夜道の少女

月浦影ノ介

夜道の少女




 高梨たかなしさんという三十代の男性から伺った話だ。


 十数年ほど前の、ある夜のこと。高梨さんは国道を車で走っていた。仕事の帰りである。時刻は八時を過ぎていただろうか。

 この辺りは町の住宅密集地から外れており、街灯も少ない。畑や田んぼの広がる向こうに、民家の灯りがポツポツとあるばかりだ。

 

 国道を外れて細い県道に入る。あと数分も走れば自宅に着くという辺りで、ふいにヘッドライトの向こうに人影が飛び出すのが見えた。高梨さんは慌てて急ブレーキを踏んだ。スピードをあまり出していなかったので、幸い車はすぐに停止した。事故に至らずに済んでホッとしたが、今度は飛び出して来た人物に猛烈に腹が立った。

 文句を言ってやろうと窓を開けると、そこに立っていたのは白いヘルメットを被った、中学生ぐらいの制服姿の女の子だった。

 

 「―――助けてください!」

 

 開口一番、女の子が泣きそうな顔で言った。

 「自転車が溝に落ちて動かないんです」

 暗くてよく分からないが、見ると少し離れた道の向こう、道路脇の側溝に自転車が頭から突っ込んでいる。脇見運転でもしてハンドル操作を誤ったのか。

 「ちょっと待って」

 高梨さんは車を路肩に停めると、懐中電灯を手に運転席から降りた。溝に転落したときに怪我でもしたのか、女の子は右手で自分の左手首の辺りを抑えている。これでは自転車を持ち上げるのは難しいだろう。

 「大丈夫?」と訊ねたが、女の子は青白い顔で頭を横に振るだけだ。これでは大丈夫なのか大丈夫でないのか、よく分からない。

 しかし中学生が何故こんな夜遅く、こんな場所にいるのだろう? 部活帰りにしてもずいぶんと遅い時間帯だ。

 そう疑問に思いながらも、高梨さんは自転車に近付いた。ハンドルとサドルの辺りに手を掛けて持ち上げると、自転車は案外簡単に溝から外れた。 

 しかし自転車の前輪がグニャリと折れ曲がってしまっている。これに乗って帰るのはさすがに無理だろう。

 子供をこんな場所に放置して帰る訳にもいかない。

 「携帯電話を貸してあげるから、親御さんに連絡して迎えに来て貰おう」

 そう言おうとして振り向くと、女の子の姿が忽然と消えていた。


 「⋯⋯⋯あれ、どこ行った?」


 周囲を畑や田んぼに囲まれた、田舎の一本道である。辺りに身を隠せるような場所もない。さっきまですぐ傍らにいた女の子が、影も形もなくなるのはあまりに不可解だ。

 狐に摘まれたような思いで、しばらくその場でキョロキョロと立ち尽くしていたが、やがてふいに背筋がゾッと寒くなって、高梨さんは慌てて自分の車に乗り込み、急いでその場を離れた。


 後で知った話だが、近くに住む中学生の女の子が、学校からの帰宅途中に誤って自転車ごと側溝に落ち、怪我をして救急車で運ばれたのだという。事故があったのが、高梨さんが不思議な体験をした、その日の夕方のことだった。


 「私があのとき出会ったのは、ひょっとするとその女の子の“生霊”というやつだったのかも知れませんね。自転車のことがよっぽど心配で、その気持ちが現場に現れたのか分かりませんが」


 それにしても何とも不思議な出来事でしたと言って、高梨さんはこの話を締め括った。


          

                   (了)



 


 

 

 

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