第26話 代償の魔女 その六
「今回の事で分かったでしょう? 私は絶対にエインツに相応しくない。エインツにはもっとお似合いの、私なんかよりずっと守り甲斐がある女性がいる筈よ。だからエイ……」
「こっちを向くんだハルナ」
エインツに相応しくない?
もっとお似合いの女がいる?
おいこらふざけるな自分の考えだけで一方的に喋るんじゃねぇお前を好きで好きで仕方がない俺の気持ちを一体なんだと思っていやがるんだこっちは本気でお前の事を愛しているんだ子供の告白なんかじゃねえんだよ!
ハルナの物言いにエインツは、額の血圧が上昇するのを感じ取る。
ハルナの否定的な説明は、エインツの心を焚きつけるかまどの火でしかなかった。
「!?」
エインツの口調も確実に変わっていた。
それを察してか、ハルナは訝しんでいる顔を恐るおそるエインツに向けた。
すかさずエインツは、不安げにこちらを見るハルナの両頬を、左右の手の親指と人差し指で摘む。
「ふぇ?」
ハルナは伯爵家の令嬢である。
両頬を摘まれるという、生まれて初めて経験する筈の出来事にハルナは、瞬きしながら美しい濃橙の瞳を白黒させる。
「ふ・ざ・け・る・な」
五文字をゆっくり区切りながらエインツは、それなりの力でハルナの頬を外側に引っ張った。
「い、いひゃい! いひゃい!……」
痛みに耐える為か。食いしばるようにハルナは両目を瞼で閉じるも、うーうーと唸りながらエインツの両腕を叩き続けた。
「俺はお前以外の女は全く考えていない。そんな俺の気持ちを知っててそんな事を言うのか?」
ハルナの抵抗を意に介する事なくエインツは口を開く。
相手が貴族令嬢だろうと、惚れた女だろうと関係無い。
主従関係にはあるけれど、エインツはハルナの奴隷ではない。主張するべきところは主張させてもらう。
この事について黙るつもりはない。
せめてもの情けでエインツは、怒りを湛えた笑顔でハルナの頬を引っ張る。
ハルナがエインツを嫌いになって振られるならまだ、自分に至らない点があったと潔く身を引いたり納得出来る。男が女に振られたのであれば、むしろそうしなくてはならない。
だが今回は、ハルナを愛しているという点では百点満点なのに、絶対に飲めない理由でエインツは、落第と同義の言葉を本人の口から言い渡されたのだ。
ハルナはエインツを嫌うどころか、好意すら抱いているのにも関わらず。
はいそうですかと言葉通り、すんなりと他の女に乗り換えられる筈がない。
エインツの本気の言葉を受けて、ハルナの懸命の抵抗が止む。
「ピィ…」
女の子座りをしているハルナの太ももの上でニクスは、やれやれとため息混じりに頭を左右に振っていた。
「ヘ、ヘインフ。わらひのはらひをひいてぇ」
いつの間にか涙目になっている顔でハルナは、自身の考えの説明をエインツに要求する。
「……聞こう」
感情に飲まれて行動してしまった事に、一握りの罪悪感を覚えつつエインツは、ハルナの白い肌の頰から手を離した。
百度だった温度が、五十度まで下がった心で口を開く。
それとなくこちらを伺っている二つの気配を感じるも、エインツは気のせいだと思う事にした。
「……理由はエインツも見た、私の暗所恐怖症と同じ弱点がこれからも増えていく事よ」
涙目のままハルナは、両頬を両手でさすりながら言った。恨めしさが宿る目でエインツを見ているのは勘違いではない。
それでもハルナは続ける。
「何回もお母様や、お祖父様お祖母様にも言われたわ。お父様を想ってくれるのは嬉しいけれど、その為に人生を不幸にするのは止めなさいと」
「……それは当然言われるだろうな。俺だってそう言う」
あの子にはこれ以上不幸になってもらいたくない。
エインツはハルナの祖父である、レイモンドの言葉を思い出す。
大事な夫なり息子だったとはいえ、亡くなった者の為に、娘あるいは孫娘が自ら進んで不幸な人生を送る。もしそんな事を見たいという母親や祖父母がいるとしたら、絶対にその資格は無い。
例え他が認めたとしても、エインツは断固として肉親と認めるつもりは無い。
命を落とす事になったとしても。
「……あえて言っておくが、銀の腕輪を外すという選択肢は無いのか?」
「無いよ」
エインツの問いにハルナは、頭を左右に振りながら即答する。
銀の腕輪を身に着けている魔導士は一般的に、各属性の魔法を最後まで極めないという。
それも当然だろうとエインツは思う。
最悪の場合、自分や仲間の落命にすら繋がりかねない弱点を、誰が好き好んで得たいと思うのか。
ハルナのように、絶対に譲れない特別な理由があるか。よほど特殊な性癖の持ち主でない限り、魔法の極致の一歩手前で脚を止めるのは、我が身を守る意味で自然な事である。
だからと言って、ハルナの考えを間違っている。異常だ。などと言うつもりはエインツには無い。
「……エインツも止めろって言う?」
「お前の肉親なら、最初はな」
「?……どういう意味?」
「……肉親なら最初は忠告なりするのは当然だ。今までずっと一緒に暮らして来たんだからな。心配するのも人情だろう。……だが、俺の考えは違う」
「……どう違うのか聞かせて」
「俺はお前の考えを尊重したいと思っている。パーティーと一緒だ。相手を支え、支えられる。ずっとそうやって生きてきたから、今更生き方は変えられん。……その意味ではハルナと同じかもな」
「……うん。さっきも言ったけど。私も今の生き方を変えるつもりはないよ」
言葉遣いこそ柔らかいが、その中にエインツは、固く揺るぎないハルナの意志を感じ取った。
「でも……」
そう言ってハルナは、エインツから顔を反らすと、自分の足先に目を向けた。
「さっきも言ったけど、エインツは凄く頼り甲斐がある。あるからこそ、私の人生にエインツを巻き込みたくない。もっと良い女の人を選んで欲しい……貴方の素晴らしい力はもっと、有意義に使われるべきだと思う」
「……それがハルナの考えか? だから今まで答えを出さずに来たという訳か」
「……うん。そう。でも、今まではちゃんとエインツの事を知って。その後で告白に答えようと思っていたよ。だけど、今回の事で思い知ったの……」
ここでハルナは、目に見えるくらいに身震いする。
暑くもなく寒くもない、快適に過ごせる気温にも関わらず。
「今回の件は最悪、暗闇になったと同時に魔力吸収した敵に襲われて、全員が命を落としていた可能性もあったから」
「それで俺に他の女を探せと?」
ハルナはエインツの顔を見ないまま、無言で頷いた。
自分のせいで仲間が全滅したかもしれないと思うのは、パーティーを組む者として最悪の想像だ。
今回は幸いそうならなかったが、敵の出方次第では可能性があった。
それくらい全員が混乱していた。
その発端となってしまったハルナが、身震いを禁じ得ない事は理解出来る。
心が弱っているせいでハルナが、悪い方に物事を考えてしまう事も。
「俺の力は、欠陥のある自分ではなく、もっと有意義に使われるべき。……ハルナの考えは分かった」
エインツは、心理学の知識や女性への会話術に精通してなどいない。落ち込んでいる女性にどんな言葉を掛けるべきかなと、一文字とて思いつかない。
「分かってくれたなら……」
「ああ。俺はハルナの傍を絶対に離れはしない。絶対にだ」
安堵の表情を覗かせながらの、ハルナの言葉は再び遮られた。
自分の意志を伝える大事な単語なのでエインツは、絶対を二回繰り返した。
「ど、どうして。今回の事でエインツも分かった筈だよ。私と一緒にいたら共倒れになるかもしれないんだよ?」
困惑を隠しきれずにハルナは、それでもエインツに詰め寄った。
エインツは魔力吸収の事態が発生してからの、ハルナの言動を頭の中で確認する。
一度として、他者に責任をなすりつける言葉をハルナは発しなかった。
自虐的になっている事も関係しているのだろうが、ハルナの潔さから来ている事をエインツは正確に掴んでいた。
その点においても自分は、ハルナに惹かれているのだという事も。
それをエインツは言語化していく。
「……自分が苦境に立たされてもなお、他人に責任転嫁せず、自分の責任に向き合った上で優しさから俺を遠ざけようとする。そんなハルナだからこそ、俺は傍にいたいと思っているんだ」
言った後でエインツは、ハルナの顔に向けて右腕を伸ばす。
その瞬間、驚いた猫のようにハルナは、反射的に肩を跳び上がらせた。それと同時に両手を、頰を守る位置に持って行く。
「あ……」
ハルナを手放したくない。その一心でエインツは右腕を伸ばしたのだが、彼女の防衛本能を刺激しただけに終わった。
このままスキンシップを取る訳にもいかず、エインツは右腕を戻し、バツが悪そうに頰を掻く。
「……頰はつねらない?」
若干頰を膨らませながらハルナは、拗ねたような口調で問う。
「つねらないし引っ張らない。約束する」
ハルナはエインツの目を数秒見つめる。
やがて、警戒心に満ちた目を武装解除させた。
「……なら触っても良いよ。今回の事ではエインツにも助けられたからね。エインツが魔法に依らない明かりを持って来ていなかったらと思うと……」
「護衛の仕事を果たしただけだ」
少しだけ躊躇いつつエインツは、ハルナの長い銀髪を一房だけ右手に取った。
ハルナは嫌がる素振りを一切見せずに、エインツの顔を、感謝の念を織り混ぜながら見つめていた。
美しいハルナの髪を、ただ手に取ったままエインツは続ける。
「もしハルナが今回の件などで責任逃れする奴だったら、それこそ俺はお前の元を離れただろうな。優しくて責任感が強い。そんなハルナだからこそ俺は惚れた。……これが俺の偽りの無い気持ちだ。この後はハルナが考えてくれ」
余すところなく気持ちを伝えきったと思いながらエインツは、考える時間を与えるべく、そっとハルナの髪を手放した。
エインツは右腕を戻そうとする。
その右手首をハルナは、戻りきる前に両手で掴んでから口を開いた。
「本当に、私で良いの?」
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