第22話 卒業式

 薄暗い機械室に閉じ込められた真壁マリアは、どうにかして外に出られないかと手を尽くしていた。頭がギリギリ通る大きさの窓から顔を出して助けを呼んだり、ドアの鍵を壊そうともした。いずれも徒労に終わっている。

 時間帯は金曜日の夜。校舎には人間がいない。

 機械室は外から鍵をかけるため、内側からは開けられなかった。

 さらに携帯電話とインスリン注射の入ったポーチは取り上げられている。

 犯人は江崎エリだ。彼女とその取り巻きによって、マリアは窮地に陥っていた。

 このまま時間が経てば意識が混濁して倒れてしまう。そうなる前にどうにかして逃げ出さなければならない。

 しかし、声を上げても助けは来てくれなかった。運が悪いのか、あるいはマリアの声が小さいのか。


(どうしましょう……)


 途方に暮れてしまう。

 クラス委員の江崎エリから毛嫌いされていたのは知っていたが、日に日にマリアに対する態度がエスカレートして、いつしかいじめに発展していた。宗教に傾倒しているマリアのことを気持ち悪いと罵り、教師の見ていないところで狡猾に嫌がらせを続けてくる。

 その原因には心当たりがあった。

 マリアが2年生になってからすぐ、とある男子生徒に告白されている。その気がなかったマリアは丁寧に交際を断っていた。江崎エリはその男子生徒の元恋人で関係を修復したがっていたという。

 色恋沙汰に明るくないマリアからすれば、ただそれだけのことだ。しかし、エリのプライドが許さなかったらしい。自分を振った男を、マリアが袖にした。そんなマリアは憂さ晴らしのターゲットにされ、周囲からはどんどん孤立していった。

 インスリン注射の入ったポーチを隠されたのもこれが初めてではない。そのときは教師に相談したが、外向きはクラス委員で真面目なエリへの疑いが深まることがなかった。予備を持っていたので事なきを得たが、今回は事態が違う。閉じ込められて外界と遮断されている。


(神さま……)


 座り込んだマリアはロザリオを握って神に祈った。

 苦しいとき、悲しいとき、神はいつもマリアと共にあった。

 祈りは神を想う行為である。心に巣食う不安を認め、受け入れようと努力した。

 決して江崎エリが憎いわけではない。彼女には、彼女の理由がある。それだけのことなのだ。

 どれくらいの時間が経っただろうか。

 マリアの意識がだんだんと遠くなっていく。

 このまま神の元に召されるかもしれない。そう想うと恐怖も惨めさも無かった。

 けれど、まだその日ではなかった。

 神は天使を遣わせたのである。


「マリア!!」


 ドンドンと大きな音がして、マリアの意識は現実へと引き戻される。ドアが誰かによって叩かれたのだ。しかも自分の名前を呼んでいる。

 マリアは立ち上がった。

 そして、内側からドアを懸命に叩いて答えた。


「下がっていて! 鍵を壊す!」


 凛とした声が響き、マリアが下がると金属が引き千切れる音がする。

 扉から蝶番の悲鳴がしてゆっくりと開いた。ドアの外にはニッパーを巨大化したかのような工具を持ったスーツ姿の若い女性が立っている。先ほど壊した南京錠を憎々しそうに踏みつけていた。

 マリアはその人物が誰なのかを知っている。


「羽川先生……?」


 1年生担当の羽川教諭である。

 名前を知っている程度で、これといった接点はない。噂ではこの高校の出身で飛び降り自殺未遂をしたとか、どんな相手でも引かない強い正義感のせいで恋人すらいないとか、曰く付きの問題教師である。

 だから名前で呼ばれて面食らってしまった。羽川教諭は、きょとんとしているマリアの眼前に黒いポーチを差し出してくる。


「これ、あなたのものでしょ」

「どうして羽川先生が……?」

「江崎エリから奪い返した。あなたを閉じ込めた場所をなかなか吐かなくて苦労したけど」

「え? え?」

「インスリンの注射器を取り上げて閉じ込める。これがどれくらい危険な行為なのか分かっていたはず。場合によっては殺人になっていた」

「あの、話が見えてこないのですけれど……」

「無事でよかった、マリア」

「え、あ…… せ、先生!?」

「ごめんなさい。確信が持てるまで手を出せなかった。今日がその日だった……」


 感極まったかのように抱き締められ、マリアの混乱は頂点に達する。

 けれど妙な心地よさと懐かしさから拒絶することはなかった。

 二人が無事に校舎を出て、その翌週から江崎エリは登校しなくなった。どこかへ転校していった彼女がその後どうなったのか、マリアは知らない。特に興味もなかった。

 だが、いじめのリーダー格がいなくなったこと、教師の羽川が目を付けたとことでマリアへのいじめもピタリと無くなった。

 マリアはそのことに深く感謝している。


・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・


 事件の後から羽川とよく話すようになった。おかげで教師と生徒の関係を超えて仲良くなれた。

 そのまま有意義な1年と半年が経ち、卒業式が終わった後でマリアは羽川から呼び出される。

 場所は校舎の屋上だった。本来は立ち入り禁止なのだが、教師権限で鍵を持ってきたのだ。

 二人は並んで桜が咲き誇った校庭を見下ろしている。よく晴れていて風が気持ちいい。旅立ちにはもってこいの日だった。

 かねてよりの疑問をマリアは口にする。


「羽川先生もいじめられていたって、本当ですか?」

「本当。8年前、全部が嫌になってそこから飛び降りた」


 羽川が指差したのは四角い穴だった。下に中庭があり、不気味な『異岩』が鎮座している。いくつもの怪談がついて回るスポットで奇妙な気配がいつも漂っていた。

 下を覗き込めばそのまま落ちてしまいそうである。マリアは近寄ろうとしなかった。


「でも死ななかった。不思議なことにね」

「もしかして先生って、天使なのでしょうか」

「いいえ、地獄から黄泉返った悪魔よ」


 心底おかしそうに羽川が笑うと、釣られてマリアも笑う。

 とめどない会話が愛しくて、マリアはずっと屋上にいたかった。けれど永遠なんてない。どんなに楽しいことでも、辛いことでも、いつかは終わるのだ。

 太陽が傾き始めると羽川は「そろそろ降りましょう」と切り出す。頷いたマリアは後に続いた。

 屋上への扉を施錠し、そこから差し込むオレンジ色で染まった階段に差し掛かると、羽川教諭はポケットからロザリオを取り出した。驚いたことに、マリアが大事に持っているものと瓜二つである。ありふれた形なのだが、ずっと前に傷が入ってしまった。その傷の形が同じなのだ。

 マリアは慌てて自分のロザリオを取り出す。

 二つは全く同じものにしか見えない。


「羽川先生、これは一体……?」

「まだ助けたい子がいるから、ここで教師を続ける。何年も後のことだけどね。まぁ、碌でもない人間なんだけど命を助けてもらったから」

「仰っている意味が分かりません……」

「全部が終わったら話させて。地獄から黄泉返ったというのは本当。御伽話だと笑ってもいいから。このロザリオはそのとき返す」


 マリアが立ち止まっていると、羽川は踊り場で振り返ってきた。

 その顔をどこかで見たことがある。

 ずっと未来? もっと以前?

 けれど知っている。そう確信できた。


「卒業おめでとう、マリア」

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食人教室 恵満 @boxsterrs

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