第10話:暗影蠢く森で【1】

『ああ、シエラ様。お話を聞いてください』


 現在地はエリノア国、臨海都市リートゥースに向かう途中の小村。

 森の中、小さな泉を起点に作られた魔物の集落に私たちは立ち寄った。


『先日の小規模な山滑りで、西側地区への上水道が一部閉塞されてしまって……』

『ふむ、それは修繕が必要ですね。現場はどちらですか。私の方から土木・水道課に申し伝えておきましょう』


 休憩も兼ねて少しの間立ち寄る目的だったものが、地元の住人がフィーネさんを見つけて、何やらオトナな話を始めてしまった。ちなみに、シエラ様とはフィーネさんの苗字らしい。


『皆さん、申し訳ございませんが私は少しの間外させてください。折角ですので森や泉でリフレッシュするのも良いでしょう。一時間後、またこの場所に戻ってきて戴けますか』


 そう言うと彼は村の住人と行ってしまった。魔王庁って凄い。こうやって魔物達の生活を裏で支えてるんだね。



『お前ら。森ん中行こーぜ。絶対ぇ面白いって!』


 人狼がキラキラした様子で提案する。やっぱこういう時に主体となるのはクレイグなんだね。尻尾揺れてるよ。


『お前はどーすんの? 人間』


 クレイグが尋ねてきた。魔物まもノートの一件以来、三馬鹿との距離が少し近くなったような気がする。


『うん、私も行こうかな。森の植物を色々見て回りたいし。あと、私人間じゃなくてメアリー・フェリシアって名前がちゃんとあるから』


 私がそう言うと、シードさんの尻尾がピクリと跳ねる。


『人間の名前覚えづれーんだよ。人間は人間でよくね?』

『じゃあ私もオオカミとか犬って呼ぶよ?』

『せめてライカンスロープにしろよ』

『やだ。長いじゃん。スロープならまだしも』

『なんでそっち側なんだよ。坂道かよ』


 私と人狼が非常に重要な話し合いをしているのに、何故かシャフさんに小さくため息を吐かれた。失礼なヤツだ。


『……ん、どうしたのです?』


 失礼なヤツは、何かが気になったのか、そっとシードさんに声を掛ける。

 ただ一点、誰もいない奥の茂みをじーっと見つめるシードさん。



『いま、そこに何か居たような……』



  ◆  ◆  ◆


 クレイグはなんかそこら中を走り回っている。

 シードさんは日向ぼっこしてる。

 シャフさんは虫を捕まえてる。

 私はそこら辺の野草を調べてる。


 皆が思い思いの時間を過ごしていたのだが、私はどうしても、先ほどのシードさんの発言が気になった。


『ねえ、シードさん』


 私はうつ伏せに寝そべる彼に声を掛けた。

 ちなみにエリノア国に入ってからは、私もエリノア語魔物言語で話すようにしている。郷に入っては郷に従えってヤツだ。


『ん』


 閉じていた眼が開かれる。深い水色の瞳がこちらを捉えた。


『さっきの「何か」って、まだ感じる?』


 トカゲビトやドラゴニュートと言った種には五感ではない特別な感覚器官が備わっており、周囲の気配を感じられる。正直オマケ程度の物であり、あまり当てにはできないが。――昔、オルト村のソーリアさんが言っていた。


『んー、よく分かんない……』



 残りの連中もこのことが気になっていたのか、そのうち私達の下に集まって来た。


『大丈夫じゃね? 気になる匂いはしないぜ? シャフ、お前は』

『いえ、何も……』


 クレイグライカンスロープシャフさんヴァンパイアバット

 嗅覚と聴覚のそれぞれ優れた探知能力を持つふたりをもってしても、『何か』の存在を認知できない。


(心配しすぎ? それとも、誰かが気配を消して上手く隠れてるって言うの?)


 気配を消すって、そんなのまるでこの前のあんたらのボスみたいな――




『――っ!! 隠れろ!!!』


 突如、クレイグが叫ぶ。

 その声は明らかに何かの異常を感じ取っていた。

 私は咄嗟にシードに腕を引かれ、近くの茂みに身体を隠す。


『ど、どうしたのですか、クレイグ……』

に、何かが見えた気がしたんだよ』


 クレイグが奥の茂みを指し示す。


『で、でも、何もいな――』


 シャフさんがそう言いかけた途端、その『場所』が見る見る内に様子を変えた。

 表現するなら、現実の物とは思えない、自然に調和し得ないほどに異質な黒。まるで森というキャンバスに黒の絵の具をそのままべっとりと落としたような。その得体の知れない不定形の『何か』が、ゆっくりと地面を這ってこちらに近づいてくる。


(影……?)


 そしてその影のような何かは目の前の開けた場所で地面から大きく隆起すると、真っ黒な粘性生物のような、崩れたトカゲビトのような、不気味な姿に顕現した。


『なあ……あれ、トカゲビトなんか?』

『おれそんなドロドロしてる?』


 茂みに隠れながら様子を窺う私達。『影のような魔物』は私達の存在に気づいていないのか、純黒の全身に似つかず血のように真っ赤な目で、ゆっくりと周囲を見回している。

 私達は咄嗟に茂みに隠れた。あのまま目の前に居座られたら茂みから出ることも、逃走することもままならない。


『仕方ねえ、俺がアイツと話してくる。お前らはその間に逃げとけ。なんかあっても、俺が戦うのが一番いいだろ』


 クレイグが単身で茂みから飛び出し、警戒した様子で歩み寄った。

 影の魔物も人狼の存在を確認すると、ゆっくりと近寄ってくる。


『そ、そんな……! おかしいですよ……!!』


 野盗だった時と同じだ。

 様子を見ていたシャフさんが、パニックを起こしつつある。


 『落ち着いて! シャフさん……ねえ、シャフ!! どうしたの!!』


 私は彼の身体を揺すり、必死でなだめる。


『い、今……、アイツがいる場所には――――』


何も実体超音波の反響が無いのです』




『!!』


 突然、シードがこちらを振り向くと目を見開き、背中の槍に手を掛ける。


 振り返らなくても分かる。

 空気が一瞬で変わった。背後に『ある』気配は、言葉にできないほど冷たい。

 それがあそこにいる影の魔物と同じか否かは分からない。だが、ただ一つ分かることは――そいつは友好的な存在ではないこと。


『伏せて』


 彼はそう言うと大きな槍を薙ぎ払う。

 ブオンという大きな風切り音とともに槍は私達の頭上を通過し――いや、頭上で止まった。


 私は振り返る。

 そこにいたのはあそこにいたのと同じ。影の魔物、崩れた赤目のトカゲビト。

 槍の切っ先は、その体内に取り込まれていた。


『ぬ、抜けな……』


『……! 手を放して!シード!!』


 次の瞬間、影の魔物は槍を伝ってシードの左手を捕らえていた。




『あああーーー!!!!』


 別の場所で悲鳴が聞こえた。

 振り返るとクレイグの脚が、影に取り込まれていた。


『こ、この野郎……、放しやがれ……!!』


 拘束を解こうと鋭い爪を振るうクレイグ。

 しかしその腕も影に触れた途端、取り込まれる。


 シードに視線を戻すと、既に左肩の辺りまで影に囚われている。

 トカゲビトはこの中では最も力の強い魔物だ。その力でも抜け出せないなんて――


 こんな魔物は知らない。魔物まもノートにも載っていない。

 本能が告げる。――今すぐ動け。みんなを助けなきゃ。


(アレを……!)


 私はポケットから『お守り』を取り出すと、ファーシルさんに祈った。


 ビシュッ……!


 そして、光の矢が現れた。

 だが、あの時私が放ったものに比べて……非常に小さい。 


『…………』


 矢はシードを捕らえる魔物に当たった。

 命中箇所の影は消し飛んだが、すぐに元に修復する。

 抵抗するシードを取り込みながら、その不気味な赤い目はギロリと私を見下ろした。


 途端、あの恐怖を思い出した。あのガルデニアでの死の恐怖を。

 過去の記憶が、静かに今を侵食する。

 何も考えられない。あの時と同じだ――



 ――いや、そんなの駄目だ!


 あわあわと狼狽するシャフネルの翼を掴んで引っ張り、私達は放たれた二本の矢の如く、勢いよく茂みから飛び出した。


「な、何をするんですか! シードが! クレイグが!!」

「駄目! 打開策が分からない以上、今戦うのは危険すぎる!」


 シャフの抵抗を無理やり引きずる形で逃走する。

 いや、彼の場合は抵抗と呼べるものですらない。力が弱すぎる。と言うより、体重が軽すぎる。

 このひと私よりほんの僅かに小さいくらいなのに、おそらく十キロも体重が無いんじゃないだろうか。


 そして、振り返る余裕もなく逃走を続ける私たちの背後から聞こえていたシードやクレイグの声は……やがて聞こえなくなった。

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