第25話 代償の魔女 その五
今から五百年前。戦いが発生しなかった国は無いと言われるほどの、惑星ヤイーロ全土を巻き込む世界大戦があった。
恐怖と圧政で国民を支配していた魔帝が率いる、名ばかりのグレイランド共和国軍と、自由条約連合軍。
二つの陣営が、血で血を洗う戦争を繰り広げていた。大地に染み込んだ血の量は、雨よりも多いという伝承が残るほどだ。
最後はジェイド・ログファーが、相討ちとなる形で魔帝を討伐し、十二年にも及んだ大戦の幕が降りるきっかけになったと歴史には記されている。
魔帝の力は強大の一言であった。
前線に出る事も多かった魔帝の強さや残虐性。それらを証明する映像を記録した水晶球に残っているのは、圧倒的な魔力でもって、たった一人で万の軍勢を薙ぎ払う魔帝の姿である。
史上最悪の暴君の名を欲しいままにしている魔帝には、数多くの逸話が語り継がれている。
連合軍側の戦死者の三分の一は、魔帝の手によって討たれたと言われたり。
戦争中に発生した地震や火山の噴火などの災害の中には、魔帝が引き起こしたものがあるなど。
連合軍諸国は幾度となく精鋭パーティーを送り、服を着た天変地異とも形容される事もある魔帝の打倒を目指した。しかし、ジェイドのパーティー以外は、全てが全滅という憂き目に終わっただけであった。
それ故、魔帝討伐成功の報せに世界中が歓喜した。
ジェイドのパーティー。特に命を賭して魔帝を討ったジェイドは、今でも英雄視されている。
とはいえ、喜んでばかりもいられなかった。
食糧不足や捕虜の扱いなど。数々の戦後処理に連合諸国が追われた。
最優先に位置づけられた数々の問題の内の一つに、今後どうやって魔帝のような、人智を超越した存在を再び出さようにするかがあった。
比肩する者がいない、全属性の魔法を極めた魔帝の凄まじい魔力も脅威だが、全てにおいて弱点や不得手が存在しない。
対集団戦はもちろんの事。名うての剣士であっても一対一で斬り伏せる剣の腕を持ち、苦手な属性や技能が存在しない。
魔法は元より近接戦闘など。能力にも隙が無い、
この問題の解決の為に考案されたのが、ヤイーロの正規魔導士全員が着用を義務づけられている銀の腕輪だった。
この腕輪は、装着者が一つの属性魔法を極めた度に、それを相殺するほどの弱点を強制的に付与する物であった。
圧倒的な力を、何の制限も無しに放置する事に当時の人々は恐れを成したのだ。
腕輪の勝手な改造や、許可を得ていない取り外しは犯罪行為とされている。
戦後の各国で、いち早く憲法や法律に明文化されたそれは今でも、一文字も変更される事なく継続している。
光魔法を極めた代償にハルナが暗所恐怖症を患ったのは、この腕輪がハルナに極度の暗所恐怖症。絶対に看過出来ない弱点を刻みつけたからである。
魔帝と同じ完全無欠の独裁者の出現は、絶対に認めない。許さない。
エインツとハルナが嵌めている銀の腕輪には、戦乱の時代から五百年を経た現代でも平和を求める、ヤイーロの民の強固な総意が込められている。
一度嵌めた腕輪を外す。あるいは魔導士が装着を拒むというのであれば、それはヤイーロの全ての人間を敵に回すに等しい行いとなっていた。
一度でも嵌めた以上、腕輪を取り外すというのであれば、その人間は絶対に消す事が不可能な、死ぬまで魔法を封じる入れ墨を彫らなくてはならない。
破損した場合は、速やかに新しい腕輪を装着する事が義務づけられている。
その事を理解した上でエインツは、ハルナを守る力を得る為。
ハルナは星魔法を習得する為に、銀の腕輪を身につけた。二人共に、一生ものの重い誓約が課される事に迷いは無かった。
「落ち着いたか?」
「うん。……さっきよりは落ち着いたよ。ごめんね……」
ランタンの明かりがついてから数分が経過した。
我を失うほどの動転からは脱したが、ハルナの震えはまだ完全には収まっていなかった。
微かな振動は、エインツの右手を重ねたハルナの左手から伝わって来るが、蒼白だった顔には大分血色が戻って来ている。
これ以上の心配を掛けさせまいと、強がりで言っている訳でもなさそうだ。
だが、ハルナの声にいつもの温もりに富んだ響きは無い。
心胆は冷え切ったままなのだろう。
「謝る必要なんか無い。ハルナは悪くないんだからな。悪いのはどう考えても、ハルナの魔力を吸い取った奴だ」
異変が起きたのは、ハルナが大規模な結界魔法を張った直後である事。
奪われたのは魔力だけで、体力については何一つ異常が発生していない事。
前兆なく発生した事態を受けて、何らかの魔物の手による魔力吸収しか原因は考えられない。
数少ない手がかりを元に、その推論がハルナを除いた三人の中で導き出された。
エインツとハルナはランタンの光に照らされながら、二人きりで壁に寄り掛かっていた。
チェルシーと丈一郎の二人は、エインツがランタン以外に人数分用意した懐中電灯を手に、チェルシーは部屋の出入り口に。
丈一郎は階段の警戒に当たっている。
「でも……」
恐怖の残滓と弱りきった心。
味が染み込みやすくなるよう、穴を幾つも空けた肉のように。
二つの要素が強固に組み合わさる事で、心が悲観に極振れしているのが想像に難くないハルナは、エインツの言葉に、力の無い反意を呟くように口にする。
ハルナには何の落ち度も無かったにも関わらず、弱気の心が自分の責任と誤って認識させた。自身の行いに問題があったのだと必要以上に否定的になっていた。
そんな心模様からハルナは、自分に責任は無いとするエインツの言葉を受け入れられないでいた。
「何度も言うが、ハルナは悪くない」
そんなハルナにエインツは、辛抱強く諭すように語り掛ける。
エインツ君はハルナについてやって。
人の恋路を面白がっているとしか思えない、満開の笑顔のチェルシーに言われ、今に至っている。
去り際、丈一郎も何らかの過去を思い出したかのような、苦みを帯びた風な口角の上げ方をして持ち場に向かった。
これまでウドペッカ大迷宮には、魔力を吸収する類の魔物は一切確認されていなかった事を考えれば、この事態を事前に把握するのは不可能である。
冒険者が激減した事で、外部から魔力吸収する魔物が侵入し、そのまま棲み着いてしまった事に誰も気づいていなかった。
状況証拠だけを根拠にした推論に過ぎないが、そうとしか考えられない。
いくら人事を尽くしたとしても、絶対に覆せない事象は存在する。
今回の件もその内の一つ。
ハルナがどれだけ自分を責めようと、現状が打開される事は絶対にない。
「人間は完璧じゃない。今はハルナの心が弱っているからそう思っているだけだ。単に不運だっただけ。だから思い詰めるな」
「エインツ……」
「だからごめんと謝るよりもありがとうと言うべきだ。特にニクスへな」
今回の出来事は、ニクスがいなければ事態はより悪化していたのは間違い無い。
その意味では救世主である。
「あ……そうだね。まだ言ってなかった。ありがとうニクス。私を助けてくれて」
二人に対面する形で、目の前の地面に立っているニクスにハルナは、憂いを帯びた声で語り掛ける。
徐々に調子を取り戻しつつある。
未だ病中病後のような弱々しさは色濃く残っているけれど、エインツは、陰のあるハルナの笑顔からそれを読み取った。
「ピイッ!」
右の翼を上に伸ばしてニクスは、ハルナの感謝に答えた。
ハルナはそんなニクスに右腕を伸ばして触れようとするも、その動きは非常に緩慢であった。
そんなハルナを見かねてかニクスは、自らハルナの傍へと歩み寄る。そのままニクスは、ハルナを見上げる体勢で太ももの上に飛び乗った。
そんなニクスの頭をハルナは、慈しむように撫でる。
(だがそれでも、今のハルナに歩けと言うのはまだ無理だよな)
魔力吸収と暗所恐怖症による後遺症が目に見えて残っている今、ハルナを移動させる事は止めたほうが良い。
もう少し休ませよう。
エインツはそう判断した。
続けてエインツは、丈一郎とチェルシーの様子を伺った。
特に目立った動きは無い。
魔力吸収から数分が経過したのに、未だ元凶と思われる魔物の襲撃は無い。
それに二人の実力を考えれば、一方的に殺られるとは考えにくい。
安心してハルナを休ませられる。
「エインツもありがとう。私の為に行動してくれて」
弱々しいが、心からの感謝を伝えているハルナの笑顔。
快活さが著しく失われている分、深窓の令嬢という表現がしっくり来ていた。
庇護欲を大いに刺激されている。その事をエインツは十全に思い知った。
心の最奥から守ってあげたいと思った。
「惚れた女の為に動くのは、男として当然の事だ」
魅力とは違うが、これも愛する彼女の一側面である事に違いはない。
改めてエインツは、彼女の傍にいたい自分を再認識する。
だが、
「……今回の事で思い知ったよ。エインツは凄く頼り甲斐がある男の人だって」
「お! ようやく気がついたか」
想い人に頼り甲斐があると言われたからには、軽く見られたくはない。
エインツは平静を保った口調で言うも、内実は有頂天の心を抑え込むのに手一杯であった。
「うん。ようやく。……だからこそ、エインツには私なんかではなく、他の人を好きになってもらいたいの」
「!?」
急転直下。天国から地獄。
ハルナの口から出た言葉は、嘘偽りの無いエインツの思いと完全に相反するものであった。
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