3章 その3

 合宿の二日目も俺たちのやることに変わりはなく、食事と休憩以外を練習にあてた。

 日が沈むまで試合と反省を繰り返し、夕食後の休憩を終えると座学と情報集めを行う、今回は昨日と違って日をまたいでも誰も寝ることなく話し合っていた。

 それでも夜が深まる頃には俺と先輩の二人だけがリビングに残った。

 二時前で一旦休憩する流れになりソファの上で昨日と同じく先輩からコーヒーを貰った。そして横で膝を胸の前に寄せて座る先輩とコーヒーを飲みながら話していた。

「打田君、連続の徹夜は辛くない?」

「そういう先輩こそ徹夜じゃないですか」

 微笑みながら言うと先輩はムッとした表情になり口を開く。

「私のことはいいの、だって先輩だから」

「それ理由になってないですよ」

「これも立派な理由です。それで打田君は大丈夫なのって話、無理してない?」

 先程とは一転して心配した表情に上目遣いを乗せて聞いてくる。

「無理してないですよ、俺はただできることをやってるだけですから」

 IGLもやらずチームの火力にも貢献できない俺にはこれくらいしかできることがないのだから、若干無理してでもやるしかないだろう。

 それにもう一つ……。

「そっか、でも本当に無理だけはしないでよ」

 先輩は理解したように言っているがまだどこか不安があるような声だった。

 実際に俺は無理している訳では無かった、いくら情報を集めても足りないので際限なく集めてしまう。何かに没頭して夜更かしするのは昔からやっていたことだった。

 俺的には先輩のほうが心配なんだよな。視線をあさっての方向へとばし頭の中でつぶやく。

 今の先輩を見ていると晴翔が言っていた体調の話しを思い出す、カスタムが終われば倒れるだろうと、最初は無理をしたら止めればいいのではと単純に考えていたが、いざ目の前で頑張っている姿を見ると止めることができなかった。

 視線を先輩へ戻し、未だ不安があるその目に向けて、せめてものと思っていることの一部を話す。

「わかりましたよ、先輩も無理しないでくださいね」

 俺は止めることができないのならせめて一緒に頑張ろうと思った、隣に座りその努力を味わうと。それが今の俺にできるもう一つのことだから。

 そんな時ポケットに入っていたスマホが震えた。こんな時間に連絡をする人に心当たりが一切ないので、訝し気にスマホの画面を確認する。

『今すぐ俺の部屋に来い』

 画面にその文章と共に送り主である晴翔の名前があった。

 いたわ、俺の前では非常識で命令口調な内容を送ってくるやつ、俺の周りで一人だけいたこと思い出したわ。

 というか晴翔のやつ確か一時間前くらいに部屋に戻ってたよな、まだ起きてたのか。

 命令口調に腹を立てながらため息を吐いて無視でもしようかと思った、だがふと今朝のあの目が頭に浮かんだ。

 丁度いいあれについて聞くために部屋へ行くか。だからこれはあいつの命令じゃなくて俺の意思で部屋に行くのだ。

 だがこの場からいきなりいなくなるのは不自然だよな、だからと言ってトイレに行くような時間で帰って来られるとも思わないし。なんと言ってリビングから出ようか。

 スマホの画面を眺めながら考えること数秒。

「打田君、なんかあった?」

 丁度よく声をかけられたのでスマホから顔をあげ先輩の顔を見た、そして徐に考えついた言葉を口にする。

「先輩ちょっと部屋で仮眠でも取ってきます」

「やっぱり無理してるんじゃん! 仮眠じゃなくてちゃんと寝なよ」

 案の定そう言われてしまった。考えた結果、仮眠といって部屋に向かえば不自然ではないと思ってしまったのだ。

「そうはいかないですよ、たぶん三十分ほどで戻ってきますから」

 不服そうな目で見てくる先輩に頭を下げながらリビングから出た。

 心配させてしまった後ろめたさとこの時間に呼んできた晴翔に対する怒りを胸に収めながら階段を上り、一番奥の部屋へと向かった。

 扉の前に立ち、周りに聞かれないよう小さめにノックする、すると再びスマホが震えたので確認すると『中に入れ』とだけ送られてきた。

 ドアノブに苛立ちを込めた手をかけゆっくりと開ける、中を覗くと机に向かって何か作業をしている晴翔がいた。

「何をしている、さっさと扉を閉めろ」

 こちらを一瞥することなく小声で命令が飛んできた。

 ドアを静かに閉めた後、小憎らしい感情を乗せた言葉で話しかける。

「お前は俺に命令しなきゃ死ぬ呪いにでもかかってるのか?」

「黙れ、そんな呪いがある訳ないだろう」

「そんなことくらいわかってるよ」

 冗談に決まってるだろうが、呪いがあるのなら俺がとっくにかけてるよ。

 さっさと話しを聞いて帰りたいからさっそく内容を聞くことにしよう、これでどうでもいい内容だったらマジで切れると思う。

「それで何のために呼んだんだ」

 いつでも帰れるようドアの側に立ち、そのまま壁に体を任せて話を聞くことにする。

 晴翔は作業の手を止めゆっくりとこちらへ振り向き話し始める。

「単刀直入に言う、IGLをやってみる気はないか」

「断る。美月がやると決まってるのに今さら俺がやる訳にはいかない」

 唐突に出された晴翔からの提案を考える余地なく一瞬で断った。

 美月の立場を奪うだなんて、そんなことまたするわけないだろうが。

 俺の言葉を聞いた晴翔は怪しいといったように目に細めた。

「なぜそこまで頑なにやろうとしない」

「逆に聞くがなぜ今になって俺にやらせようとする」

 質問を質問で返してしまったが、はっきり言ってそう思うのは必然だろう。

 美月に任せると決めてここまでやってきたのに、なぜこのタイミングで俺にやらせようとするのか、そんなのチームとして許されるとは思えない。

 何より俺はそういうのは諦めた身なんだ、美月よりも前に出るなんて今更ありえない。

 晴翔は後ろにある資料を一瞥した後、目付きを鋭くして俺の目を見た。

「率直に言う、このまま天野がIGLをすればお前たちは勝つことができない」

「随分と素直に言ってくれるな」

「なんだ、お前も気づいていたんだな」

「なめるな、ただ気づきたくなかったがな」

 カスタムの練習が始まってすぐにこの問題は起こった。土壇場が弱い美月は一瞬が命取りとなる戦いにおいては致命的な弱点だった、ただ今は俺や先輩がその都度カバーすることで何とかしている状況だ。

「俺と先輩のカバーでも限界はある、だからこそこうして情報を集めているだろうが」

「それで有益なものはあったのか」

「悔しいがまだないな、幸い今回の作戦を完璧にできれば美月の苦手の状況も少なくすむ」

「そうなるよう作戦を立てたのだから当たり前だ」

 得意げに語るこいつの顔には腹が立つが、はっきり言って助かってるのも事実だ。

「だがたとえ作戦がうまく行ったとしてもだ、土壇場のあれをどうにかしない限り勝つことは不可能だ」

「今回の作戦は俺たちの弱点を補う形だからな、もう少し先輩の強みを生かせる場面を作れればいいが」

 そのためには相手チームの取る行動を予測して俺が美月の見えないところを見て先輩の負担を減らさなければ。そのために今は一秒すらも惜しい。

「そこで先ほどの話になる、不本意だがお前が天野に代わりIGLをすればこの問題を解決できると思っている訳だ」

「そこがどうしてもわからん、俺自身二人を引っ張る程の才能があるとは思えない、下手に俺に変えて失敗するよりもこのまま美月にやってもらった方がいいだろう」

 晴翔は腕を組んだ状態で少し俯いた後、徐に顔を上げ再び話し始める。

「今朝までは別の作戦を提案し何通りかの行動を考えようとしていたのだが、お前のあの発言で気が変わった」

「今朝の俺の発言で?」

 今朝に話した内容を思い出すが思い当たる発言がなかった。そもそもの話しこいつとまともな会話をした覚えすらない。

 自然と顎に手を当て思い出そうと考えるが視線がどんどん下がるのみだった。

「思い当たらないのも無理はない、お前にとっては当たり前のように話していたことだからな」

 晴翔の発言に顔を上げ本当に言ったのかと疑いの目を向けた。

「お前は相手の考えがわかればいいと言ったな」

「それがどうした、別に普通だろう」

 確かにあの時は先輩に変だと言われてしまったが未だに何故言われたのか理解できなかった。

「作戦を知るのなんて不可能だからな、相手の考えを読んで行動を決められるのならそれに越したことは無いだろう」

 自分の中では当たり前のことだと思いながら話す、すると晴翔は何故だか口元を手で隠した。

「何がおかしい」

「いや、その考えを他人から聞くとは思わなくてな」

「まるで自分も同じ考えみたいに言うな」

 晴翔のことは同族だろうと思っている、車での会話で少なからず同じ境遇だと感じたから。だがこの考えまでも同じとは思いたくない。

 この考えは天才である美月を理解したくて人の考えを読もうと身に着けたものだから。

 しかし俺の考えを嘲笑うかのように、晴翔は口元を覆った手を放しその上がった口角を見せながら最悪の答えを返す。

「なんだ、随分と勘が良いんだな」

 その言葉で目が見開くと同時に全てを察した、思いたくもなかった返答を何とか飲み込んでから紐解くように質問する。

「何故お前もその考えを」

「逆に俺が聞きたいくらいだ、まあどうせ同じ理由になると思うが」

 わかったような口を利く晴翔に内心俺も同じことを思っていた。

「お前に話すのは嫌なんだが」

「ならこうしよう、お前の話を聞いてから改めてIGLをどうするか考える。これで言う気になるか」

 得意げに交渉を持ち込んできたがはっきり言って俺がこれに乗るメリットが一切なかった。

「聞いたら諦めろよ」

 だがこの時はすぐにでも先輩のもとへ帰り美月のための情報を集めたくて了承してしまった。

「素直だな、気持ち悪いほどに」

「本当に一言余計だな」

 このまま帰ってやろうかと一瞬考えるが、この場でこいつに諦めてもらわなければ後々が面倒なので我慢して居座る。

「さて、どこから話そうか」

 上を向き俺がこの考えに至った経緯を思い出す。深く閉ざしこんだ記憶を呼び覚まし話の出発点を見つけそこから話を組み上げていった。

「俺がこの考えに至ったのは別の方法で美月の隣にいたいと思ったからだ」

 あの時の俺は自分の才能と努力が美月に追いつくことができないと悟った時期っだった。

「一度隣にいることを諦めようとしていた俺を美月は置いていくことなく隣にいてくれた。最初はただ嫌悪感しかなかったが、だんだんとそれも薄れたときに改めて別の方法で隣にいようと考えたんだ」

 どんな理由であれ圧倒的な才能の隣に居続けるということはそれ相応の力が求められる。

「才能も努力もすべて無駄だった。何をすればいいか迷っていた時に俺は初めて美月でも苦手なものがあると知った」

 それは人の感情が乱れてしまった時の対処だった。吹奏楽部にいたとき何度も部員と話し合いする場面があった、その際たまに感情を爆発させる部員がいたのだがその対処をどうすればいいのかと聞かれたことがあった。

 また演奏会の直前に問題が発生しどうするべきかの決断を迫られた時など、部員内の不安が美月に伝播し冷静な判断が取れなくなった時もあった。

「そこで俺は決めたんだよ、美月の苦手なものを支えるため隣に居ようと」

 周りの感情が揺らいで美月が正常な判断をとれなくなったのなら俺が冷静にフォローしようと。

「そのためには他人の考えを知る必要があった、何を考え何故その決断に至ったのかを。それを知ることで似たようなことがあった時美月の苦手な場面にならないよう対処できる、もしなってしまった場合も素早くフォローできるからな」

 そうやって美月に降りかかる火の粉を俺が払っていこうと、あいつの傍で、あいつを陰から支えようと思ったのだ。

 そうして立ち回った結果、あいつの好きであり才能があった音楽を潰したんだけどな。

「まあこういった具合だ、どうだ諦める気になったか」

 簡単にまとめた内容を伝え終え、なんでかわからないが胸がすく思いになった。

 あとは晴翔が諦めてくれたら万事解決なのだが、果たして俯き何かを考えているこいつはどういった回答をするのだか。

 晴翔の後ろにある窓からゆっくりと流れる雲を眺めながらまだかまだかと待っていた、少しして視界の端で晴翔が頭を動かしたのが映り視線を下げた。

「随分と悩んだな、それで答えは決まったか」

「ああ、少々昔を思い出していた」

 そう語る晴翔は少しばかり何かに悔やんでいるように見えた。何を思い出していたのか予測でしかないが、もしかしたら高校の時を思い出していたのかもしれないな。

「それで俺の答えだが」

 晴翔は一呼吸置きいつもの他人に興味がなさそうな顔をしてから続きを答える。

「なおのことIGLをやるべきだと考えた」

「この話を聞いてどうしてその結論に至るんだよ」

 晴翔の答えに釈然としない態度で聞き返した。

 こいつは一体そういう解釈をしたらその決断に至ったんだ、考えを読もうにもこいつはわからないことが多すぎて読めない。

「言っただろう、お前は俺と同じ考えをしているとな」

「言ってねえよ、今初めて言ったわ」

「そんな細かいことなどどうでもいい」

 俺の突っ込みを一蹴し話を戻そうとする晴翔にため息を吐き、これ以上突っかかるのも面倒だからと黙って話を聞くことにした。

「お前のその考えはIGLによく向いている」

「なんでそう思う」

「それは俺がこの考えをもとにしてIGLをしていたからであり、それで優勝したからだ」

「……は?」

 突然晴翔から告げられた驚異の事実に、俺はただ間抜けた声を上げることしかできなかった。

「だから同じ考えができるお前を」

「ちょっと待て」

「なんだ」

 あまりの出来事を流そうとした晴翔に言葉を遮ってまで止めた。

「何事もなかったかのように話を進めるな、お前は他人の考えを読んで勝ったというのか」

「そういう意味で言ったつもりだ」

「つまり、大会に参加している五十七名全員の考えを読み切った上で目まぐるしく変わる状況に対応したということか」

「語弊だな、参加者全員ではない、IGLを担当してる十九名の考えをだ」

「な……」

 なんだよそれ、例え十九名だとしても常に頭を回している奴らだぞ、それを先読みして行動するなんて。

 そこでなんでこいつのIGLが未来視だといわれているかが分かった。圧倒的な知識や経験、そして予測からくる行動は未来視にも匹敵する、それを偶然ではなく当たり前のようにやっていたのだからそう言われるのも当たり前だ。

 だがそんなことを数時間続く試合の中でやっていたら脳への負担が計り知れないものになる。

「お前は俺と同じ考えを持っている、だからお前が相手チームのIGL全員の考えを読み切れば」

「ふざけたことを言うな、そんな負担負い切れるわけがない」

「負い切らなければ勝てないとしてもか」

「……」

 的確に痛い所を突かれ無言で目線を逸らした。可能性があるのならやるべきか、だが同じ考えを持ってるからと言って同じ行動を取れるとは限らないものだ。

 晴翔のようにやると言える勇気が今の俺にあれば良かったが、美月の側で甘えていた俺にとってそれはとうに失ってしまったものだ。

 数秒の沈黙の後晴翔は俺の葛藤を読み取ってか、静かに話しかける。

「俺の言いたいことは以上だ、どうするかはお前次第だ。ただ一つ言っておく」

 そう言いどこか遠くを見る目をし、一呼吸置いてからしっかりと俺の目を見直して続きを話す。

「後悔はするな」

 それは果たして俺に言っていたのか、もしかしたら俺の目に反射した自分に言ったのか。晴翔のどこか寂しげな口調は一瞬だがその心を読み取ることができた。

 その後急かされるようにして部屋を追い出された俺は、ただ一人暗い廊下の壁に身を委ね、どうするべきかを考えた。

「後悔か……」

 今ならまだ間に合う、逆に言えばこの期を逃せば俺がIGLをやる機会なんて訪れないだろう。

 再びその羽を羽ばたかせ飛び立つか、このまま美月に甘えて籠の中で飛び方を忘れるか。

 当然答えなど出るはずもないそれに、それでも俺は数分間その場で悩んでから先輩のいるリビングへと戻った。

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Ardito Step 火花 @chikuwa_nerimono

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