第37話 御前試合 その2
高揚感。
久しぶりに思った通りのイメージで決まったゴール。Bチームとはいえ、壮佐学園相手に奪ったゴール。胸が高まらないわけがない。しかし、ベンチではすぐに控えのフォワードがアップを始めていた。
翔は理解していた。
交代させられる。勝手なことをしたのだから仕方ない。渡辺は褒めはしないが罰はきっちりと与える監督だった。それをわかっててやったことだ。
しかし――
(交代にはまだ時間がある)
どうせ当分はベンチ要員。いや卒業までかも知れない。そういうやつだ。別に構わないと思ったが、翔にはまだ時間があった。ピッチ内の時間があった。センターサークルを越え、少し入った場所で、翔は相手ボールをインターセプト。翔にはパスを出さないチームメイトだが、翔には要求する。
しかし――無視。
どうせゴールには繋がらない。翔はまるで矢を射るように、真っ直ぐな軌道を描き、最短距離でゴールへドリブル突破を試みる。翔はこのスピードをまだ壮佐学園には見せてなかった。
(速い)
総監督の岸川は目を疑う。ドリブラーには見えなかった。しかし滑るような速さを翔は持っていた。
(ボールタッチが恐ろしく少ない……)
岸川は瞬時に翔の速さの理由を見抜いた。しかし
ピピ〜〜ッ!
主審の笛。
壮佐学園のディフェンスは堪らずファールで止めるしかなかった。笛と共に港工学のベンチが動く。
しかし――
「渡辺。お前、チャンスメイクした功労者を代えるのか」
「しかし、総監督。こちらの指示に従わない選手は――」
「お前の指示に従って、前半4失点。負けに来たのか? それともはじめから壮佐学園には勝てないと思ってないか」
渡辺は交代を見送るしかなかった。だが一度収まりかけた渡辺の怒りは更にたかまる。
***
「仲島。ボール」
もうひとりのフォワード三浦が小脇に抱えたまま、離さない翔にボールを要求する。渡辺からキッカーは三浦と指名されていた。
「蹴りたきゃ自分でファール貰え。お前フリーキック決めたことないだろ」
正論と事実。
三浦はこれまで再三翔が貰ったフリーキックを尽く外してきた。ベンチに抗議に向かう三浦を無視し、翔はボールを置く。ゴール右45度。この角度。中学の後輩、鬼束と佳世奈を巻き込んで練習してきた角度だ。
得意な角度。
翔は狙っていた。この角度でフリーキックを蹴れるように、この位置を強引に突破しファールを誘発した。狙い通りだった。壁は厚く高い。キーパーが見えない。こんな時は――キーパーからも見えないはず。
翔は誰もの予想に反し、低い弾頭のシュートを放つ。
視線は壁の上を見る。壁はまんまと、その視線のフェイントに引っかかる。案の定。壁に視界を奪われた『21』番の反応は遅れる。
それだけではない。放たれたボールは、手元で見慣れない変化が加わった。
(む、無回転シュート!?)
翔が母校で後輩の鬼束と取り組んできたのは、他でもないこの『無回転シュート』の習得。
無回転シュートとは文字の通り、ボールに回転を与えない蹴り方で、相手はおろか、蹴った本人ですら、どう変化するか予想できない代物だ。
しかし、そこはさすがBチームとはいえ、壮佐学園のキーパー。大きく手を伸ばし、身体能力でカバーしたかに見えた。しかし、辛うじて指先に触れたものの弾道は変わることなく、ゴールを許す。後半開始10分のことだ。
***
「総監督」
目の前の風景。興奮冷めやらぬのは何も総監督の岸川だけではない。
「伏見、どうした」
「いえ、今日。練習試合ですよね」
「出るか」
「はい。習慣というのは怖いですね。スパイクもユニフォームも持ってきてます」
岸川は目の前で起こった出来事に本来の目的を失念していた。
引退を決意した伏見を選手権まで引き止めるのが目的だったことを、失念していた。そしてもっと大事なことを失念していた。
伏見はフットボーラーなのだ。言葉ではなくプレーで話し掛けるべきことを、失念していた。
「渡辺。伏見を出す」
「仲島に変えますか」
「お前は馬鹿なのか!? もうひとりのフォワードをさっさと下げろ」
渡辺は慌てて選手交代を告げる。
港工学のベンチがどよめく。同じ高校とはいえCチームの多くの部員は、Aチームの中心選手である伏見と練習したことさえない。その伏見がCチームの選手に混じり試合に出るのだ。
彼らにとっては、まさに雲の上の存在。
しかも引退の噂まで出ていた伏見がピッチに自ら立つほど、翔という存在が大きいのか、驚いた。なにも出来ないと思っていた、控えのフォワードが伏見をピッチに引きずり出したのだ。
港工学『9』番を背負う伏見。入学後すぐに与えられた『9』番。3年間彼以外背負うことはなかった。
***
「仲島、オレが
伏見に声をかけられた翔は小首を傾げる。
知らないのだ。部員が多いということもあるが、誰かが凄いといった言葉を翔は
だとすれば佳世奈の兄、長内葵のことを知ってるのはまさに奇跡に近い。そしてすかさず伏見は周りに
「おい、お前らいいか! 前半見てたぞ! もっと自分たちのフォワードを信じて仲島にパスを出せ! 中盤‼ もっとロングシュートを狙え!! ディフェンス‼ もっとシンプルに前線にボールを供給しろ! そんな後ろでボール回してどうする!! キーパー‼ なにやってる‼ 出過ぎだ! ペナルティエリアにいろ!」
伏見の言葉。
逆らえる者がピッチの中にはいなかった。それくらい港工学では絶対的な存在だ。そして動揺したのは相手の壮佐学園も同じだ。Bチームとはいえ強豪校。十分すぎるほど試合には慣れていたが『港工学の伏見』と対戦する覚悟が出来てない。
試合慣れはしているが、黄金世代と呼ばれるAチームがいる。追い込まれた状況を感じる機会が少なかった。
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