第27話 元勇者、ご令嬢を賭けて決闘する
曇天。
今にも泣き出しそうな、どす黒い雲が立ち込めている。
その気配に応えるように大河ルーベンも水量を増していた。
激しい流れが橋脚を叩き、その振動が足から伝わって腹の底を揺らす。
驚くべきは、そんな川の嘶きをかき消すほどの大歓声。
ルーベン橋のたもと――自由領側にもノルドスク領側にも、多くの観衆が押し寄せていた。
酒や食べ物を持ち込みどんちゃん騒ぎを初めて、まるでお祭りだ。
「……いい気なものね、まったく」
ロザリンドが吐き捨てるように言う。
「マ、関係ナイ連中にとってはオマツリみたいなもんダロ。何しろ、“美少女貴族の貞操を賭けた決闘”だからナ」
ブエナは、指で挟んだ紙切れをピラリとかざしてみせた。
そこかしこで始まっている野良賭博の投票券だ。
ご丁寧に印刷されているから、結構な量が出回っているのだろう。
「八対二でザブロフが優勢だとサ。マルク・デュシャンって結構有名な傭兵なんだナ」
「大儲けのチャンスね。アタシの財布、丸ごとお嬢に突っ込んでおいてもらえる?」
「お二人とも! 皇国貴族の決闘は神聖なもので――いえ、それ以前の問題ですっ」
一人だけ思い詰めていたミーリアが立ち上がり、ぶんぶんと腕を振り回す。
「アシェ――いえ、アシュレイは命を懸けてくださっているのですっ! それを賭博の対象にするなど――」
「いいよ、ミーリア。それよりロザリンド、僕の取り分は何割?」
僕の質問に。
ミーリアは呆気にとられ――ロザリンドとブエナが、破顔した。
「……その調子なら心配はいらないわね」
「アッタリマエだろ。コイツを誰だと思ってるんダ?」
「なんでアナタがドヤ顔なのよ」
いつもより多めの軽口が、二人の緊張を伝えてくる。
僕も笑った――こういうときは笑っておくべきだと、昔、ヴァネッサが言っていたのだ。
騎士は待ち人の笑顔を守るために戦うのだから、と。
(僕は騎士じゃないと答えたら、ヴァネッサは笑ってたっけ)
結局、彼女の方が正しかった。
騎士であろうとそうでなかろうと。
誰かがそばにいるなら、笑っていてくれた方がいい。
「……アシュレイ。どうか、無事に帰ってきてください」
「ありがとう」
貴族院が派遣した案内人が僕を呼びに来る。
僕は欄干から腰を上げると、服の裾をはらった。
「こちらの女性がミーリア・アルタンジェ嬢の決闘代理人、アシュレイ殿でよろしいか」
「はい」
「では。武器を持って、こちらへ」
相変わらず女装を続けてはいるが、足元は忌々しいスカートじゃない。
それだけでも、あの日よりは随分マシだ。
防具は板金製の胸当てからブーツまで、実用品を誂えてもらっている。
腰に佩いた剣も上等だ――ブリギッテ公のコレクションから譲り受けた薄造りの両刃で、刃渡りはやや長め。
重さのバランスが聖剣ラディウスと似ていて扱いやすい上、“
おまけに、三食たっぷり食べて、誰にも襲われずにぐっすり眠れている。
充分すぎるぐらいの準備。
「それじゃ、行ってくるよ」
「ご武運を――お祈りしております」
ミーリアの祈りと観衆の大歓声を背に、僕は案内人についていく。
――ルーベン橋の中央。
開かれた門を挟んで相対する。
「――まさか、こんな形であなたにまた会えるとは。恐悦至極です」
マルク・デュシャン。
デュシャン傭兵団の長にして、逃亡者となったミーリア達を追い詰めた狡猾な傭兵であり。
「見え透いたことを言うな。賞金をもらうまで諦めるつもりなんか無いだろ」
僕の目の前で恩人を斬り殺した男。
「ははは。まさか、私がこの決闘を仕組んだとでも? 私は所詮、しがない傭兵ですよ」
「あんたが何をどう仕組んだかなんて、この際どうでもいい」
僕は鞘の口を上げると、“
「やったことの報いは、受けてもらう」
応じるように、マルクが構えた。
腰を落として左足を後ろに――柄を身体で隠すようにして。
「意外ですね。あなたはもっと生真面目な――自分の役割に忠実な人間だと思っていました」
一体、何の話だ。
マルクが勝手に続ける。
「求められれば応じる。勇者という役割を求められたから、弱者や仲間を救う。そうやって期待に応えること以外、生きるすべを知らない人間」
「……たまたま聖剣を抜いただけだ。他にできる人がいたら、いつでも譲りたかった」
僕の答えに、何を読み取ったのか。
「ならば私と同じですよ。役割をまっとうすることでしか生きられない。クズどもの手綱を渡されたから、それを掴んでいるだけの私と」
冗談はよせ。
僕が吐き捨てる前に。
僕とマルクの間にいた立会人が、右手を上げ――
「――始めっ!!」
宣言とともに振り下ろした。
刹那。
マルクはもう踏み込んできていた。
一刀で斬り伏せられる距離に。
恐ろしいほどの速さ――瞬発力と卓越した歩法。
「――ふッ」
鋭い呼気。
走る白刃――受ける剣ごと切断されそうなほど。
「――――」
かわしながら、僕も剣を抜いた。
体を入れ替えて横薙ぎの一閃。
マルクはこちらの動きを読んでいた。
身をかがめて切っ先を避けると、全体重を乗せた大振り――
「シィ――ッ」
と見せかけて、喉笛への突き。
更に軌道を変えての斬り上げ。
まるで魔法のような変幻自在の剣技。
いかなる技術によってか、そのすべての剣閃に必殺の威力が宿っている。
――なるほど。
リズが言っていたことは正しい。
(この男、強い)
デュシャン傭兵団でもっとも――
いや、僕がこれまで出会った剣士の中で十指に入る腕前だ。
(もしかしたら……ヴァネッサと肩を並べるかもしれない)
もしも。
この男が聖剣を抜いていたとしたら――勇者としての役割を与えられていたら?
ただの子供に過ぎなかった僕よりも、立派に務めただろうか。
みんなを犠牲にすること無く、魔王を倒せたのだろうか。
「流石、ですねッ! 顔色一つ――変えないとはッ」
「…………」
不意に思い出す。
森の遺跡で見たロザリンドの横顔。
ザブロフに襲われるミーリアを見て、思わず手を差し伸べてしまった彼女の後悔。
(僕はあの時――彼女に何と言った?)
やるしかなかった。
目の前で殺されそうになっていたメイゼルを助けるために。
「――これならッ」
胸を狙っていたマルクの剣が、するりと足首へ向かって翻った。
体重が乗った僕の脚を狙った見事なフェイント。
(だが)
遅い。
「なッ――!?」
僕は既に、肩からマルクの鳩尾に突進していた。
剣筋を逸らせたせいで、奴は自分を守れなかった。
「ぐっ――はっ」
予想外の打撃を食らってマルクがたたらを踏む。
かろうじて堪えた奴の膝を、僕は容赦なく斬りつけた。
「が――ッ」
皿を砕かれながら、それでもマルクは倒れない。
片脚のばねだけで体重を支え、剣を振りかぶるが。
僕の剣が、その右腕を断ち斬った。
「――アァァッ!?」
失われた肘先を掴もうと、マルクが身を捩る。
「そんな――私の――この、私が、ここまでッ!?」
「……まだやるか?」
切っ先を突きつける。
「あり、えない……この橋で、以前戦った時は――こんな、こんな差は……」
マルクの言う通り、あの時は危うかった。
長い逃亡生活、緊張の連続、寝不足――死体になる三歩手前ぐらいの体調だった。
だが、ブリギッテ公が――ミーリアが与えてくれた食事と休息のお陰で、僕はすっかり息を吹き返していた。
「あんたは二つ、思い違いをしてる」
「……何、を」
白い額に脂汗を浮かべながら、マルクが僕を見上げる。
「一つ。僕があの剣を抜いたのは頼まれたからじゃない」
そうするしかなかったから。
目の前で誰かが殺されるのを、見過ごせなかったから。
「もう一つ。確かにあんたは強い。でもアルトゥほどじゃない」
十二魔将が一人、六道のアルトゥ。
六本の腕に呪われた武器を携え、生きとし生けるものを殺し尽くす破壊の化身。
武器を振るう存在として、アイツほど恐ろしい相手はいなかった。
僕は視線を移した。
石畳に転がるマルクの右腕へ。
「あの腕は、あんたの部下がミーリアにしたことの代償だ」
僕は静かに続ける。
「まだ終わりじゃない。ロザリンドの分。ブエナの分。ララ・シェの分」
“
「それに、ビル・マーレイの分も――借りはすべて返してもらう」
痛みを堪えるマルクの顔が、歪んだ。
あるいは笑おうとしたのかもしれない。
「もう、勝利を、確信したのですか。それは……少々、早計ですよ」
マルクは残された左腕を、高々と振り上げた。
まるで誰かに合図を送るかのように。
「やりなさいッ」
僕の背後――戦いを見守る群衆の中で。
魔法が発動したのが、気配で分かった。
「――あれは」
肩越しに振り返ると。
人々の中に、巨大な影が見えた。
様々な生き物の肉と皮と骨を継ぎ合わせた、この世のものとは思えない醜怪な塊。
「まさか――フレッシュゴーレム?」
魔王軍との長い戦争の中で、強大な魔物や魔族に打ち勝つために人間やエルフが生み出したいくつもの新魔法。
その中でも、あまりにも危険性が高く倫理的な問題があるとされた禁呪。
周囲にいる生物の肉体を喰らうことによって、再生し肥大化し続ける凶悪な兵器。
それが今、出現した。
僕を見守っていた――ミーリア達のすぐ後ろ、罪なき群衆のさなかに。
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