第4話:剣と爪牙と一つの光
「麓の村、オルトが壊滅したんだ」
「え……?」
世界が一瞬色を失った。外界の全てがサァっと遠く霞んでいくような感覚に襲われ、心臓が締め付けられるように脈打つ。
言葉の意味を飲み込むことが出来なかった。彼は「事件を受け友好同盟のもとウェスト国から僕ら一個小隊が派遣された」とか、「魔物が戻ってこないかガルデニアを警備している」とか、どんどん先のことを説明をしてくれているのだが、今の私の頭には全く入って来ない。ただ、一つの単語がひたすら頭の中を駆け回り、その他の考えを及ぼす余地の無い程までにどっしりと占領していた。
(壊滅って……?)
その言葉を最後に聞いたのは、確かまだ
瓦礫の山と化した建造物と立ち上がる黒煙の写真に「早く戦争が終わって欲しい」と大人達は言っていたが、辺境の小村であったオルトにまでは戦火が及ばず、当時六・七歳だった私はいまいち実感が湧かなかったのを覚えている。
(今、
そう考えると途端に私は焦燥に駆られ、居ても立ってもいられなくなった。
思考が暴走し始める。壊された屋根、泣き叫ぶ声、吹き荒れる灰。見たことのないはずのオルト村の『壊滅』が、勝手に形を持って私の脳内を侵してくる。
「あ、あの……! 私、オルトの住人です! 村に何があったのですか!? みんなは大丈夫なのですか!? 早くみんなの所に戻らなきゃ!!!」
声が震え、息が上ずる。自分でも冷静ではないという自覚はあった。だが、心の奥底から湧き上がる不安を律せるほど、私は大人にもなれなかった。
「大丈夫、大丈夫だから落ち着いて。村に向かおう。丸腰じゃ危ないから、僕と一緒に行動するんだ」
青年は名をフィンと言った。村の状況についてはまだ詳しい情報が入っておらず、別働隊が調査中とのこと。今のところ、分かっている情報は二つ。村の襲撃者は魔物であること。──そして、多くの家屋が倒壊していること。
(お願い、みんな、無事でいて……!!)
村のみんなの顔がぐるぐると頭を巡る。
早く戻らなきゃ。焦りで頭が一杯になる。
そしてその焦りが――周囲の茂みのわずかな揺れを見逃した。
次の瞬間。大きな白い閃光が、草を割って飛び出してきた。
「危ない!!」
それは真っ白な毛並みの人狼。人狼の鋭い爪が私に向かってきた刹那、フィンさんが素早く前へ出て剣で防ぐ。ガキィン!という金属が軋む音と共に剣が火花を散らした。
人狼は攻撃を防がれると一旦後ろに退く。すると、更に茂みから斧槍を構えたトカゲビトとナイフを構えたコウモリが現れた。
三対二。いや、私は戦力に計上できないので実質三対一か。非常にまずい状況だ。
「おい、人間。痛い思いしたくなけりゃ有り金全部置いてきな」
リーダーらしき人狼は人語でそう言った。
白毛種の人狼は確かライカンスロープ。月の光を浴びて自身の姿を自由に変えることのできる魔物だと言われているが、実際には光さえあれば何処でも姿を変えられると聞いたことがある。着用する黒のパーカーは、その全身の白毛との間に大きなコントラストを与えていた。
「いやなら半分でいいよ」
「こういうのってこっちから先に譲っちゃダメなんじゃないですか……?」
いきなり値切り始めるトカゲビトにコウモリが小声でツッコむ。
トカゲビトの正式な種名はリザードフォークと言うと、以前オルトに住むトカゲビトのソーリアさんから聞いたことがある。
コウモリはその見た目だけでは知識が足らずに特定できない。コウモリと言っても動物の小さな
トカゲビトは人狼と同じ黒のパーカーに加えて黒いビーニーを、コウモリは同じデザインだがねずみ色のパーカーを着用している。パーカーに罪はないのだが、奴らは如何にもガラの悪いゴロツキという印象だった。
「下がって!」
フィンさんが私をかばうように剣を構える。
「てめえ……まさか一人で俺たちとやり合う気か?」
「命知らずですねぇ」
牙を剥く人狼と、小馬鹿にした様子でケタケタと笑うコウモリ。
確かにこの魔物達の言う通りだ。どんなに強くとも、一人の人間が三頭の魔物を相手にするのは荷が重すぎる。
それでも私に心配をさせないためか、フィンさんは優しく微笑んで言った。
「大丈夫、すべて低位の魔物だ。僕に任せて、君は安全な所に隠れていて」
フィンさんは剣を構え、魔物へ向き直る。
「誰が低位種の下等な犬っころだって?」
「そこまで言われてなくない?」
不服そうに唸るライカンスロープにトカゲビトがツッコむ。
このトカゲ、ボケもツッコミも行けるタイプなのかと関心している場合ではない。
違う。
このままでは危ない。
フィンさんは恐らくあの人狼を低位種の魔物『ウェアウルフ』と勘違いしている。灰毛や茶毛が特徴のウェアウルフであれば一人でも十分対処可能な魔物であるが、あの人狼はその上位種に当たるライカンスロープだ。実物を見るのは私も初めてであり、その戦闘力については計り知れない。
(私も何かしなきゃ……!)
私は近くの木の陰に隠れる。その様子を見て、人狼は仲間に指示を出した。
『おい、お前らはもう一匹が逃げねえか見張っとけ。逃げたら殺していい。その間に、こっちは俺が片付けてやるからよ……』
ライカンスロープは姿勢を低くして臨戦態勢を取る。白毛が風に逆立ち、その金色の瞳は月のように光を帯びる。背筋は地を這うように曲がり、今にも飛び掛からんとしているかのようだった。
「お前たちか。オルトを襲撃した魔物と言うのは……」
フィンさんが人狼に剣を構えながら尋ねる。その声には静かな怒りと疑念が込められているように感じられた。
「何言ってんのか分かんねえが、おとなしく従う気が無えってんなら……」
人狼はそう言うと口の端を吊り上げ、異常な速度で地を裂き間合いを詰めた。
「人間、てめえらのハラワタ喰らってやるから覚悟するんだなぁあ!!」
「おお、では生き血はわたくしが頂くとしましょう!」
「おれはどっちも要らないかな……」
◆ ◆ ◆
フィンさんと人狼の戦闘が始まった。
一進一退の攻防。フィンさんはライカンスロープの体術を剣で防ぐ。しかし彼の剣先も人狼には届かず、次々と回避されてしまう。
剣と爪が交錯するたびに舞い上がった土の粒が、淡く陽の光を帯びてパラパラと宙を漂う。
私は木の陰で、彼の戦闘を援護する策を考えていた。
山菜籠を覗く。
(……あった、これなら)
取り出したのはサルヴィアとラバデューラの株。分類学で同じ科に属するこれらの植物は、その爽やかで上品な香りで女性からの人気が高く、薬の材料にも、料理の香り付けや香水、アロマオイルにも使うことのできる万能草である。
人の中にもこれらの香りが苦手な者がいるが、狼やコウモリと言った哺乳類の動物及び魔物はこれらのニオイを刺激臭として捉え、強く忌避する傾向にある。特に、嗅覚の鋭い人狼であれば尚更だろう。
『あの人間、何やってるのでしょう……?』
『さあ……』
これらの草を丸めてハンカチでくるみ、中身を砕くように手近の石で押し潰す。すると根や茎の中に蓄えられていた水分が花弁を濡らし、僅かに青臭い水のニオイと、一般的にはフローラルと言われる『筈の』芳醇な花の香りがハンカチに染み出てくる。
(う……嫌なニオイ……)
──ちなみに私も、『これらの香りが苦手な者』の一人である。
だが、これで充分だろう。濡れハンカチに手頃な石を入れ、四隅を縛る。簡単な投擲武器の完成だ。
トカゲとコウモリはその様子をずっと見ていたようだが、私が逃げる素振りを見せなかったためか、襲われずに済んだ。
「えい……っ!!」
力を込めて、ハンカチを人狼に投げる。
「あぁん?」
人狼はそれを無造作に手で受け止めると、ギロリと私を睨んだ。
「今は取り込み中なんだよ。てめえから喰われてぇのか?…………って……」
言葉の途中、人狼は手にしたハンカチに目線を戻す。
そして慌ててそれを足下に投げ捨てると、その掌を気にし始めた。
「うわ!くっせ!! 何だこれ!!!」
凄く分かる。やっぱ臭いよねこの花。
でも大体の人間共はいい香りとか抜かすのよ。
ライカンスロープは手をぶんぶんと払うが、それで付着したニオイが取れる筈もない。
「てめえ! 何しやがった!!」
人狼は涙を浮かべながら、怒りの矛先を私に向ける。
その隙をフィンさんは見逃さなかった。
「はあっ!!」
ザシュッ!!
「ぎゃあああーーー!!!!」
彼は素早く距離を詰めると的確に剣での攻撃を叩き込んだ。人狼は回避が間に合わず、マトモに食らってしまう。
「負けたね」
「そ、そんな……! こいつ、強くないですか……!?」
のほほんと戦況を話すトカゲビトに、あわあわし始めるコウモリ。
あんたらが私を自由にやらせてくれたお陰でもあるんだけどね。
フィンさんは地に伏せた人狼を一瞥すると、残りの二頭の魔物に剣を向けた。
「これで分かっただろう、お前たちでは勝てない。大人しくここから立ち去――」
「どどどうしましょう!! シード!!!」
「ふたりで戦おうよ」
「わたくし達だけでは無理ですよぉーー!!!」
コウモリがパニックになっていた。最早フィンさんの牽制も耳に入っていないようだ。トカゲビトは依然として冷静なのか、ダウナーな声のトーンが変わらない。
「……仕方ない」
このままでは埒が明かないと判断したのだろう。
フィンさんが剣を構えながら残りの二頭の元へ歩を進めようとした途端、木の陰に隠れる私の後ろから、場違いな言葉が聞こえてきた。
「やっほー。 みんな、お菓子買ってきたよ」
◆ ◆ ◆
張り詰めた戦闘の雰囲気には到底そぐわない間の抜けた言葉。それにも関わらず、私はその瞬間にゾクリと本能的な恐怖を感じ取った。
そう、この感覚は、まるであの時と同じ……
私は振り返る。
そこには、巨大な竜がいた。
だが、あの時の黒竜とは違う。体色は紺だし、前肢と翼が一体であるタイプの竜。……が、白い買い物袋を両翼で抱えている。
そう、この魔物は────
「わ、ワイバーン……!」
私は震える声でそう呟いた。
こいつはいつからそこにいたのだろうか。これだけ大きな存在が背後にいても、声を挙げられるまで気配にすら気が付かなかった。こいつの能力なのだろうか。
「……みんな、どうしたの?」
ワイバーンは私達が眼中に無いのか、倒れたライカンスロープを一瞥するとコウモリに尋ねた。
「ク、クレイグがそこの人間にやられまして……」
「人間?」
そう言うと、巨大なワイバーンの金の双眸が初めてこちらを見下ろす。
「ふーん……?」
爬虫類特有のその鋭い眼に、私は思わずあの黒竜を重ねた。そこに内包する静かな殺気と圧倒的な威圧感。竜と対峙するのは二度目だというのに、またしても足がすくみ、背筋が凍る。木にもたれていなければ、力なくへたり込んでいたかもしれない。
「で、ですが!! ボスのご心配には及びません!!!!」
「おれたちでこいつを倒す……」
コウモリとトカゲビトは飛び出し、それぞれナイフと斧槍を構える。コウモリは半ばヤケクソになっている。するとワイバーンはあっさりと私から視線を外し、楽しそうに仲間に言い放った。
「おお、さすがはお前たち!! シャフ! シード! がんばれー!!」
前方の魔物たちと後方のワイバーン。謂わば挟撃の盤面であり、私たちは非常に不利な状況であった。しかし意外にも飛竜は私の横を素通りし、目を回して倒れるライカンスロープの元へ向かう。そしてそのまま倒れた人狼を咥えて安全な隅へ移動させると、その横で片翼を上げて楽しそうに二匹の魔物を応援し始めた。
「くっ……、まさかドラゴンなんて……」
フィンさんは何とか剣を構えたが、横でやんややんやと元気に応援するワイバーンの存在に気圧されているように見える。
魔物はその種族ごとに高位種(一位種)から低位種(七位種)までの等級分けをされている。但し特段高位種ほど偉いと言うわけでも無く、飽くまで目的は強大な力を持つ高位種が低位種の魔物の生活をみだりに脅かさないために、法の取り決めで階級毎にルールを定める必要があったためらしい。
その分類によると、ワイバーンは一位種および二位種の魔物。敵対しようものなら、少なくとも一人や二人の人間でどうこうできる相手ではない。
「君だけでも逃げろ! 早く!!」
「人の心配をしている場合ですか!!」
フィンさんが私に逃げろと叫ぶ。そんな彼に二頭がかりで襲い掛かるコウモリとトカゲビト。今ここでコイツらを倒せたとしても、次にはワイバーンと対峙することになる。
勝てる筈がない。もはや応戦よりも逃走が最善手なのは、火を見るよりも明らかだろう。
「で、でも……、私だけ逃げるなんて……!」
この状況下で二人とも逃げ切れるとは到底思えない。だが、今ここで私一人が逃げたとして、……残ったフィンさんはどうなる? その結末を想像するだけで、胃の奥が冷たくなる。
なぜなら、かつての
「そんなの、出来ないよ……!」
私に戦う力はない。けれど、このまま彼を置いて自分だけ逃げるなんて、もっと……怖い。
ポケットの中にはファーシルさんから貰った結晶があった。
震える手で結晶を取り出す。木漏れ日を受け深い紫色に輝くそれをギュッと両手で握り締めると、私は必死の思いでファーシルさんに強く祈った。
(助けて、ファーシルさん……!!)
ビシュゥッ!!!
瞬間、結晶から目映い光の矢が放たれた。
「「ぎゃああぁーーー!!!?!?!」」
「あ゛ーー!! みんなーーー!!!!」
直撃を受け彼方へ吹き飛ぶ二頭の魔物。
何が起きたのか分からず、それを慌てて追い掛けるワイバーン。
「え……っ?」
フィンさんも状況が分からず茫然としている。
だが、驚いている場合ではない。
フィンさんの腕を掴む。ワイバーンが戻ってくる前にこの場を離れなければ。
「は……はやく! 今のうちに逃げましょう!!」
◆ ◆ ◆
「君……、さっきのは何をしたんだい……?」
その後、遂にワイバーンが私達を追い掛けてくることはなかった。
フィンさんは先ほどの力について驚いた様子で尋ねて来る。当然だ。守っていたはずの小娘が突然謎の力で魔物達を吹っ飛ばしたのだから。……でも。
(私だって、分かんないよ……!)
ファーシルさんに貰ったあの石が防犯グッズだったなんて。私自身、想像以上の未知の力に驚いていた。
(だけど――)
だけど結局、洞窟やお守りのことは打ち明けなかった。私のせいでファーシルさんの縄張りに人々が押し寄せ、彼に迷惑を掛けても申し訳がなかったから。
…………
……
陽の光の届かない洞窟の中。
その縄張りの中には、一頭の魔物がいた。
体高は少し高めの人間ほどであるが、そのシルエットは人間のそれと大きく異なる。
腹部は薄灰色の美しい毛並みで覆われ、頭からは二本の大きな耳。体高の数倍もある漆黒の大きな翼は、今は折り畳まれていた。
『それにしても』
誰もいない筈の洞窟で、そのコウモリの魔物は独り言ちる。
『たった一人の人間に傾倒するなど、アナタも何と物好きなのでしょうか。
ねえ、魔王様……』
===================
☆舞台裏 (以降本編とは関係ありません)
メイ「今回のゲストは国軍所属のフィンさんです」
フィン「よろしくね」
メイ「フィンさんはノース国の南西にあるウェストと言う国の軍に勤めているよ」
フィン「僕らウェスト国とノース国は友好同盟を結んでいて、なにか困り事があった時には互いに国軍が援助に出向くんだ。昔魔物の国と戦争をしていた頃の名残みたいだね」
メイ「地理関係を整理すると、ノース国の南西に位置する比較的涼しい気候の国がウェスト国。ノース国の最北にある霊山ガルデニアを越えて更に北にあるのが魔物の国エリノアってところだね」
フィン「魔物の国と隣接していないウェスト国は、どうしてもノース国に比べて魔物に対する理解が少なく、魔物との戦闘経験も浅いんだ。だからノース国の軍の人々は、本当に良くやってると思うよ」
メイ「なるほど、どおりであの時……」
フィン「?」
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