第16話
会場の敷地が広いこともあってか、人自体は多かったものの屋台と屋台の間隔はそこそこ取られており、そこに並ぶ行列が入り乱れるということもなかった。縁日を周り始めたばかりの俺たちは、とりあえずお祭り価格の飲み物だけを買い、何かめぼしいものがないかと探しているところだった。
「この辺はかき氷とかベビーカステラとか、スイーツ系が多いみたいだね。あ、見て。クレープなんて売ってるところもあるみたい」
「へえ、クレープの屋台ってちょっと珍しいかもな」
俺と潮見の視線の先には、調理スペースでクレープ生地を次々と焼いていく男性の姿があった。その光景自体は都会の街並みでもよくみかけるものだったが、かき氷やベビーカステラなどの他の屋台と同じく、屋根からクレープと書かれた暖簾が三方に垂れているせいで、どこかちぐはぐな感じがした。
「あー、でも今はクレープよりもしょっぱいものの口かなあ」
俺も潮見も珍しさのために言ってはみたものの、それほどクレープに惹かれたわけでもなかったようで、茅ヶ崎の言う通りたこ焼きや焼きそばが売られているであろう区画へと足を向ける。
「わっ」
茅ヶ崎の声。
クレープ屋の前を通り過ぎようとした俺たちの目の前を、人垣から急に男が飛び出してきた。その男は俺たちのことなどまるで目に入っていないようで、三人の間を物凄い勢いで通り過ぎていく。その拍子に俺の肩とその人の肩とが軽くぶつかった。
「……びっくりしたあ。なにあれ。何があったか知んないけど、いい大人がぶつかっといてごめんの一言もないわけ?」
「並木くん、大丈夫?」
「いや、うん、軽くぶつかった程度だから大丈夫」
俺は心配そうな顔をする潮見に片手を挙げてそう伝える。そう答えておきながら、どっどっという心臓の音が耳に伝わる。
「でも、なんであんなに怒ってたんだろうな」
内心がばれないよう、俺はそう口にする。すれ違った時にちらと見えた男性の顔は、随分と険しい表情をしていた。
俺の疑問はすぐにその男自らの口で説明されることになった。
「クレープに胡桃入ってんなら書いとけよ。うちのガキがもう少しで口にするところだったじゃねえか」
俺たちの間を通り過ぎていった男は、先ほど俺たちが話をしていたクレープ屋の前で立ち止まり、店主に激しい口調でそう食って掛かっていた。先ほどは気が付かなかったが、見ると足元にはその息子と思しき男の子が困ったようにして泣いているのが見えた。右手でぎゅっと男のズボンを掴んでいる。辺りには何事かと見物人が集まり始めたが、男の凄い剣幕にその周囲数メートルには誰も近づいていく者はいなかった。
店側はどう対処するのかと思いきや、店主と思しき四十がらみの男性は「自分はそう書いている。よく見ていなかった方が悪い。あんたの言うことは全く的外れだ」と、男の主張に対してこちらも一歩も引く気が無いようだった。
「あの怒鳴ってる人、さっき私たちにぶつかってきた人だね」
茅ヶ崎がそう口にする。
「ああ、そうみたいだな」
俺は頷きを返す。
「あの感じ、単に好き嫌いっていうよりアレルギーとかかもな」
胡桃に特有のアレルギー反応というものは知らないが、一般的なアレルギー反応のことを考えると、口にしてしまった場合、めまいや吐き気、重篤な症状では呼吸困難を引き起こすということも考えられる。もしあの子供がそんな体質を抱えているのであれば、店側に胡桃を使用している旨の表示を怠るといったような瑕疵があった場合、熱心な父親でなくとも、あんな風に怒るのも無理はないように思えた。ただ今回の場合は……
「でもさ、胡桃ならちゃんと書いてあるよね。あの男の子はちょっとかわいそうだけど、確認しなかったあの人が悪いよ」
そう、茅ヶ崎の言う通りなのだ。三方のうち、歩道に面した暖簾には確かに可愛らしいポップで「クレープ」としか書かれていなかったが、俺たちのいる方向、つまり屋台の右側の暖簾にはクレープを持った可愛いキャラクターのイラストとともに、しっかりと「苺&クルミ」という表示がなされていたのだった。実際には中身にはクリームも使用されているのだろうが、一般的にクレープの中身にクリームが入っていることは想像できるとして省略したのだろう。つまり、今回の件においては、あの父親は胡桃がクレープに使用されているという表示を見逃したことになる。
見ると、クレープの屋台の前では、二人がなおも言い争いを続けている。責任の所在があの父親にあることが明白なこともそうだが、心臓の音が平常に戻るのと併せて、興味も失せてきていた。それは横にいる茅ヶ崎にしても同様らしく、既に身体は別の方向を向いている。もうこれ以上この場に留まる必要もないだろう。それに花火大会までたっぷりと時間があるわけでもない。俺と茅ヶ崎はそうして歩を進めようとしたが、すぐに潮見が付いてきていないことに気が付く。何事かと振り返ると、潮見は件の屋台で尚も行われている諍いをじっと眺めていた。俺たちが歩き始めたことに気が付いていないのだろうか。俺は潮見に声を掛けようとそちらに近づく。
「そっか……」
祭りの喧騒の中、潮見が確かにそう呟いたのが聞こえた。そして、今度は俺と茅ヶ崎の目を見て言った。
「多分、あのお父さんだけが一方的に悪いってわけじゃないと思う」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます