第7章: 実現のささやき
夢が美優と静かに会ってから、まだ数日しか経っていなかったが、その記憶はふとした瞬間に、彼女の心に忍び寄るように現れていた。今、夢は楽屋の明るい鏡の前に座り、スタイリストたちが忙しなく動き回っている。ヘアドライヤーの柔らかな音や、メイクブラシがそっと肌を撫でる音が、空間を満たしている。
夢は鏡の中の自分を見つめる。すべてが完璧だ。髪は見事に整えられ、メイクは彼女の自然な美しさを引き立てるように慎重に施されている。しかし、その洗練された外見の裏では、またしても「演じる」という重荷が忍び寄っていた。今日もまた、インタビュー。笑顔、ポーズ、受け答え……軽やかに、完璧に。
「最後の仕上げです」
と、スタイリストの一人が満足げに頷く。
衣装担当からパステルカラーの衣装が手渡される。カジュアルさと上品さを絶妙に融合させたそのデザインは、夢のアイドルとしてのイメージにぴったりだ。夢は立ち上がり、スタッフの手を借りながらその衣装に身を包む。鏡で最後に自分を確認すると、彼女はインタビューステージへと向かった。
会場に現れるや否や、フラッシュが激しく灯る。レポーターたちは笑顔で迎え、カメラが彼女の一挙手一投足を捉える。夢は慣れた笑顔を浮かべ、ステージ中央の席に腰を下ろした。
最初の質問は、まるでウォーミングアップのような定番のものばかりだった。
「夢ちゃん、好きな本はありますか?」
夢は少し首を傾げ、決して笑顔を崩さずに答える。
「うーん、難しいですね。『君が最後に遺した夏』でしょうか。本当に美しく描かれた物語で、途中で読み進めるのが止められませんでした。少し感傷的ですが、心に残る作品です。」
すぐに次の質問が飛んできた。
「好きな食べ物は? お気に入りのコンフォートフードは?」
その問いに、夢の瞳がわずかに輝き、笑顔が柔らかくなる。
「やっぱり、イチゴのショートケーキです。シンプルですが、イチゴの甘さがたまらなくて、とても満足感があります。子供の頃から大好きなんです。」
観客は柔らかく笑い、いくつかのカメラがその愛らしい瞬間を捉えた。さらに別の記者が身を乗り出す。
「夢ちゃんはいつもおしゃれですね! 好きなデザイナーやブランドはありますか?」
夢は自分の服を軽く指し示しながら答える。
「素晴らしいデザイナーの方々とお仕事できるのは本当に幸運です。でも、エレガンスと快適さを融合させたブランドが特に好きです。」
質問は続き、どれも表面的な内容ばかりだった。
「夢ちゃん、ライブで歌うときに一番好きな曲は?」
「ツアーで訪れてみたい場所は?」
「何かコレクションしているものは? ファンはそういう小さなことを知るのが大好きです!」
夢はどの質問にもそつなく答え、受け答えのリズムは、まるで慣れ親しんだ安らぎのように彼女を包んだ。しばらく、夢はその役割に完全に溶け込んでいるかのように感じた。
しかし、ある瞬間、女性の声がその穏やかな流れを切り裂いた。
「夢ちゃん、最近ネットでいろいろ噂になっていますが……恋人はいるんですか?」
部屋は一瞬、息を呑むような静寂に包まれた。夢の目がわずかに見開かれ、ほんの一瞬、完璧に保たれていたはずの表情が揺らいだ。脳裏に浮かんだのは、公園で静かに向かい合った美優の姿。彼女の控えめな笑顔、ためらいがちな声、そして奇妙な安心感。
夢は頬を熱くし、慌てた笑いと共に手を振った。
「あ、いえ、そんなことはありません!」
声は軽やかだったが、どこか高めに響いていた。
「仕事に没頭しているので、そんなことを考える暇はないんです。」
記者たちはくすくすと笑い、理解したように頷くと、話題はすぐに安全な内容へと戻っていった。しかし、夢の心はざわめき、あの一言が何度も頭をよぎった。
インタビューが終わり、夢はいつものように丁寧にお辞儀をして退場する。楽屋のドアが閉まると同時に、長い震える息を吐き出した。
ソファに沈み込みながら、指先がわずかに震えるのを感じる。頭の中では、あの質問が何度もリフレインしていた。なぜ、あんなに心がざわついたのだろう? 今までにもプライベートな質問はあったのに、今回は……違った。
楽屋のドアが再び開く音に驚き、夢はすぐに姿勢を正え、平静を装った。
「夢ちゃん、大丈夫?」
スタイリストが顔を覗かせる。
「ええ、大丈夫です。」
いつものように微笑んで返すが、その瞬間、胸の奥から思いがけない問いがこぼれた。
「ねえ……愛って、どう思いますか?」
スタイリストは眉を上げ、部屋に足を踏み入れる。
「愛? 普段そんなことは聞かないわね。もしかして……夢ちゃん、誰かを好きになったの?」
夢は一瞬、顔が真っ赤になり、慌てて手を振る。
「な、何を言っているんですか!? そ、そんなことは絶対にありません!」
目を逸らしながら、必死に否定する。
スタイリストは柔らかく笑い、興味深げに夢を見つめた。
「そう…? でもね、愛というものは隠し通せないもの。いつか、どこかで必ず表に出てしまうのよ。」
夢は深いため息をつき、頭に美優の優しく控えめな姿が浮かぶ。
「ありがとう……」
かすかな声で呟くが、その声は次第に小さくなっていった。
スタイリストが部屋を出ると、夢はまた一人、心のざわめきに耐えながら思いを巡らせた。
そのとき、ドアが再び軋む音がした。夢は反射的に顔を上げると、そこには期待と厳しさが入り混じるマネージャーが立っていた。
「夢。」
彼の声は短く、効率的だった。「今日はよくやった。しかし、スケジュールについて話す必要がある。」
夢は小さく頷き、個人的な思いを押し込めるように答えた。
「もちろんです。次は何でしょうか?」
マネージャーは楽屋に入り、クリップボードを手にしてリストに目を通す。
「明日の朝は写真撮影、その後リハーサル。そして、来週の追加出演も検討中だ。」
さらなる仕事の増加に、夢の心はかすかに沈むが、彼女は表情を崩さず静かに答えた。
「わかりました。」
彼の目が夢を捉え、険しい表情が浮かぶ。
「集中してくれ、夢。最近、どうも……気が散っているように見える。」
夢は息が一瞬詰まる。そんなに分かりやすかったのか。作り慣れた笑顔を浮かべ、軽く手を振りながら答える。
「大丈夫です。ほんの少し疲れているだけです。」
マネージャーは完全には納得しない様子だったが、頷いた。
「しっかり休むんだ。ミスは許されない。」
そう言い残し、彼は踵を返して部屋を出ていった。
夢は静かに息を吐き、肩の緊張が少しだけ和らぐのを感じる。すぐに、彼女の心は再び美優の記憶へと戻った。あの控えめで、優しく、そしてどこか切なげな笑顔が、まるで温かい光のように胸に迫る。
「集中しなきゃ……」
と、夢は自分に囁いた。今はアイドルとしての役割を果たすだけ。感情の整理は後でできるはず。
楽屋の静寂の中、夢は一人で部屋を歩き回った。しかし、いくら体を動かしても、美優の淡い笑顔は頭から離れなかった。
「どうしてこんなに……」
小さな声で呟くと、夢はソファに腰を下ろし、膝を抱えて震える心を落ち着かせようとした。久しぶりに感じるこの弱さに、夢は自分自身が崩れそうだと痛感する。
――私はアイドルなのに。こんなふうに取り乱している場合じゃない。
その瞬間、夢のスマートフォンが震え、画面に美優からのメッセージが表示された。
美優:
「今日のインタビュー、見ました……とてもよかったです。」
夢の心は一瞬、温かい光に包まれる。しかし、同時に胸の奥で罪悪感が渦巻いた。美優には、どこまで私の本当の姿が見えているんだろう…
しばらくして、スマホが再び震える。
美優:
「それと……夢ちゃんがイチゴのショートケーキが好きだなんて知らなかった。私も大好きです。」
夢は一瞬、目を見開いた。たったそれだけのことなのに、その美優の控えめな一言が、胸を締め付けるように感じた。
――美優は、私の隠しているすべてを知らない。
震える指で、夢は返信を打つ。
夢:
「そうなんですか? じゃあ、今度、一緒に食べませんか?」
送信ボタンを押す前、夢は一瞬躊躇った。送ってしまえば、また美優との距離が縮まる気がする。しかし、同時に自分の本当の気持ちがあふれ出すのが怖かった。
結局、夢は小さな声で返信を確定させた。
その後も、スマホの画面には美優からのメッセージが次々と届く。
美優:
「……うん。今度、ぜひ。」
夢は指先が冷たく震えるのを感じながら、返信する。
「私も、そう思っています。」
だが、送信した言葉はどこか虚しく、胸の奥に重くのしかかる。どれほどこのまま演じ続ければいいのか、夢は自問自答するしかなかった。
スマホをテーブルにそっと置き、夢は再び天井を見つめる。心の嵐が収まらず、息苦しさが一層強くなる。
――いつか、すべてが崩れ落ちる日が来るのだろうか。
その時、楽屋のドアが軋む音がした。夢は反射的に顔を上げると、そこに現れたのは、冷たく計算された表情のマネージャーだった。
「夢。」
彼の声は無機質で、効率的だった。「話がある。」
夢は息をのんで、姿勢を正そうとするが、内心ではすでに不安が募っていた。必死に作り上げた笑顔を浮かべ、何でもないふりをする。
「大丈夫です。」と、夢は言ったが、その声は虚しく響いた。
マネージャーはしばらく夢を見つめた後、淡々と言葉を続けた。
「医者から連絡があった。……悪化しているそうだ。」
その一言が、夢の胸に重く響く。彼女は何が起ころうとしているのか、既に知っていた。表に出すべきではない、隠さなければならない現実だ。
マネージャーはさらに問いかける。
「来週のステージに立つことは可能か?」
夢は胸の奥で何かがぎゅっと締め付けられるのを感じながら、必死に答えた。
「……できます。」
その瞬間、マネージャーの目はわずかに動いたが、表情は変わらなかった。
「それでいい。遅れは許されない。」
そうだけ言い残し、彼は無言のまま部屋を出て行った。ドアが閉まる音が、やけに大きく響く。
夢はその場に崩れ落ちるようにソファに寄りかかり、心の中で叫んだ。
――私は、大丈夫じゃない。
次の瞬間、全てが重くのしかかるように、夢の中に暗い影が広がっていく。彼女は、自分の心がどんどん砕け散っていくのを感じながら、ただただ静かに息を整えるしかなかった。
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