愚かで甘ったれな私は、立派なお姉様の代わりに当主の座と婚約者を引き継ぐことになりました〜天才と呼ばれた令嬢と、彼女をとりまく人々の身勝手な言い分について〜
燈子
愚かで甘ったれな私は、立派なお姉様の代わりに当主の座と婚約者を引き継ぐことになりました
第1話
「ルイーゼは我が家の誇りだ」
いつもの朝食の時間。
新聞を読みながら、お父様が嬉しそう笑う。
またお姉様の記事が載ったのだろう。
『勇猛果敢に戦地へと乗り込み、敵味方分け隔てなく救う、麗しき白衣の天使』
お姉様はそう言われている。
「本当に、ルイーゼは我が子とは思えないほどに立派な子ですわ。どうか無事に帰ってきてくれると良いのですけれど」
「あの子は神がこの世界に遣わした天使だ。この度もきっと無事に帰ってくるさ」
お母様もハンカチで目元を押さえながら、しみじみと同意する。母として子を案じる言葉に、父も目を細めながら祈るように呟いた。
「ええ、ほんとうに。お姉様には、神様がついてらっしゃいますもの。きっと、ご無事で帰ってらっしゃいますわ」
父母を励ますように口を開き、私はそっと手を合わせる。
「皆で祈りましょう、お姉さまの無事と、人々の安寧を」
おっとりと柔らかく告げれば、父母も表情を緩め、私を見つめた。
「そうだね、メアリー。そうしよう」
「本当にあなたは、優しい子ね」
いつもの褒め言葉に柔和な笑みを返し、私たちは食事から手を離して切に祈る。姉の無事を。
そして争いが早くおさまり、人々に平穏が訪れることを。
「お姉様は今、二つ隣の国にいるのですよね」
私が確認すると、父は心配そうに眉尻を下げて頷く。
「あぁ、あそこは代替わりしてから治安が悪化して、今は酷い暴動が起きているらしくてね。我が国を飛び出していったらしいよ」
「まぁ、恐ろしい」
気が遠くなりそうな母の横で、私はしみじみと呟いた。
「お姉様は、本当に勇敢な方ですわ」
お姉様は立派だ。
私も心底そう思っている。
けれど、天使というよりは、戦女神のようだけれど。
ルイーゼお姉様は、歴史ある伯爵家の令嬢でありながら明らかな異端だった。
五歳上の姉は幼い頃から才気煥発で、周囲の子供達から浮いていたらしい。私が物心着いた頃には、姉は既に子供の社交界からは飛び出して、大人……特に学術者たちと話すことを好んでいた。
私にとって、姉は最初から偉大なる大人だった。
姉は何事にも優れた才を発揮したが、特に熱中したのは医学者たちとの討論会だ。
とても子供とは思えない知識の広さと考察の深さ、先見性に、当時の医学界には衝撃が走ったらしい。
姉は定期的に彼らの集会に呼ばれるようになり、我が国の医学の現状を知ると、更に貪欲に知を求めた。家の力を駆使して国外まで手を伸ばして最新の情報を集めるようになったのだ。その情報は姉の手による選別を経て、惜しみなく我が国の医学界に提供された。姉のおかげで我が国の医学は一年の間に十年進んだと言われる。
「百年に一人の才媛」
「神が遣わせた、美しき知の女神」
そう呼ばれるほどに眉目秀麗で、溢れる才能に満ちた姉へは、王宮からのラブコールが止まなかった。
少し歳は離れているけれど、第二王子の婚約者にどうか、という誘いもあったほどだ。
当時、幼少の頃から姉を跡取りとして育ててきた両親は大いに慌て、身分が足りませんのでと断ろうとしていた。王子妃となるのは、一般的に侯爵家以上のお家柄だからだ。けれど。
「ルイーゼ自身の価値が、生まれつきの身分などを遥かに上回る」
「ぜひ王族に連なってもらいたい」
とても血統主義の王族とは思えないようなことを言って、王宮はずっと勧誘を続けていた。きっと姉を手中に、せめて国内に置いておきたかったのだろう。
そしてまた、我が国最先端にして、政治からの学問の自由と独立を謳う、聖リリアータ研究所からも、頻繁に勧誘があった。
「ルイーゼ嬢の力は、神から授かったものだ。王族として政務に翻弄されるべきではない。彼女は世俗に振り回されることなく、全人類のために研究を続けるべきだ!」
学問の神リリアータを祀る研究所は徹底した能力主義で、貴族だろうが王族だろうが、最初は研究室補佐員から始めさせると有名だ。
その彼らが、姉には特例として、入所したらすぐに研究室と複数の研究員を持つような地位を与えると、普通に考えたらとんでもない条件を出してきた。
姉が国立学園に在学中、王宮と研究所が姉を取り合い続ける事態になった。しかし、当の本人はどちらの誘いも歯牙にもかけなかったのだ。
「学会の相談役ですら雑務が多くて面倒なのに、王族になるなんて絶対にお断りだわ。研究所に入ったら内部の政治に巻き込まれるし、自分より年上の高慢な部下を統率するのも、権力争いもごめんよ」
姉は、象牙の塔から熱心な勧誘も、王宮からの熱烈なラブコールも、全ての誘いをけんもほろろに断ったのだ。
「私は私の理想のために、私の道を行くわ」
そして姉は、学園を卒業すると、医学を学ぶのだと告げて、あっさり東国に留学してしまったのだ。
「いやぁ、驚いた。今更ですが、ルイーゼ嬢は只者ではありませんな」
「ここまでくると、気持ちが良い」
一切の世俗の価値観を振り払う姉の生き様は、「非常識な変わり者」「愛国心のない恩知らず」などと非難されてもおかしくはなかった。
しかし、前年の流行病の際に、姉が予測した対応策が抜群の効果を上げていたことで、姉の恩恵を受けた人間が
姉を非難する方こそが常識がないと言わんばかりの風潮で、社交界では好意的に受け取られた。
おそらくは、どこまでも謙虚に振る舞う平和主義な我が家の在り方も良かったのだろう。
もし私たちが、姉の業績をもって権力や名誉を求めようとすれば反感を買っただろうが、私たちは「変わり者の天才娘に振り回される、欲のない凡庸な伯爵家」であった。
だからこそ姉の縁者でありながらも、毒にも薬にもならない者たちだと、お目溢しをされていたのだ。
姉は、大陸一と呼ばれる外国の大学すらも飛び級で卒業して、数年で帰ってきた。
「東の医学は、やはり、この世界では最先端だわ。この国はまだ五十年遅れている。……でも、私が百年先の未来に連れて行ってみせるわ」
そんな傲慢な台詞を自信たっぷりに言い切り、姉はすべての
自分自身の人脈と力を手に入れた姉には、もう貴族令嬢という身分など必要なかったのだ。
そして姉は、人の命を救うために、貴族の身分も家も捨ててこの国で初めての女性医師となった。
熱烈を極めた王宮からのラブコールを振り切り、医師として最も名誉と言われる王宮医としての招聘すらも断って、今日もより多くの命を救うために、姉は世界中を飛び回っている。
姉が
あれは私が、姉が背負っていた全てを、手に入れることになってしまった日でもあるから。
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