第58話

目覚めた瞬間、空気が少し違っていた。


部屋の匂い、光の角度、肌に触れる毛布の重さ。

すべてが、少しだけ優しくなっている気がした。


何分ぐらいだったんだろう。


視界がぼんやりしていて、数字を読むのに少し時間がかかった。


頭がまだ重くて、夢と現実の境界が曖昧なまま。


でも、時計の針が示す時間を見て、思わず声が漏れた。


「私、3時間も寝てた?」


そんなに長く眠っていたなんて。


自分でも驚いた。


あんなに不安で、あんなに心細かったのに、気づいたら深く眠っていた。


気を張っていたはずなのに。

でも、身体は正直だった。


誰かの気配に、無意識に安心してしまったのだと思う。


「あぁ。ぐっすり」


海斗の声は、いつも通り淡々としている。

でも、その言葉の奥に、どこか安堵が滲んでいた。


「その間、ずっとそばにいてくれてたの?」


問いかけながら、心の奥が少しだけ震えた。


「雫が眠ったあとすぐコンビニ行って、食べれそうかもの適当に買ってきた」


その言葉に、胸がきゅっとなる。


彼は、私が眠ったあとも、私のことを考えてくれていた。


何を食べられるか、何が必要か。

それを想像して、動いてくれていた。


「適当に」なんて言うけど、きっと私のことを考えながら選んでくれたんだと思う。


誰かが、自分のために何かをしてくれること。

それが、こんなにも心を揺らすなんて。


私は、ずっとそれを欲しがっていたのかもしれない。


「帰っても良かったのに」


言葉にした瞬間、少しだけ後悔した。

本心じゃなかった。


むしろ、帰らないでほしかった。


でも、遠慮が先に出てしまう。


彼に負担をかけたくない。

迷惑だと思われたくない。


そう思って、つい口にしてしまった。


本音を隠すことが、癖になっている。


誰かに甘えることが怖くて、つい距離を取ってしまう。


「とか言って、起きた時にいなかったら寂しがるだろ」


その言葉に、心臓が跳ねた。

図星だった。


彼は、私のことをちゃんと見抜いている。


私が強がっていることも、本当は寂しがり屋なことも。


それを、笑いながら言ってくれる。


責めるでもなく、からかうでもなく、

ただ、優しく、軽く。


「…ごめん」


また謝ってしまった。

癖みたいに、口から出る。


謝ることで、自分の感情を隠そうとしてしまう。


でも、それが彼にはもうバレている。


謝ることで距離を保とうとする自分が、少しだけ情けなく感じる。


「またすぐ謝る」


その言葉に、少しだけ笑いそうになった。


心の奥に、ふっと風が通ったような感覚。

重たかった胸の中に、少しだけ空白が生まれた。


彼は、私の癖を知っている。

そしてそれを責めず、ただ受け止めてくれる。



それが、どれほど救いになるか。


私は、ずっと誰かに許されたかったのかもしれない。


弱くてもいいと。

不器用でもいいと。


すぐ謝ってしまう自分でも、そばにいてくれる人がいると。

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学年一のイケメンに脅されて付き合うことになりました! @hayama_25

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