第23話
月日は流れて、約束した土曜日となった。しかし、蒼の家は朝から騒がしかった。僕はソワソワしながらリビングにいる。
「なんで、ちゃんと約束しなかったの!」
リビングに母さんの声が響き渡る。こうなったのは、何も考えていなかった僕が悪い。楓の連絡先が変わっていたのは予想外だった。母さんに助けを求めるのは、どうにも恥ずかしい。だから、何時に来てもいいように朝六時から準備していたのに。僕の不自然な行動は、母さんにすべてお見通しだった。
時計の針はもうすぐ十時を指そうとしている。
「なんで『何時に行く』って約束しなかったの?」
時間が経つにつれ、母さんの僕を馬鹿にしている顔は徐々に呆れた顔に変わっていく。
「だって、あの時は約束なんてする予定じゃ無かったから…」
どこか言い訳がましい声で口ごもった時、家のインターホンが鳴った。
『ピンポーン』
すぐにリビングにある受話器へ向かう。
「はいっ!」
「楓です。」
「今行く!」
僕の声は少し上擦っていただろう。待ち焦がれていたこと時だが、いざ来てしまうと緊張する。準備していたショルダーバックを肩にかけて玄関に向かう。外は雲一つないお出かけ日和。靴紐をいつもよりキツく閉めて、立ち上がる。
「じゃあ、行ってきます!」
「楓ちゃんに迷惑かけないようにね!」
リビングから出てきた母さんに挨拶して、僕は覚悟を決めて、ドアを開けた。
「おはよう!」
玄関先にいた楓は、満点の笑顔を僕に向けて挨拶をする。
「おう…おはよ…」
楓の元気な声を聞いた安堵と先に言われてしまった動揺が、僕の挨拶を変にする。
「今日は何するの?」
「特に考えてないけど。楓のやりたいことに付き合うよ。」
「何にも考えていないの⁉︎ 蒼らしい……じゃあ…」
楓は腕を組んで、考え始める。今の時間は十時を過ぎたぐらい。まだまだ何だってできる時間。外は雲一つないお出かけ日和。穏やかな風は、どこからか金木犀の香りを運んでくる。遠くに見える山々は、鮮やかなオレンジ色に染まっている。もう秋、真っ只中だ。
「映画、見に行きたいかな。」
「じゃあ、そういうことで!」
二人は隣同士で歩き始める。映画館までは駅で二駅。隣町にある。
「何の映画が見たいの?」
「内緒! 着いてからのお楽しみ!」
楓の笑顔が見えた僕は、なぜか安心していた。
映画館に着くと、運よく目的の映画の上映時間の直前だった。楓の見たかった映画とは、まさかの恋愛映画だった。
「なんで恋愛映画なんだよ!」
「だって、私のみたい映画でいいって言ったじゃん!」
楓にまんまと嵌められ、僕は苦い顔をした。そんな僕を見て、楓はケラケラと笑っていた。
薄暗い映画館の中。楓とポップコーンを挟んで隣同士。スクリーンには、男女の恋模様が映し出されている。楓は、笑顔になったり、時には涙を浮かべたり。映画を楽しみつつも、そんな表情の変化を楽しんでいる自分もいた。楓と目が合わないか気にしながら。
映画が終わり、二人が映画館から出たときには、お昼を過ぎていた。僕たちは映画館の近くにあるファミリーレストランで昼食をとることにした。
「えっ!蒼、テニスやめたの⁉︎」
テーブル席の反対側にいる楓はカルボナーラを食べながら、驚いた顔を僕に向ける。
「そんなに驚くこと?」
「驚くことだよ! だって、あんなにテニス好きだったじゃん!」
楓は驚きつつも、食べる手を止めない。
「怪我しちゃったんだよ…」
僕は、ドリアを食べる手を止める。
「そうだったんだ。でも、そんなことで諦めるような蒼じゃないでしょ?」
楓は食べながら会話を続ける。
「そうだけど…」
半分綺麗になっているドリアの食器を見ながら、僕は呟く。楓には、見透かされているような気がする。僕は自分でも自覚しているほどの負けず嫌いだ。でも、楓の知っている猛進していた僕は、もういないのかもしれない。
「頑張れなくなっちゃったんだよね…」
「蒼も色々あったんだね〜」
楓は僕に寄り添うような声を掛けてくれた。でも、楓の食べる手は止まらない。
「お前、興味ないだろ。」
「興味あるよ!『今日の夕ご飯何かな?』ぐらいには!」
「それを興味ないって言うんだよ!」
僕は思わずツッコむ。二人は笑っていた。でも、僕には引っかかっていた。
「楓は今、何やってるの?」
話題は、楓に移った。
「特に何もやってないかな。学校行ってるだけ。」
「そうなんだ〜」
楓は話を続けようとはしなかった。僕も何も言わない。いや、聞いていいものか迷っていたのかもしれない。しかし、タイミングはすぐに無くなる。
「お待たせしました。フルーツパフェです。」
「ありがとうございます!」
楓の目は輝いていた。フルーツパフェは楓の前に置かれる。
「よく食べるな。」
「だって、最近まで食事制限してて、こんなに甘いもの食べるの、久しぶりなんだもん!」
「そうなんだ…」
僕はドリンクバーにあったコーヒーを啜りながら、嬉しそうにパフェを頬張る楓を見ていた。
楓は、パフェもぺろりと平らげた。「ごちそうさまでした!」そう言って会計を済ませた楓は、店員に挨拶をして店を出ていく。僕もそれに釣られるように会釈をして、楓の後を追った。
「美味しかったね〜」
楓は、僕の前を歩きながら言う。
「今日は僕が誘ったんだから、これくらい奢ったのに。」
食事代は楓の提案で割り勘になった。楓は奢られることを頑なに拒んだ。僕は楓の隣を歩こうと少し早歩きになった。
「そういうのは、大人になってからやるものだよ。私はもう働いてるから、大人のレディーだから、私が奢ってあげても良かったけどね。」
楓は立ち止まってドヤ顔を向ける。
「ソレナラ、オゴッテモラエバヨカッタナ〜」
ドヤ顔の楓に棒読みで対抗しながら、楓を抜かしていく。
「何それ〜」
楓は僕を追いかけながら不服そうな顔をしていた。
「ねえ、これから時間ある?」
不毛なやり取りから一変、楓が急に僕に問いかける。
「今日は一日暇だよ。」
「だったら、このまま家まで歩かない? 今日食べ過ぎた分、カロリー消費しないといけないし。」
ここから家までは、徒歩だと歩いて一時間半ぐらい。拒否する理由もないため、このまま歩いて帰宅することになった。二人は雑談しながら歩く。話の主導権は楓のまま。
どれくらい歩いただろう。周りの景色も、だいぶ見慣れた景色になってきた。家までは、もうすぐだ。その時、雑談が止まった。そして、楓は小走りで僕の前に出て、立ち止まり、振り返る。
「ねぇ…私、何で蒼と連絡取らなくなっちゃったんだっけ…?」
楓は今までと同じ雑談のトーンで話す。
「何でって……喧嘩したからだろ?」
驚きながら僕も足を止める。とんだ当たり前な事、僕の驚きを返してほしい。
「そうだっけ?」
楓はとぼけるように答える。そして、前を向き直して、僕の前を歩き出す。
「そうだよ。クッキー持って謝りに行ったけど、気まずくなってそのまま…」
僕も楓に合わせて歩き出す。声はいつの間にか小さくなっていた。
「あ〜! あの時か!」
僕とは違って、声の大きくなる楓。楓は話し続ける。
「その頃から私、働き始めて忙しくなっちゃったんだよね〜」
僕の先を歩く楓の顔は見えないが、きっとドヤ顔をしているのだろう。
「はいはい。」
適当にあしらう僕には、楓の握り込んでいる手が見えた。僕がそれを理解した時、楓はまた立ち止まった。
「私、アイドルやってるんだよね。」
二人の世界は、止まった。その一言で。少し傾き始めた夕日も、忙しなく通り過ぎる車も、大空を自由に飛んでいるカラスたちも、みんな動いているのに僕たちの世界は止まったまま。でも、僕の口は正直に動く。反射的に動いたわけではない、よく考えて、正直に言ったほうがいいと判断して動く。
「知ってるよ。」
僕から見えるのは、楓の綺麗な長い黒髪と背中だけ。その背中は前に見ていた楓の背中より小さく感じる。でも、夕陽に照らされたその背中は、この世界、全てを背負おうと必死になっているように見える。
僕は歩き出す。楓を抜かしても、楓の顔は見ない。僕には必死に努力している楓の涙を見る権利は、無いと思ったから。それでも、楓を置いていくわけにはいけない。楓の気持ちが整理できるように僕はゆっくり歩み進める。ゆっくり。
楓は鼻を啜って、僕に近づく。そして、思いっきり振りかぶって僕の背中を叩いた。
「知ってたのなら、連絡してよね! 恥ずかしい!」
足を止めた僕だったが、楓はそのまま僕の前を歩く。しかし、僕には目に涙を浮かべる楓の表情が見えた。楓の声は絞り出した元気な声。
「だから、気まずくて連絡できなかったんだって!」
僕は歩み始め、精一杯の元気な声で面白ろおかしく言う。楓はどんな表情をしているのか、僕には分からない。楓は僕の前を歩いていた。
「今日はありがとう。」
あれから、楓の後ろを歩いていたが、楓は家の前で振り返り、僕に顔を見せる。僕には、気持ちは整理できたような顔に見えた。
「僕からもありがとう。楽しかった。それに…」
僕の言葉は不自然に止まる。止めようとして止めたんじゃない。突然、口から声が出なかった。
「それに?」
楓は不思議そうに、小首を傾げて言う。
「それに…教えてくれてありがとう!…アイドルのこと」
僕は恥ずかしさを隠そうとしたのか、無意識に早口になっていた。
「会ってすぐに言ってくれないから、言いたくないことなのかなって思っちゃって。でも、僕の中にはモヤモヤがあったり。そんな感じで」
楓はクスッと笑って、僕の早口を遮る。
「私も言えてスッキリした。ありがとう。」
「…うん!」
僕は達成感を感じていた。
「後これ、新しい連絡先。連絡先、変わっちゃってごめんね。連絡できなかったよね。」
楓はそう言って、スマホの画面を差し出す。
新しい連絡先を交換し、二人は各自の家へ入っていく。僕は楓が家に入るまで玄関のドアの取手を握って見つめる。楓はそれに気づいて、小さく手を振ってから家に入って行った。僕は、それを見届けてから家に入る。夕日のオレンジ色は、今日一番の濃度で僕の家を照らす。僕の中で広がる安堵感は、喧嘩することなく一日終えることができたからなのか、楓の笑顔を見ることができたからなのか、それとも、楓からアイドルについて教えてもらえたからなのか、僕には分からない。僕は玄関のドアを開けると同時に元気よく言う。
「ただいま!」
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