第四話:容疑者C 《風の女王》

 残念ながら事情聴取が行えなかったウォルトとの対談は別の日に譲り、俺は次なる目的地である《風の国》ヒュアレーを目指して冬の国を後にした。来た時と同じく国境沿いまで水路を下り、そこからは徒歩で都を目指す計画だった。だが俺のその安易な旅行プランは、《風の国》へ文字通り足を一歩踏み入れた瞬間に一瞬で音もなく瓦解した。《地の国》との国境同様、関所の外には旅人目当ての運送業者が待っていたのだ。しかも、ここが《風の国》と呼ばれることからも容易に想像がつく通り、今度の移動手段は何と空路!無論環境に優しい生体動力なので、今回は大きな鳥が風に乗って都までひとっ飛びしてくれると言うわけだ。ゴンドラから地上の景色を楽しみながら空中散歩が出来るなんてそれだけでも夢のようなのに、その所要時間もこれまでの陸路と水路に比べて格段に短い。鳥さんの休憩を考慮しても半日ほどで風の都まで行けるらしい。これを利用しない手は無い。馭者なのか運転手なのか操縦者なのかどう呼べばいいのか分からないが、とにかくその人から話を聞くなり俺は二つ返事で搭乗を決めて料金を支払った。ちなみに運賃は少し高い。おまけに一人乗りだと言うので運送手段としてはやはり一長一短あるのだが、何にせよ気楽な一人旅の俺は大満足で意気揚々と大空へ向けて飛び立った。

 《風の国》ヒュアレーは、秋を象徴していると冒頭で紹介した。そのイメージ通り、起伏の多い山岳地帯の大地は見渡す限り紅葉した木々に覆われている。フルーレンシアを銀世界と表現するなら、ヒュアレーはまさしく<金世界>だ。その圧倒的なまでの美しさには思わず息を吞む。ホーリレニアは<四季の国>を意味していると何かの文献で読んだが、その名に相応しい絶景を各国それぞれが有している。個々の国には、自国が象徴する季節の極限の美しさが凝縮されているのだ。経緯はどうあれ、こんなに壮大で美しい国を旅することが出来て本当に幸せだ。その点だけは作者に感謝してやってもいい。そんなこんなで眼下に広がる黄金の樹海に目を奪われている内に、楽しい遊覧飛行はあっという間に終わってしまって、俺は名残惜しくも目的地である風の都に降り立った。


 風の都フーシェは、《黄金の都》の異名が示す通り、至る所が黄金色の木々と木の葉に飾られている。その中心に偉容を誇る女王の居城は、《天の谷》と呼ばれる底なしに深い谷に四方を囲まれており、リョーディア城と同様で完全に外界から孤立している。おそらく、ホーリレニアにある全ての城がこうした立地に建てられているのは、外敵の侵入を防ぐためだろう。そう考えると、平和そのものに見えるこの連合国にも、有事に備えなければいけないだけの火種が皆無なわけではないようだ。この国が争いの無い理想郷だと心の何処かで信じたかった分その事実は悲しいが、やはり全ての人間が思いやりと優しさだけで出来ているはずがないと言う厳然とした真理は何処に行っても同じと言うことか。夢の無いファンタジーだな。そう心の中でこの世界の創造主に文句をつけつつ、城へと向かうために《天の谷》へ。言うまでもなくここにも吊り橋なんて架かっていないので、どうやって向こうに渡るのかと道行く人に尋ねてみたところ、ハンググライダーで飛ぶんだって。何かもう少し安全な通行手段を確保してほしい。でもつべこべ言っていても方法はこれしか無いそうだから、意を決してやるしかない。不安なので一応係員に聞いてみたけど、今のところ死亡事故は起きていないらしい。それと言うのも、万が一落下したら谷底で眠っている守護鳥さんが風を起こして助けてくれるからだと言う。もちろん、守護鳥さんが助けるに値しないと判断したら暗い谷底へまっしぐら。神風で押し戻されてくるのは年間数人だとの話だが、結局落ちてる人間が何人か存在している以上この方法は万全じゃない。それにもかかわらず、陽気な係員のお兄さんは危機感の欠片も持ち合わせていなくて、その爽やかな笑顔に恐怖すら覚える。それでもどうにか先へ進まなければと思い直し、俺は遂にハンググライダーを手に握った。守護鳥の羽を使って作られていると言うその見事な仕上がりに感心して、思わず気が緩みかけたその瞬間、係員のお兄さんが「じゃ、行ってらっしゃい」と満面の笑顔で俺を背後から突き落とした。心の準備も何もないまま、こうして俺は強制的に空中へと投げ出されたのだった。振り返れるなら文句でも罵声でも思う存分投げつけてやりたいのは山々だったが、そんな余裕は全く無かった。俺はしがみつくようにハンググライダーを握りしめたまま無様な格好で風に揺られて、暗黒の谷を飛び越えた。だが運よく城の建つ陸の孤島に渡った後も空中に捕らわれたままで着陸出来ず、見かねた城兵達に鍵縄を引っ掛けてもらって救助されると言う恥ずかしい一幕を経て、ようやく地面に両足をつけた。


 城に辿り着くまでにほとんど体力も気力も消耗しきってしまったが、俺にはまだ最重要任務が残されているので、それを無事に完遂するまで気を抜くことは許されない。そう気を引き締め直して城門へと向かい、衛兵に女王への謁見を申し出る。すると、俺が何者かすらも聞かれることなく、即答で固い門扉が開かれた。どうもこの国の人達は他人を疑うことを知らないらしい。《水の国》では行く先々で犯罪者の如く扱われていたから、こうして笑顔で気さくに対応してもらえるのは非常に嬉しい。だがその反面セキュリティ面が不安すぎる。みんな人当たりがよくて親切だから、もし外敵や犯罪者が悪さをしにやってきても問答無用で歓迎しそう。この国の元首からしてあの調子だから仕方ないのかもしれないが、一応彼女に忠告しておこうと思う。

「こんにちは!ステラさん!」

謁見の間に向かう途中で呼び止められたので何かと思って振り向くと、目当ての人物がいつもの人懐こい笑顔で立っていた。

「ちょうどよかった。君に話があったんだ。ところで、《ステラさん》って?」

「《ストーリーテラーさん》じゃ長くて呼びづらいから、ぼくが考えたんだ!それとも他に呼んで欲しい名前ある?」

「いや、俺の本名は非公開だからそれでいいよ。強いて言うなら女性っぽい名前だなってだけ」

フェリシアは満足そうににっこり笑うと、「ぼくのことはフェルでいいよ」と朗らかに言った。相変わらず少し変わった子だが、悪い子ではない。ついでだからアエルスにも会っておきたいと伝えると、彼女は自分で呼びに行ってくると言い残して元気に駆け出して行った。俺は近所の子供を見守るみたいな目で彼女の背中を見送った後、予定通り謁見の間で彼らと再会するためにまた歩き出した。

 《風の女王》フェリシアは、一言で言うと天真爛漫なおてんば娘である。何処にでもいそうな至って普通の明るく元気な女の子で、《炎の女王》や《水の女王》と比べるとずっと親しみやすい。健康的な小麦色の肌に、円らで大きなグリーンの瞳。右サイドでポニーテール風にまとめた長い髪はエメラルドグリーンで、巻いた毛先だけ脱色している。言動からするととても子供っぽいが、その実スタイルは《地の女王》に次ぐ巨乳だったりする。不思議な魅力溢れる可愛らしい女王様だ。

「ステラさんは、メラ達と一緒にカリスの事件を調べてるんでしょ?」

謁見の間で風の二人と相対すると、まずアエルスがそう言って話の口火を切った。

「そうだ。この事件の真犯人を捕まえるために、今みんなから当日の詳しい事情を聞いて回っている」

「これまで誰から話を聞いたの?」

「手始めに《水の国》での調査から始めたが、アリバイが証明されたのは《水の女王》だけだ。ウォルトの方は行方不明で話が聞けなかった」

「ああ、ウォルトならずっとうちにいるよね?フェル」

アエルスがそう言ってフェルに振り向くと、彼女は少し動揺した様子で小さく「うん」と答えた。

「何だそうだったのか。でも、どうしてウォルトがここに居るんだ?」

「それは……ええと……の件で来てもらってて……」

「《かんかん工事》?」

「畑にお水を引くんだよ。この国は穀物の生産地だから、畑がたくさんあるんだ」

「ああ、灌漑工事ね。何でルーテリアはその事を知らないんだ?」

フェルはいよいよ困った顔をすると、黙ってアエルスに顔を向けた。

「ねえステラさん。その話はカリスの件と関係あるの?ステラさんが聞きたいのは事件当日の話じゃないの?」

フェルの態度から何かを感じ取ったのか、アエルスが急にそんなことを言い出して話題を捻じ曲げた。あからさまに都合が悪いと見える。こうなるとフェルとウォルトの怪しい関係疑惑が更に現実味を帯びてくるが、予想外にアエルスがフェルを援護し始めたのでこのまま二人を相手に問答を続けても真相には辿り着けないだろう。フェルが一人でいる隙を狙って直撃した方が良さそうだ。

「そうだったな。話が逸れて悪かった。それじゃあ、気を取り直してそれぞれ事件当日に何処で何をしていたのかを教えてくれないか?」

俺はあっさりと諦めたふりをしてアエルスの話に乗ってやると、二人から事件当日のアリバイをそれぞれ聞き出した。


 風の二人のアリバイはこうだ。

アエルスはその日、いつも通り暇を持て余して気晴らしに市場へと散歩に出かけた。彼がそうしてフーシェ市内をうろうろしているのはいつものことらしい。彼はそこで市場の人達と雑談したり、美味しそうな食べ物をつまみ食いしたりしながら街歩きを満喫した後、日が暮れた後に城内の自室へ戻った。食事も外で済ませていたし、何より歩き疲れていたので、彼は部屋へ直帰するなりベッドへ倒れこんで眠りに就いた。なので、その日は一日フェルと顔を合わせていないそうだ。念のために市場の人達にも話を聞いてみたが、呑気な彼らのほとんどは平穏な日常のありふれた出来事に気を留めることがないので、その日アエルスを市場で見かけたかどうかは覚えていないと言う。少なくとも、特に変わったことがない一日だったことだけは確かなようだ。

一方で、フェルはその日、友人と会うために一日城を留守にしていたと主張した。その友人とはフーシェではなく近隣の寒村で会ったと言う。彼女はその後、例の灌漑工事のためにこの国を訪れていたウォルトとライ麦畑で面会し、事務的な話し合いだけを手短に済ませて日が暮れる前に城へと戻った。

なるほど二人とも筋が通ったアリバイだが、それを立証してくれる第三者が存在しない。アエルスの方はこれ以上調べようがないので一旦放置するとして、今はウォルトとフェルの繋がりを追うことにしよう。俺はそう決めると、早速ウォルトに会うために彼が滞在していると言う町外れの宿を訪ねて行った。

 フェルが教えてくれたその宿は、一国の騎士が滞在するには少々素朴すぎる外観の安宿だった。だが城下町への出入り口である門の脇と言う便利な立地が旅人には大好評のようで、狭いロビーは多くの人で賑わってごった返していた。宿に着くなり陽気な酔っ払いに少々絡まれてしまったが、幸い俺の探し人は苦も無く一瞬で見付かった。

「ウォルト!久し振りだな!」

警戒されないよう精一杯親し気な雰囲気を繕ってみたつもりだが、それがかえって裏目に出たのか彼の表情はたちまち強張った。まあ、こんな馴れ馴れしい挨拶を交わす仲だとは俺も思っていないし、再会の舞台も状況も不自然でしかないから不審がられるのは無理もない。

「奇遇ですね。こんな所でお会いするとは」

「実はフェルに居場所を聞いて来たんだ。フルーレンシアでは結局話が聞けなかったから」

ウォルトは「そうですか」と心なしかうっとうしそうに一つ息を吐くと、それなら後日に別の場所で話す機会を設けようと約束してくれた。さすがに他人が大勢いるこの場で殺人事件の取り調べを行うわけにはいかないので同意したけど、何か体よく先延ばしにされている気もしなくはない。まあいい。それなら本題は取っておくとして、外堀から徐々に埋めていくとしよう。

「フェルから灌漑工事の件でこの国に来ていると聞いたんだが、何故ルーテリアにはその話を通していないんだ?」

「それは、この一連の事業が僕個人のものであって、《水の国》とは無関係だからです。ルーテリア様は僕の私事には決して口を出さないお方ですから、別段報告をする必要も無いと判断しました」

「確かに、ルーテリアはお前のプライベートには全く興味が無さそうだった。でも、これほど大規模な工事を隣国で行うと言うわけなんだから、後々揉め事にならないよう一言ぐらい言っておいた方が良かったんじゃないか?」

「それは……あなたの言う通りですね。今更ですが、ルーテリア様に詳細を報告しておきましょう」

ウォルトはあっさりと食い下がったが、それがどうにも俺には納得がいかなかった。これは俺の勘でしかないが、こいつは何かもっと重大な秘密を隠しているような気がしてならない。

「この正門の外にあるの、ライ麦畑か?」

「そうです。この辺りの子供達にとってお気に入りの遊び場のようです。よく誰かが捕まってますよ。何の遊びでしょうね?」

「意味深な表現だが、子供達は単純に仲良く遊んでいるだけだろうよ。それで、ウォルトが灌漑工事をしているのはこの辺りなのか?」

「はい。工事と言っても、定期点検と補修が主ですよ」

愛想よく受け答えするウォルトの顔色に動揺は無い。内容から言っても本当の話しかしていなさそうだ。それならもう少し突っ込んで様子をうかがってみよう」

「じゃあ、あの日フェルと会ったっていうのもそこのライ麦畑か?」

俺がこの質問を口にした途端、ウォルトの表情が一瞬硬直した。

「ええ、まあ……。彼女は、ただ進捗状況を確認しに来ただけのようですよ」

先刻とは打って変わって弱気になった声と伏せられた目が、彼の狼狽ぶりを証明している。期待通り、好青年だけに噓は下手だ。追い詰めれば簡単にボロを出すかもしれない。

「何の進捗状況だ?お前とフェルは俺に何か隠しているよな?」

知ったかぶりで更なる圧力をかけてみる。彼は俺の不気味な薄笑いを目にすると一層怯えた表情になって顔を退けたが、そう簡単に口を割るほど馬鹿ではないようだ。追い詰められたような顔をしつつも、探るような目で必死に俺を睨みつけている。

「あの件をどこまで知っているかは知りませんが、カリスの一件とは全く関係ありませんよ?」

やがて彼は慎重に口を開くと、強気な態度で潔く自爆した。苦し紛れの言い訳のつもりだったのだろうが、これはとんだ失言だ。だが彼が大真面目に口を滑らせてくれたおかげで、ウォルトとフェルの間に怪しい繋がりがあることが証明された。ウォルトは自分の過失に気付くと、はっと青ざめて口を閉ざしたが、今更黙っても後の祭りだ。詳細はフェルを問い詰めれば全て明らかにになる。

「無関係かどうかは俺が見極めて判断する。この期に及んで隠し事がまかり通ると思うなよ?」

俺は捨てゼリフのようにそう言い放つと、颯爽とした足取りで宿を出た。そんな俺が毛布の礼を彼に言い忘れたことに気が付いたのは、滞在先である城の一室に到着した後だった。細かいかもしれないが、容疑は容疑、礼儀は礼儀だ。この借りは今度会った時に必ず返してやる!


 いざフェルに話を聞きに行く前に、今日得た情報をまとめて少し考察してみようと思い、俺は走り書きのメモがびっしり書かれたノートの紙面を机上に広げた。アエルスの供述は以前と変わらず市場を散策したと言う内容だったが、それを証明する人間は誰もいない。したがって彼のアリバイは立証不可能なので、引き続き容疑者の一人として動向を注視しておく必要がある。フェルの方は最初に彼女が語ったアリバイと若干異なる証言が出てきたので、まずはその点を明らかにしなければならないだろう。正直俺個人の見解としては、彼女は誰かに入れ知恵をされて都合のいい話をでっちあげている気がする。もしその推測が正しいとすれば、もっともらしい形に整えた話を真実として語るよう彼女に指示したのは、たぶんウォルトだ。ここへきて急に二人が事件当日に《風の国》で会っていたと言い出したのは、ウォルトのアリバイを固めると同時に、二人の密会を公的な理由にすり替えるために他ならない。彼らはきっと、ウォルトが仄めかした別件の関係でずっと前から密かに通じているのだが、それを<公務>と言う言い訳でごまかして白を切るつもりだ。そうまでして秘密にしなければならないとなると、一体彼らは何を隠しているのだろう?もしそれが今回の暗殺事件とは全く無関係だとしても、興味本位で真相が知りたくなってしまう。やっぱり王道展開なら禁断の愛かなぁ?

俺がそんな事を取り留めも無く考えて一人でにやにやしていると、ふいにカーテンを閉め切った窓の向こうで物音がした。何かが窓にぶつかったような、あるいは誰かがノックでもしたかのような音だ。不思議に思ってカーテンを開けてみると、俺の目に全く予期せぬ光景が飛び込んできた。

「こんばんは!ステラさん!」

窓の向こうで明るく元気そうにそう言って笑顔でこちらに手を振っていたのは、フェルだった。

色んな疑問が一気に沸き起こって一瞬思考が停止しかけたが、まずはこんな時間に俺を訪ねてきた理由から聞くとしよう。俺は静かに窓を開けると、地上十メートル以上はあるはずの真っ暗な虚空に浮かんでいる彼女に「何か用か?」と冷静に尋ねた。

「ステラさん、星は好き?今日はとっても星がきれいだから、よかったら一緒に星を見ようよ!」

それはロマンチックなお誘いをどうもありがとう。ちなみに俺のあだ名から星を連想したのかと聞くだけ聞いてみたけれど、フェルは思った通り何の事か全然分からないと言った顔で首を傾げた。別に知らなくても生きていける豆知識なのでうんちくを披露するのはやめにして「ぜひ」と短い一言で彼女に返事する。すると、フェルはぱっと顔を輝かせて俺の腕を掴むや否や、強引に俺の全身を引きずり出して空中に投げ出した。

「ちょ?待って!俺は君と違って空なんて飛べないんだけど?」

恐怖に震えながら半泣きで彼女の細い腕に必死でしがみつく。

「大丈夫だよ!ステラさんが飛べなくてもぼくの風で支えてあげるから!」

フェルは愉快そうに大笑いしながらそう答えると、それでも不安そうな俺の手を優しく握って歩くように一歩を踏み出した。否応なしにどんどん進んで行く彼女に引かれて、力が抜けきった俺の両足も頼りない足取りで徐々に動き出す。そうしてしばらく空中散歩を続けていく内に、俺はようやく恐れと言う感覚が麻痺して自分の足で立てるようになった。だがそれでも、フェルと繋いだ右手だけは絶対に放さなかった。……下心じゃない!身の安全のためだ!

「ねえ、ステラさんは神様の使いなんだよね?」

満天の星空の下に体育座りで腰を下ろすと、フェルは遠い目をしてそんなことを言った。

「厳密には全然違うけど、<神様>と対話できないことはない」

俺は回りくどい言い方でそう答えると、彼女の隣に座って同じ方向に漠然と目を向けた。

「それなら、どうして神様に本当のこと聞かないの?」

「この世界の<神>は根性ひねくれてるから、本当のことなんて聞いても教えてくれないの」

フェルは落胆した様子で「そっか」と溜め息をつくと、両膝の上に顎を乗せて目を伏せた。

「……ぼくね、カリスの城にいた時、アエルスと一緒にカリスに会いに行ったんだ。宰相のおじさんにはだめだって言われてたんだけど、どうしてももう一度顔が見たくて……。それで、ある晩に二人でカリスが眠ってるって聞いた場所に行って、こっそりカリスの顔を見てきたんだ。カリスはきれいなお花がいっぱい敷きつめられた棺の中で、あおむけで眠ってた。まっくらだったからよく見えなかったんだけど、本当に、ただ眠ってるだけみたいだった。もしかしたら、本当に寝ちゃってるだけで、そのうち目が覚めたりするんじゃないのかな?」

言いながら涙目になっていく彼女の横顔を見ていると、俺は胸が締め付けられる思いがした。彼女の言う通り、本当に《地の女王》が眠っているだけだとしたら、どんなに良いだろう。だがその切実な祈りが現実になり得ないことは、彼女と一蓮托生だった騎士の死が無情にも証明してしまっている。彼の遺体が依然として見付からない点は奇妙だが、関係者はもう彼の死が確定したものと信じている。彼の生存を示す手掛かりが何も無いからだ。

「《地の女王》はどんな人だったのか、教えてくれないか?」

少しでも彼女の死と言う悲しい現実から目を逸らせようと、俺は楽しかったはずの過去についてフェルに尋ねた。フェルは零れ落ちそうになっていた大粒の涙を拭って顔を上へあげると、記憶を手繰るように少しずつ、カリスペイアの人柄について話してくれた。

「カリスはね、とっても優しい人なんだよ。絶対にみんなとけんかしたりしないけど、悪いことをしたらちゃんと叱ってくれる、お母さんみたいな感じかな。だから、みんなカリスのことが大好きだった。メラとルールーだって、カリスがいた時にはあんな風にけんかしたりしなかったんだよ。でも、きっとそうやっていつもみんなのことを気にかけている分、カリスは色んな悩みを一人で抱えてたんじゃないかなって思う」

フェルはそこまで言い終えると、何故か急に暗い顔になって下を向いた。

「……ねえ。ステラさんは、どうしてカリスが狙われたんだと思う?」

出来れば今はこの話題について話したくはなかったが、聞かれてしまったので答えないわけにもいかず、俺は徐に口を開いてこう答えた。

「フェルの話を聞く限り、怨恨の線は無いだろう。そうなると、やっぱり領土問題かな?《地の国》は連合国一肥沃で豊かな土地だと聞いたし、国土を少しでも広げたいと願うのは何処の国も同じだろう」

俺がこう答えたのを耳にすると、フェルは何処か納得したみたいな顔をして更に視線を落とした。

「ホーリレニアは、平和の象徴みたいな国。でもそれは、結局表向きだけのことなのかもね」

フェルは意味深にそう告げると、その場に立ち上がって俺を見下ろした。

「ぼく達女王はね、水面下でずっと戦争をしてきたんだよ。それでもぼくは、その結末がこんな形で訪れるなんて全然思いもしなかったんだ」

唐突に告げられた衝撃の告白に、俺は絶句してただ成す術もなく彼女の顔を見上げるしかなかった。思いもよらぬ血なまぐさい単語を口にした彼女の真っ直ぐな瞳は、いつもの純真さとはかけ離れた凛々しく真剣な眼差しで、貫くように俺の目を見据えていた。


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