Day.3『飛ぶ』

 朝の登校時。試験日だからか、単語帳や問題集を開きながら歩く生徒が多い。途中で合流した蒼寿郎も、古典の問題集とにらめっこしながら葵の隣を歩いていた。


 大通りの信号が赤になり、それぞれ立ち止まる。青に変わるのを待っていると、ふと問題集から顔を上げた蒼寿郎はちらっと後ろを振り返ってから「アオイ」と前を向く。


「……なんでしょう」


 蒼寿郎は親指で後ろを指すと、不機嫌に尋ねてきた。


「後ろ。なんで龍神が付いてきてんだ?」


 葵もそっと後ろをのぞき見る。二人から十メートルくらい離れたところに、昨日と同じ服装をした龍神様が猫みたいにぐーっと背伸びをして、大きなあくびをしていた。


「その……学校に行ってみたいと申されまして……」

「龍神が?」


 ◇


 さかのぼって、家を出る前のこと。


 父の寝間着を借りた龍神様が、眠そうに目をこすりながらキッチンに入ってくる。


「おはようございます、龍神様」


 ダージリンの缶を取りながら、龍神様に挨拶すると「ふぁぁよぅ……」と大あくびをしながら返事をする。


「あくびしながら喋らないでください」

「んー……なんか妻みたいなこと言う~」


 なるほど、普段からこうなのか。奥様も苦労するな。それでも、まだ寝ているあーちゃんよりはマシか。


 ケトルがパチンと音を立てて、湯が沸いたことを知らせる。スプーンで缶からダージリンの茶葉をすくい、耐熱ガラスのポットに入れる。龍神様用のカップと一緒に湯で温める。真夏でも神咲家の朝は、必ずホットティーと決まっている。ダージリンのホットティーは、軽やかな口当たりで朝にぴったりだ。


 焼けたトーストと小倉を用意してテーブルに並べていると、小学六年になる弟のすみれもやってきた。


「龍神様、おはよーございまーす」

「んー」

「龍神様、顔洗った?」

「んーん」

「食べる前に洗ってきたら? 目覚めますよ」


 菫に促されて「んー」と返事のような唸りのような声を出しながら、菫に背中を押されてキッチンを出ていった。


 龍神様がやってきて約三日。思いのほかすんなりと家に馴染んでいた。もとより知人の両親はともかく、弟とも仲良くやっているようだ。

 顔を洗ってきた龍神様は眠気が飛んだようで、「おはよ~」と元気よく戻ってきた。そして早々こう言ったのだ。


「あ、葵。今日俺も一緒に学校に行くから」


 ◇


 今朝のことを思い出して、はぁ~と深いため息が出た。あの時、マグカップに注いでいた紅茶を零してしまったのだ。


「駄々をこねられまして……」

「……龍神が駄々こねるのか」

「テストやってる間なら歩き回ってもいいんじゃないかって……」


 今度は蒼寿郎が呆れたようにため息を漏らす。

 もう一度、蒼寿郎と共にそっと後ろを振り返る。今度は道ばたに咲いている花の匂いを嗅いでいた。そんな龍神様を見ていると、葵も心配になってきた。


「やっぱり無理かな」

「部外者で閉め出されるのがオチだろ」


「全部聞こえとるぞー 若人共よ」


 後ろから軽快な声がする。地獄耳だ。


「どうしよう」


 そんなすぐにアイデアなんて思いつくわけでもない。けれど蒼寿郎は考え込むように問題集の角で、とんとんと顎を突いた。

 そして唐突に「保健室だ」と口にした。


「保健室?」


 まるで名案だというように、あぁ、と口の端をつり上げた。


ろんに放り投げとけばいい。それこそ酒でも与えておけば、勝手に酒盛りでもするだろう」

「もっと問題になっちゃうよ!」


 やっぱり、あーちゃんに連絡して引き取ってもらうことにした。

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