第37話 リュウの誘い
目標を再確認した後、僕たちはラストスパートをかけた。
桃澤さんを家に送った後、ジムに戻って深呼吸からの攻撃と言う流れを体に沁み込ませていく。
体に沁み込ませるために、それ相応の時間と練習が必要だ。
文字を書くことや話をすることと同じくらい、ごく自然な流れにするためにどれほどの練習が必要なのだろうか。
考えただけでも気が遠くなる。でも、ものにすれば試合中に体が息を勝手に吸ってくれる。無意識に呼吸してくれれば攻撃に集中できるかもしれない。
携帯電話で鮫島昇の動画を見返しながら攻撃の癖や対策を考える。
他の参加者の動きも確認できる範囲で会長が調べてくれていた。
会長から見て、見こみがある者は大会ごとに録画されており、その中に映っていなければ危険視するほどでもないと言う。
ただ、急成長を遂げている者がいる可能性があるので「油断だけはしないように」と釘を刺される。もちろん、油断するつもりはない。獣は兎や鼠を狩る時も全力を出す。油断するなんて、賢すぎる人間くらいだ。
朝練を終え、学校に行くと教室に万亀雄の姿があった。話しかけようと思ったが、万亀雄が一目散に向かったのは桃澤さんのもとだった。
「ちょっといいか。芽生に言いたいことがある」
万亀雄は桃澤さんの手をぎゅっと掴み、筆談すればいいのに教室から連れ出す。どこか、いつもより強引で桃澤さんも何が何だかわかっていない様子。
「えー、なになに、万亀雄の奴、芽生に気でもあったのかな?」
愛龍は万亀雄と桃澤さんの姿を見てニタニタと笑っていた。僕も後を追おうとしたら愛龍に手を掴まれた。彼女は首を横に振り「部外者は立ち入っちゃ駄目でしょ」と言う。
「万亀雄はずっとマザコンとシスコンのまま、一生を終えるのかと思っていたけど、そうかそうかー。万亀雄にもやっと春が来たんだなー」
「な、なんでそう言う話しになるのさ……」
「だって、あの二人、中々いい感じじゃない? 万亀雄はああ見えて誠実だし、成虎と違って女の子を泣かせたりしないし。芽生も我の強い男の方が案外相性よさげかもーってね」
愛龍は万亀雄と桃澤さんの関係を暖かい目で見守る様子だ。
つまり、愛龍は万亀雄に興味がゼロ。そもそも万亀雄が桃澤さんを教室から連れ出した理由がわからない。連れションなわけないし、愛龍に恋している万亀雄にかぎって告白もあり得ない、と思いたい……。
僕は後を追いたい気持ちを無理やり堪え、二人が戻ってくるのを待った。
一限目が始まるころ、万亀雄と桃澤さんは教室に戻ってくる。両者とも何事もなかったかのように椅子に座り、授業を聴き始めた。
授業終わりを見計らって、万亀雄に話を聞くが「大した話じゃない」とそっけなく言うだけ。桃澤さんも『海原君は気にしないで』と筆談で伝えてくる。
「いや~、お二人さん、お熱いですね。二人でこそこそして、チュってして来たのかな?」
愛龍は面白半分に言うと万亀雄と桃澤さんは軽く否定している。あまり話たくない内容らしい。後ろめたい話と言うことだろうか。
万亀雄と桃澤さんは朝からずっと一緒にいて、筆談を繰り返していた。ものすごく気になるが、僕に話が来ないと言うことは、二人にとって僕は用なしと言うこと。
万亀雄と桃澤さんが仲良くしていると、愛龍の機嫌がすこぶる良かった。女子とパラパラ喋った後、僕のところに走って来て腕を首に回してきたり、膝の上に乗ってきたり、そのままぎゅっと抱き着いてきたり、懐いた犬かと思うほど愛情表現ゆたかで、頭を撫でるたび愛くるしい表情を浮かべている。
昼休みなんて、僕の机に突っ伏しながら頭を撫でられて熟睡し、間抜け面を曝すほど気が抜けていた。
その姿を万亀雄と桃澤さんに睨まれるように見られていた気がするものの、怒られる筋合いがわからない。だが……、万亀雄の机に桃澤さんが突っ伏し、万亀雄が彼女の頭を撫でている場面を見ていると、少々ムカついてくる。
学校にいる間、万亀雄と桃澤さんばかり見ていた気がする。愛龍が纏わりついてくる理由もわからないし、県大会のことだけを考えたいのに気を紛らわせてくる要素が多すぎた。あまり気にしすぎると気持ち悪がられると思い、距離感は保つ。
学校からジムに戻ってひたすら練習。ボクシングに打ち込んでいると少しだけ気がまぎれた。確かに、愛龍の言う通り、万亀雄と桃澤さんの相性は見るからによかった。
桃澤さんの包容力は万亀雄が求めている要素だと思うし、桃澤さんの好きなタイプはわからないけれど、万亀雄の誠実さは男の僕でも憧れる。
二人共、顔が整っていて優しそうな雰囲気が漂っているし、実際に性格もいい。家族思いな所も一緒だ。考えれば考えるほど二人がお似合いに思えてきた。そのたび、心がもやもやとする……。
万亀雄と桃澤さんがイチャイチャしている光景を目の当たりにした日、くたくたになるほど練習を終え、脱衣所にやってきたころ、愛龍が脱衣所に入ってくる。
「ね、ねえ、成虎……。ちょっと話があるんだけど」
愛龍は普段見せないどこか恥ずかし気な表情を浮かべ、いつもよりしおらしい雰囲気を纏っていた。両手を握り合わせながら、僕を見てくる。
「えっと……、その……、何というか、成虎って好きな相手はいるの?」
愛龍に聞かれ、一瞬、桃澤さんの笑顔が脳裏によぎる。だが、この気持ちが好きなのか、よくわからない。だから、僕は「好きが、よくわからない」と答えた。
「じゃ、じゃあさ、ものは試しってことで私と付き合ってみない? ほら、万亀雄と芽生も良い感じだし、ダブルデートとか楽しそうじゃない? 万亀雄と芽生に勝らずとも劣らず、私達も相性が良いと思うんだ。私、成虎のこと結構好きなんだよね……」
愛龍は頬や耳を真っ赤に染めながら、早口でまくし立てた。汗を掻いた頬を手の甲で拭う。
彼女がすべて言い切ると、脱衣所は波が一切立っていない静まり切った海のようにな凪ぐ。前に立っている愛龍の心音が聞こえてきそうだ。
僕が考え込んでいると彼女は歩み寄って来て、返事を待つ子供のような屈託のない表情を見せてくる。
「ごめん、今は愛龍を付き合うとか、考えられない。僕は愛龍ほど県大会に余裕は無いし、自分のことで一杯一杯だ」
「そ、そっかー、そうだよねー。わ、私の方もごめん。その、なんて言うか、うん……こんな言い方、やっぱりずるいよね。成虎も大変だもんね。ま、まあ、私は成虎が相手なら、いつでもいいから。心に余裕が出来た時でも、試しに……二人でデートに行こ」
愛龍は幼子のような顔つきになり、言葉が詰まって沈黙に耐えられなくなったのか僕の隣を走り去ろうとした。
僕は咄嗟に彼女の手首を握り、引き留める。横顔を見た瞬間、彼女は泣いていた。だから、咄嗟に引き留めてしまった。
「なんで、逃げるの」
「別に、逃げてない。逃げてないから。ちょ、ちょっとトイレに行こうとしただけだから」
僕は愛龍を引っ張って彼女の崩れた泣き顔を見る。そのまま、口にした。
「今は考えられないけど、ちゃんと考えるから。待っていてほしい」
「ほんと……、優しいのか鬼畜なのか、わからない……。私は成虎に殴られたら一発でKOしちゃうのに、私が何発打ってもKO出来る気がしない……」
「えっと……、僕は愛龍の本気の一撃を食らったら余裕でKOしちゃうと思うけど」
「成虎のバカ……、物理的な話じゃないっつーの!」
愛龍の拳が僕の鳩尾に打ち込まれ、体の内部に重篤なダメージを負った。たったの一撃で体が動かなくなるなんて、やはり彼女は化け物だ……。
でも、デートに誘って来た時の表情はとても、女の子らしかった。ただ、今のところ愛龍と付き合える未来が見えない。
一人でお風呂に入り、夕食を得てから寝る準備を進め午後八時頃、携帯電話にメッセージが送られてきていた。桃澤さんからだった。
『もう、県大会まで二週間も無いね。海原君も本気だと思うし、私に構っている時間がもったいないと思うの。だから明日から六月二二日までランニングは一人でするよ。一時間でも真剣に練習する時間が増えたら、結果も変わると思う。私も頑張るから』と長めの文章が送られてきた。
桃澤さんと一緒に走る時間はとても楽しいので、止めたくないと言う気持ちが大きかったが、彼女の考えも一理ある。
僕は『わかった。桃澤さんも合唱部の練習、頑張って』と送る。桃澤さんも応援してくれている。彼女の期待に応えるためにも身を引き締めて練習しよう。そのために、しっかりと睡眠をとらないと。
ベッドにもぐりこみ、目を瞑ってすぐに眠った。
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