しばらく電話は無音だった。断られるかと思ったその瞬間、

「うん、わかった。いいよ」

 そう返事が返ってくる。

「俺に力になれることがあれば、させてほしい」

「あ、――ありがとう、田伏くん、ありがとう!」

「呼び捨てでいいよ。同級生だろ」

「あ、……うん。わかった」

 そうして早速取材の日程を調整し、僕は電話を切った。

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