第壱話

 ずいぶんと遅くなった夕暮れに陽が堕ち、吹き混じる夜風は何処かの軒先に吊り下げられた風鈴に揺らう。そして数多もの街灯に絆しあてられたひぐらしが鈴に音を重ねる頃、その少年はガードレール越しの下町に欠伸を零すのである。そこは京の都、連なる鳥居が見下ろす先は、道行くサラリーマンと学生の百鬼夜行が織り成す喧噪に満ちていた。


「そういや、そろそろお祭りだな」


 目を細めたのは眠気か、少年は欠伸の余韻の混じる声に一瞬だけ面倒くさそうな表情を浮かべる。しかし隣を歩くその少女は特に気を害したふうもなく、対極的に淑やかな笑みを横目に向けるのだ。


「ふふ、相変わらず目が良いわね」

「授業中を全部睡眠に突っ込んでりゃ目なんて使わないからな。それに、ただ市役所っぽいジャケット着た人が街灯にポスター吊るしてるのがぼんやり見えただけだ」

「それで、今年もお仕事があるもんだからげんなりしてた訳ね」

「正解。ああ、綺麗な舞を見ててもつまらないだとか、瑞樹ミズキと屋台巡りするのが面倒だとかそんなじゃないぞ?」

「そんなの最初から心配してないわ」


 瑞樹と呼ばれた少女は、ふわりと嬉しそうに口元へ手を当てる。その所作は艶やかに揺らめく黒髪へと僅かなあどけなさを残し、言葉に反し煌めく乙女の甘みそのものであった。無論、少年が少女の頬にのった少しの紅色を夕暮れの狭間に見出せたかどうかを少女に知る術は無い。しかしふっと口角を緩めた少年は、少女と屋台を巡る楽しみが憂いを越したか、或いは乙女の見せた可憐さにあてられたか。いずれも少女を満たす事の出来るだけの理由を持ち合わせていただろう。


「げんなりしてる俺なんか見てて楽しいか?」

「そうね、中々悪くないかも。だけど私、土壇場でバックレられたら困っちゃうわ」

「流石に嫁入り前のお嬢様を放ってイカ焼き喰らいに行くような真似はしねえよ」

「それなら、ちゃんと私をエスコートしてくれるのかしら?」

「一介の高校生にそんなもん求めんな」

「......ふうん」

「なんだよ」

「なんでも?」


 残念ながらそんな高尚な教育は受けていないんだな、と。少年は溜息より浅くも、少しだけ深く吐いた息と共に呟く。それは卑屈にも無気力の様にも、しかし少女はそれを悪と見做す事もしない。少年は決してネガティヴに支配された空虚な人物では無いし、何事にも斜に構えて―――――居る事こそ若干に否定出来ないが、されど恰好を付けたように万物へと興味の無いふりを重ねる天邪鬼でも無いのだ。ただ自由を好み、自らの望むまま気まぐれに生きているだけ。


「だけどアオイみたいな一介の高校生なんて、全国探してどれだけ居るかしらね」


 そして、その結果が彼の持つ非凡さそのものである事を少しだけ嬉しそうに、しかし悪戯っぽく目を細めた少女は知っていた。


「まあ、それなりに居るんじゃね」

「嘘ばっかり。碧みたいなのが何人も居たって困るわ」

「へいへい、こんなにもお嬢様の扱いに長けている逸材はワタクシくらいなものでしょうよ。とはいえそんな逸材さんも例年クソみたいに長い書類書かなきゃなんない強制イベは好きじゃねんだよな」


 何の変哲も無い帰り道、制服に身を包んだ少年少女。如何にも青春と言うタグの付いた風景の中、何が悲しくて公的書類の憂いをしなければならないのだろうか。そんなことをぼうっと思いつつ、碧は歪んだアスファルトの先を眺める。それは大人からの長々とした説教に退屈し不貞腐れた子供がくだらない事を考えながら余所見をするのと同様、祭事を瑞樹と楽しむ以上の事を望んでいない碧にとってそれはあまり面白いものでは無かった。


「それに関しては頑張ってとしか言いようがないわ」

「んな非情な」

「非情も何も、なら辞める?だなんて言えないもの」

「まあ俺としても書類のお仕事が面倒なだけだ。瑞樹を一人にするなんて選択肢は端から無いんだが、とはいえ何人もの野郎がお熱になる程の美少女にお仕えするのも大変なもんでさ。あの程度の書類で瑞樹にお近づきになれるんなら誰かしら立候補してくれんじゃねえか?」

「志願者を募ったところで、そもそもその書類を書ける人間が貴方しか居ないじゃない」

「それもそうなんだよな」


 ならもういっその事、と。少年は特段ぼんやりとした表情を変える事無く思うも、先程と打って変わった半目がこちらを覗いている事に気付いた時既に。


「言っておくけど、申請サボるのはダメよ」

「なんで俺の考えてる事が分かったか訊いて良い?」

「何年間一緒に居ると思ってるのよ。実際にはやらないにせよ、こういう時に碧がどんな策略を謀るかくらいは分かるわ。それに四年前だったかしら、申請忘れかけて怒られてたじゃない」

「良くご存じで」


 もう申請なんかサボっちゃおうかな、そんなもの書かなくてもどうせ使う事なんて無いんだ。そんな思惑に駆られた少年の意識は全て、少女に見透かされていたのである。


「昔は俺の簡単な嘘も信じ込んじまう程に無垢だったはずなんだけどな、如何してこうも勘が鋭くなっちゃったかね」

「碧の嘘に騙され続けてきたからじゃないかしら?『お神輿は道路交通法の問題で、運転免許証を携帯していなければ担いではならない』だなんて、おかげさまで難しい単語と妙なロジカルを教え込んでもらった訳だけれど」

「成程な、つまりは幼き頃の俺に今足を掬われた訳か」

「あんなに可愛かったちびっ子が、今ではこんなお間抜けさんになっちゃって」

「間抜けかどうかは別だろ」

「あら、そういえば可愛いのは今も昔もずっと同じだったわね」

「そうかよ」


 学校での面倒くさそうな表情やはしゃいでいる様子を見る事は容易くも、さらりと躱したふりの下に目を逸らす少年を眺める事が出来るのは彼女だけの特権である。本来であらば誰も何も思わないようなその仕草に、僅かに照れた瞳が伏せられていた事を彼女は知っていたのである。それは少年が少女の扱い方を知っているように、少女もまた少年の扱い方を解っているから。無論、それ程なまでに相手を知り尽くしていれば既に色々な仕草や隠された表情を知っている事は言うまでもない。それは付き合いたての者同士が味わうような、新たな一面に心臓が跳ねる様な中毒性も即効性も持ち合わせてはいない。しかしそれは往々にして少年の余裕を失わせ、そして独占欲を静かに満たせるだけの特権を乙女へと付与する事があるのだ。

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機械仕掛ケノ守護者様 夜桜リコ @yazaki_hakase

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