第17話 シャチと亀
僕は愛龍と勝負して引き分けに持ち込まれた。やはり、瞬発力が化け物だ。背後から抱き着かれるようにして捕まえられ、教室に入るのは完全に後になってしまったので僕の負け。だからと言って特に何もない。ごくごくいつも通りだ。
僕は席に座り、背後にいる愛龍は勝ち誇った表情を浮かべている。完全に負けず嫌いの彼女はどんな勝負でも僕に勝とうとしてくる。まあ、僕もそうだから何も言えない。
数分後に桃澤さんと……珍しく万亀雄が遅刻せずに登校してきた。
二人は横並びになり、メモパットを交互に回しながら筆談している。そのため、何を意思疎通しているのか全くわからない。って、別にどんな筆談をしていてもいいじゃないか。
「あ、万亀雄! あんたね、卯花さんを心配させてるんじゃないわよ! ほんとバカ!」
「うるっせぇ、あんなロリババアが何を思っていようが俺には関係ねえからな」
「実のお母さんにロリババアは無いでしょ! あぁー、そっか、本当は卯花さんのことが大好きでしょうがないマザコンだから、そうやって突っぱねてるんだ。小学生みたい!」
「な……、んなわけねえだろ……。あ、あんな、あんなロリババアのことなんか全然好きじゃねえし。まじで、毎回叱ってくれるところとか、毎日飯作ってくれてるところとか、全然好きじゃねえし! だ、大、大嫌い……と、言う訳じゃないが……」
――万亀雄、嘘下手すぎて愛龍と桃澤さんすら笑うのを堪えてるよ。
万亀雄は愛龍の鋭い一言により、簡単に倒されていた。
大勢の不良からボコられても頑丈すぎる体でほぼ怪我しない亀みたいな万亀雄が容易く崩されている。やはり、亀の甲羅をもってしても龍の攻撃を耐えるのは不可能らしい。
「はぁ、はぁ、はぁ……。おい、シゲ。ちょっとツラ貸せ」
顔面を真っ赤にしている万亀雄は僕のところにやって来て、話しかけてくる。教室じゃ話にくい内容なのだろうか。
ホームルームが始まる一〇分前、僕は万亀雄と廊下に出てトイレに向かう。
「お前、藻屑高校の鯛平にボコられたってほんとかよ……?」
万亀雄の口から赤髪の手首捻挫男の名前が出て来た。その鋭い眼光から、全く信じてなさそうなのだが、一応確認しておきたいみたいな感じだろうか。
「えっと……。四月の中旬くらいだったかな。鯛平の舎弟が万亀雄に殴られたから、鯛平と舎弟が万亀雄の幼馴染の愛龍を狙って待ち伏せしてたっぽい」
「まじか……、あいつ、バカすぎるだろ。自殺行為じゃねえか」
「うん、たまたま僕が見つけたからよかったけど、僕が見てなかったら赤髪と同じくらい顔面が血まみれになっていただろうね。前歯が全部折れてたかもしれない」
「あり得るのが恐ろしい所だ……。だが、そこがたまらねえな……」
万亀雄はM体質だったいるするのだろうか。まあ、昔から愛龍に勝負を挑んでボコられていたので、そう言うのに目覚めた可能性はゼロじゃない。
僕は万亀雄に鯛平との関係を話た。
「なるほどな。勝ち負けはついていないが、鯛平の方がシゲを一方的にボコボコにしたのは本当だったわけか。だが、あいつは藻屑高校の中で『陸の鯱』をボコボコにして勝ったと言い張ってやがるらしい」
「あぁ、僕も聞いた。まあ、別に気にしないけど……」
「バカ野郎、お前まで舐められたら俺達の島に奴らが流れ込んでくるだろうが。ここ最近、藻屑高校の奴らが俺たちの島内で明らかに増えてやがる。このままじゃ俺の手が足りねえ。新人はまだ全然使い物にならねえし、このままじゃ、俺たちの島が荒らされるぞ」
「か、考えすぎだよ。地区は広いし、藻屑高校の生徒がどれだけ集まっても、一学年で二百人、三年まで合わせて六百人くらい。その皆がこの地区にやってくるとは考えられない」
「そうだが。でも鯛平は藻屑高校内で『陸の鯱』を倒したと嘘を言ったんだ。鯛平が、どんな手を使ってくるかわからねえぞ。あいつはお前を確実に狙ってる。勝った証拠を確実に得ようとしてくるはずだ。さすがに数が相手じゃ、お前でも分が悪いだろ」
あの鯛平一人だけなら何にも問題ない。でも、鯛平は後輩から慕われている様子だった。数を集めるだけなら、簡単かもしれない。一対一がボクシングの鉄則。ただ、喧嘩は違う。一対百でも成り立ってしまうのだ。
「よ、夜中に出歩かなければ出会いはしないよ。あと、そうなったら、全力で逃げる……」
「……そうか。シゲ、本当に変わっちまったんだな」
万亀雄は視線を前に向け、トイレに行くことなく歩いていく。毎晩駆けまわっているからか、背中はとても逞しい。
彼を呼び止めたい気持ちはあれど、僕はもう加担できない。会長の約束を破れば桃澤さんを応援できなくなってしまう。せめて、県大会まで本気でボクシングをさせてほしい。
「シゲ、俺以外の奴に負けんじゃねえぞ。お前を倒すのはこの俺だ」
万亀雄はそれだけ言うと階段を使って下の階に向っていく。また学校をさぼるらしい。すでに授業の欠席が五回くらい続いていると思うんだけど……。でも、一年のころも上がれたのなら、試験の点数が良ければ三年にも上がれるのかな。
僕は万亀雄を見送った後、教室に戻った。愛龍から「万亀雄はどうしたの」と聞かれ、正直に答える。彼女は大きなため息をついて机に突っ伏した。
桃澤さんは椅子にしっかり座り、じっとしている。いつも通りの様子。
☆☆☆☆
五月の中旬、僕と桃澤さんは毎朝一緒に走り、僕はそのまま朝練に入ると言う流れが決まりつつあった。
授業中も筆談や表情で意思疎通を図るなど、桃澤さんとの仲が前よりも深まっている気がする。そう実感するたびに、彼女の笑みが増えているような……。ということは口に出して言わない。以前の匂い騒動のように気持ち悪がられるのが落ちだ。でも、桃澤さんの笑顔が増えると、僕の方も少し笑えている気がした。
それを鋭い目で見てくる猛獣が一人。
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