第57話
「…く、おい、雫!起きろ!」
遠くで誰かが呼んでいる。
その声は、最初は夢の中のざわめきと混ざっていた。
誰かが私を呼ぶなんて、そんなことあるはずがない。
夢の中の私は、誰にも必要とされていなかった。
誰も私を見ていなかった。
ただ、静かに、確かに、みんなが離れていった。
それなのに、その声は現実のものだった。
耳に届いた瞬間、胸の奥がきゅっと縮こまる。
誰かが、私を呼んでくれた。
それだけで、どうしようもなく泣きそうになる。
「っ、はっ、…夢か、」
目を開けると、天井がぼやけて見えた。
喉が焼けるように乾いていて、息が浅い。
体が重くて、汗でシーツが肌に張りついている。
夢の中で見た光景が、まだ瞼の裏に残っている。
誰かに期待されて、その期待に応えられなくて、
失望されて、呆れられて、
静かに、遠ざかっていく背中ばかりを見ていた。
その時の空気、温度、表情。
その光景があまりにも鮮明で、目覚めても胸の奥に残っていた。
現実との境界が曖昧になる。
「うなされてたぞ」
海斗の声が、静かに落ちてくる。
その声に、現実に引き戻される。
彼は、私の苦しそうな寝息に気づいて、起こしてくれた。
夢の中では誰も気づいてくれなかったのに、
現実の彼は、ちゃんと見ていてくれた。
それが、どうしようもなく嬉しかった。
「昔の夢を見てて、」
言葉にするのが、少しだけ怖かった。
夢の内容を語ることは、自分の弱さを晒すことだから。
みんなが離れていく夢。
私に失望して、呆れて、何も言わずに背を向けていく。
その光景が胸の奥に焼きついていて、目覚めても涙がにじみそうだった。
「すごい汗だ」
海斗の声が、少しだけ驚いていて、でも、すぐに動き出す気配がした。
何も言わずにタオルを手に取って、私の額にそっと触れる。
その動作が、あまりにも優しくて、胸がじんわりと熱くなる。
タオルの感触が汗を拭うたびに、夢の残像を少しずつ消していくようだった。
その優しさに、甘えてしまいそうになる。
でも、それが怖い。
誰かに触れられることに、どうしても身構えてしまう。
「あ、これぐらい自分でするよ」
反射的に言ってしまった。
誰かに世話を焼かれることに、まだ慣れていない。
自分でできることは、自分でやる。
そうしてきた。
そうしなければ、誰にも迷惑をかけずに済むと思っていた。
でも、手を伸ばそうとした瞬間、海斗の手がそれを制した。
「いいから。病人はじっとして」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
ぶっきらぼうなのに、優しい。
言葉はいつも短くて、語気も強くて、
まるで感情を隠すために、わざと乱暴にしているみたいで。
海斗は、私の遠慮を見抜いている。
そして、それを許してくれる。
その優しさが、私の仮面を少しずつ溶かしていく。
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