天気輪の柱

adotra22

第1話

 ぼくは、君のことが嫌いだ。

 この世でいちばん、嫌いだ。

 ……いや、違うんだ。

 違うんだよ、どうか、どうか、ぼくを好きになっておくれ。

 君がぼくを好きになってくれたなら、

 ぼくは、きっと、君のことを――誰よりも好きになると思うんだ。



 ※



 黄金いろの麦畑が、風にふるえて波打っている。

 その向こうにはどこまでも青い空があって、雲のすきまから一条の光がまっすぐに地上へさし込んでいた。

 その光の落ちたところには天へとのぼる階段ができるのだと、人々は言う。そこをのぼれば、天国へ行けるのだと。


「じゃあ、曇りや雨の日にはどうするんだい?」

 ぼくがそう尋ねると、彼はすこし困ったような顔をして「うーん、きっと渋滞するんじゃないかな」と言って笑った。

 そんな他愛もないやり取りをしながら、学校の帰りに道草をくっていたのは、いつのことだったろうか。


 今では、その彼が眠る病院に立ち寄るのが、僕の放課後の日課になってしまった。


 びゅう、と冬の風が耳のうしろを撫でる。

 商店街をゆく人びとはみな、肩をすぼめ、赤くなった手をふうふうと息であたためながら、行き過ぎていく。


 僕は小走りでアーケードを抜け、病院の自動扉をくぐる。建物の中は広いが、どこか薄ぐらくて、並べられた椅子には老若男女が腰かけ、光る掲示板の番号に耳を澄ませている。


 ――誰かを呼ぶ声。

 ――廊下を走る靴音。

 ――時計の秒針の、ぴしん、ぴしんという音。


 それらを背にして三階の病室へと駆けのぼる。詰所の看護婦に軽く頭を下げて、あまり掃除の行き届かない窓から差す光を頼りに、僕は病室の扉をノックした。


 返事を待たずに扉を開けると、そこには、青白い顔の彼がにこりと笑って、手をふってくれた。

「いらっしゃい。外は寒かったろう? 君の頬がりんごみたいに赤い」

「まったく寒くてたまらなかったよ」

 額にそっと手をあてると、ほのかに熱があった。彼はぼくの冷たい手にびくんと肩をすくめる。

「熱があるみたいだ」

「だいじょうぶ、すぐ下がる。……それより、外はそんなに寒いのか。

 あったかい飲み物を買っておいてあげればよかったな」

「自分で買えば良かったんだけれど、あいにく金欠なんだ」

「それはいつものことだね。ほら、そこのお茶、まだ口をつけていないから、飲んでおくれ」

「ありがたくいただくよ」


 湯気の香りで、それがほうじ茶だとわかる。両手でカップを包むと、しんとした温もりが掌にじんわりと広がっていく。

 その間に彼は、小さな本をゆっくりと開いた。

「何を読んでるんだい?」

「天気輪の柱について、だよ」

 鈴のような、透明な声。僕はおどけたようにため息をついて、彼をじっと見た。

 やせた腕。白くなった頬。このあいだよりも、また少し、弱くなったように見えた。


「また、その話か」

「雲の合間から光が差して、地面にすっと刺さるだろう。あれは、亡くなった人が天国へ行くための道なんだってさ」

「ふうん。…じゃあ、雨の日や嵐の日にはどうするんだい。天気輪がなければ、天国には行けないのだろう?」

「…待合室でもあるんじゃないかな」

「また適当なことを。三日も雨が続いたら、大混雑じゃないか」

「うん、たしかに困る。でも、寂しくはないよ。…一人じゃないからね」

「……なんで」

 なぜ“困る”のか。

 その問いは、喉の奥でつかえて出てこなかった。僕はごまかすように、湯呑を傾ける。


 ――ごくん。

 静かな部屋に、飲みこむ音がやけに大きく響いた。


「明日、本を持ってきてくれないかい」

「どんな本がいい?」

「うーん…。あの作家さんの新刊、まだ出ていないかな」

「どうかな。明日、学校の帰りに寄ってみるよ」

「すまないね」

「気にするなって。それじゃあ、また明日」

「ああ、明日――また」


 僕は学帽をつかみ、立ちあがる。

 彼の顔は、見なかった。


 ただ、静かに扉を閉じた。

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