蛇足


 夢を見た。

 土蔵の夢だ。かつて幼き頃の夢だ。

 人は夢を見る。

 荒脛客人は言った。

 人は夢を見る。

 夢を見るのが好きだから。

 夢を見ている間は、見たくないものを見ずに済むから。

 ならば、ぼくはどうだろう。

 このぼくは、首塚たたりはどうなのだろう。

 重く閉じられた扉を力いっぱいに叩きながら。

 裂けるくらいに泣きながら。

 ただぼくは、叫んでいた。


 かあさま、かあさま。

 だして、だして。

 たすけて、かあさま。

 かあさま、かあさま。


 どれくらい、そうしていただろうか。

 分からない。何度目かせたところで胸骨の軋みに耐えきれず、膝をついた。それでも鳴き続け、気付けばへたり込み、今は横たわっている。

 冷気が体温を奪い、腫れた両手がじんじんと痛む。飢えが沸き立ち、意識が不規則に断続して、まるで切れかけの電球のように明滅する。

 つらい。

 けれど「どうして?」とは、思わなかった。

 かあさまが言っていた。これは儀式だと。為さねばならぬ事なのだと。

 どうして為さねばならぬのか? それはちっとも分からなかったけれど、かあさまが言うのだから、絶対なのである。

 そう教わったから、そうなのだと。

 ぼくは心の底からそう、思っていたのだ——



——それは勿論、嘘だ。


(ちくしょお……)

 畜生、やられた。あの女狐め。

 お勤めを終えて久方ぶりに、実に一週間ぶりに帰ってきた故郷で、やる事が児童虐待とは最高にイカレてやがる。「良い子で待ってるのですよ」などという、漠然として何の具体性もない言いつけを、然しキチンと守っていた幼い娘に対する仕打ちがこれだ。全く以て仕方がない。

 ぼくの姿を見るなり膝を折り、これまで見た事のないような慈愛にあふるる笑顔を浮かべ、両手を広げるものだから、ぼくも釣られて微笑みながら、その胸に飛び込んだのである。

 そうして、着物の裾口に隠し持っていた黒曜石のナイフで、首を掻いてやろうとしたのだが。

『殺気を隠すのが下手よ』

 何の気なしにぼくの手を押さえ、ぼくを抱えたかあさまは、中庭の土蔵の前までやってくると、御付きの者達に指示をして扉を開けさせたのだった。

 乱暴に蔵の中へと放り込まれ、苦虫を噛み潰した娘の顔を見ながら、かあさまは言った。

『死を感じなさい。さすればその刃、次はこの母へ届くかもしれません』

 冗談みたいな話である。

 冗談だと思いたい話である。

 文字通り、冗談ではないお話である。

「      」 

 ころしてやる。

 次は絶対、殺してやる。

 幼いぼくが、死にかけの金魚みたいにぱくぱくと口を動かしながら考えていたのは、あの雪のような喉元へと白刃はくじんを突き立てる事。その一つのみ。

 自らの死など、とうの昔に感じている。

 だからこそ、ぼくはあの女を殺さなければならない。


  ——あやめられる前に、あやめなさい。


 物心ついたぼくに、そう言って小刀を握らせたのは、あの女だ。

 引き金の軽さは、その無機質さは人の命と同等である事を教えたのは、あの女だ。

 血の流れる痛みも、骨の軋む苦しみも、臓腑を抉る哀しみも。

 すべてはあの女がぼくに教えた事だ。

 かあさまはいつも、ぼくに問うていた。

 下手人を斬首する自らの姿を見せつけ、問うていた。

 私が恐ろしいか、と。

 ぼくが拾ってきた子猫の首を手折り、問うていた。

 私を拒むか、と。

 ぼくの首を絞めながら、かあさまは問うていた。

 逃げたいか、と。

 分かっていた。

 最初から何もかも。かあさまの為す事が、為すべき事として為したものでは微塵も無い事を。

 ただぼくに「逃げたい」と。そう言わせる為に、そうさせる為に選んだ手段なのである事も、ぼくは分かっていた。

 あの人はぼくに、恐れてほしかったのだ。

 あの人はぼくに、拒んでほしかったのだ。

 あの人はぼくに、“首塚たたり”なんてものを継いで欲しくは無かったのだ。

 けれども、同時に恐れていた。

 ぼくが何者であるかを知る事を、拒んでいた。

 自らの内に秘めた激情が、“祟りの才”とも云うべき怨嗟が、正しく娘に受け継がれている事を、かあさまは望んでいなかった。

 まったく、ふざけた話じゃあないか。

 お前が産んだ娘だ。

 お前が育てた怨みだ。

 その無様な手段で、連鎖を断ち切ろうなどと、傲慢にもほどがある。

 だからぼくは恨んでいる。

 かあさまを恨んでいる。

 恨んでいるし、愛している。

 その二つの感情は、両立して矛盾しない心は、故にこそぼくの意志を決定づけた。

 ぼくは祟りとなる。

 首塚たたりとなって、あの女を恨み殺す事によって、現世の憂いから解放してやるのだ。

 恐れてなんかやらない。

 拒んでなどやるものか。

 ぼくは、あなたをゆるさない。

 愛してやる。受け入れてやる。継いでやる。殺してやる。

 くびきから解放してやる。

 思い通りになど、決してならない。

 ぼくは——


 ——ふと、光が差した。


「生きてるか」

 光は轟音と共に射し込んだ。

 見上げれば、逆光。歪んだ鉄扉を押し広げ、何者かの影がぼくを見下ろしている。

 影は尊大に、無遠慮にこちらへと足を踏み入れ、屈んでぼくの顔を覗き込む。

「大丈夫か」

 問の意味を、ぼくは理解できなかった。

 何故、生を問われているのだろう。

 大丈夫か? 何が、不安なんだろう。

 こういう時に、なんと答えたらいいのか、分からない。

 そんな事、初めて訊かれたから、分からない。

 迷いつつ、思うがままの言葉を紡がんとして唇を動かせば、影はぼくの口に耳を近付ける。余力の全てを注いで、ぼくは吐き出した。

「……こ、ろしてやる」

 問への返答としては一切機能していない、ただ脳裏に焼き付けた言葉をなぞった台詞だった。

 受けて、影は「そうか」と呟く。

 影はぼくを抱き上げる。そうして、光の中へとぼくを運んだ。

 温かい手だった。

 目映く白けた光の中で。

「おめでとう、首塚たたり」

 影はうそぶいた。

「首塚千年の怨みは今ここに、受け継がれた」

 ひどく、寂しそうな声だった。

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首塚たたりの世迷言 @yonakahikari

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