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 先程蓮沼が外から眺めていた居間の方へと案内されたヒバナ達は、修平の母親が麦茶を用意している間、仏壇に手を合わせていた。そこには父親と子供の写真が飾られており、父親の健司と息子の修平の容姿を知る事ができた。

 毒気もなくなんの変哲もない平凡な、それでいて優しそうな父子の姿を映した写真があった。



「ごめんなさいね。こんなものしか用意できませんが、どうぞ召し上がって」



 麦茶にチョコレート菓子と、十分なもてなしを受けた麗華と藍染は「いただきまーす」と手を合わせてお菓子を貪るように頬張りだした。



「ちょ、みんな遠慮してよ!」



 恥ずかしそうに顔を赤くし2人の手を掴んで止める蕨だったが、そんな彼女を宥めたのはお菓子を用意した修平の母親だった。



「そんな遠慮なんてしなくていいのよ。寧ろ息子の友達が来てくれたみたいで嬉しいのよ。だからあなたもほら、遠慮せずどんどん召し上がって頂戴。あなたも、息子に手を合わせてくれるのは嬉しいけど、こっちにきて一緒にお菓子でも食べて」



 写真に写る2人を凝視するように見つめるヒバナは、そう促されて麗華の隣に座り、同じようにお菓子を口に運んだ。



「ん……。 おいしいです」



「よかったわぁ。遠慮せずどんどん食べてね。 ……昔に戻った気分。あの子が生きていた時もこうやってお友達を連れてきてはお菓子を御馳走したりしたものよ。そこのテレビでゲームをしたり、トランプを持ってきては神経衰弱やババ抜きをして遊んだりもしたわね。 ——と、ごめんなさい。お話を聞きたいのよね。何を話しましょうか?」



 予め質問するべき事を用意していたヒバナはそれらについて尋ねた。まず修平、そして父親の健司の写真、修平が書いた作文や通知表を見せてもらい、修平の好きだったものや得意だった科目、亡くなる前に習いに行っていた市民プールでのスイミングスクールでの活躍についてだった。



 流石に写真まで手に入れようとは思えなかったのか、藍染は修平の写真をさらに写真に収め、蕨は手帳に取材内容を書き込む。その光景は本当に取材そのもので、蓮沼は自由研究という蕨の言葉を完全に信じ込んでいた。






「先生、もう夕方6時となりましたが、子供達を帰した方がよろしいんじゃありませんか?」



 取材を行っているうちに日が傾く時間となった時、粗方の質問に答えてくれた修平の母親は子供達を返すように蓮沼にそう促し、子供達もまた黒井家からおいとましようと立ち上がっていく。

 しかしそんな中、ヒバナだけは座ったまま修平の母親に対して質問を続けた。



「もう少しだけ質問をさせてください。特にスイミングスクールについて詳しくお聞かせ願いますか?」



「え? えぇ、別に構わないわ。あの子、海へのあこがれが強かったのよ。に都市が覆われて気軽に遠出することもできないこのご時世がそうさせたのかもしれないわね。お風呂とかプールとか水の中にいるのが好きだった子だから、自然に泳ぎが上手くなったのね。上原先生に泳ぎの才能を見い出されて凄く喜んでいたわ」



「上原先生?」



「スイミングスクールで臨時講師をしていた先生よ。確か……全国大会で優勝経験のあった人で、上原うえはら 泰志たいしって方だったわ」



「え!? あの4年に1度だけ行われる世界水泳競技大会の400メートル自由形で優勝し、マリンワールド・チャンプの称号を勝ち取った『ザ・サブマリン』の異名を持つ水泳選手の、上原 泰志ですか!?」



 講師の名前を聞いて興奮気味に身を乗り出して尋ねる蕨。修平の母親は気圧されてかコクコクと頷いて肯定する。ヒバナはダサい異名と共に紹介された上原 泰志という男ついて詳しく尋ね出した。



「上原 泰志か……。 黒井さん、その男は今もスイミングスクールの講師をしていますか?」



「え? ごめんなさい。流石に息子を失ってからは知らないわ。あの時は弁護士を交えてプール側と……大人同士の難しい話し合いで疲れ切っていたから、講師の事を構う余裕なんてなかったの。でもまぁ……あくまで臨時なわけだし、引く手あまたの有名な講師だから、もしかしたらもうとっくに別の都市に行ってるんじゃないかしら?」



「その先生はどんな感じの人ですか? その先生から教えられてからの修平君はどんな感じでしたか?」



「ど、どうって言われても……別に先生から教えられても普段と全く変わってなかったわね。熱血漢な方でつきっきりで指導してくれたし、他の子よりも贔屓してくれていたから修平がプールで亡くなったと知った先生は、私達と同じように悲しんでくれたわ」



「わかりました。今日は突然の取材に協力していただいて、ありがとうございました」



 そう言いながらヒバナはゆっくりと立ち上がって修平の母親に頭を下げた後、蓮沼達と一緒に黒井家を後にしたのだった。なぜ上原 泰志の事について熱心に聞いていたのかを蕨達から尋ねられたが、有名な水泳選手の事について聞きたかったからとヒバナは答えた。

 しかしそれが本心だったのかは、この時この場にいた全員には知る由もなかった。






「——さて我野君。黒井さんの取材は終わった事だし、聞かせてもらえないかな?君達がどうして修平君の事件を知ったのかを」



 黒井家から藍染家に俊也を下ろした後、ヒバナは学校に忘れ物をしたという理由で先生と共に学校へ送ってもらうことになった。それを聞いた蕨は途中で寄る事になっていた自分の家、樋橋家で降ろしてもらう事を拒んだ。

 結果、蕨と麗華、ヒバナと蓮沼の4人だけとなった時、思い出したように蓮沼はヒバナに事件を知ったきっかけについて尋ねたのだった。



「ど、どうしようヒバナ君。ここは先生に教えた方が——」



「そのつもりだよ。僕がきっかけを言い淀んでいた根本的な原因は新聞部の部長がいたからだったしね」



「どういうことだい? 藍染君がいたら何か都合の悪い事でも?」



「それは今から話す内容を聞いてもらえばわかると思いますよ」



 そう言い終えた後、ヒバナは図書館で得た情報、今回の取材で得た情報を整理して蓮沼に黒井 健司が歩道橋の転落事故を引き起こしたという仮説を説明をした。



「もしこの仮説を新聞部の部長に伝えたら、あの人はきっと修平君のお母さんにその事について言及する可能性があった」



「それが行きのリムジンで言ってた、違う不安要素ってやつだったんだね」



「亡くなった身内が人様をケガさせ、最悪の場合、死に追いやる結末となりかねない事をしでかしたと知れば、母親も責任を感じて死を選ぶかもしれない。息子と旦那を失って失意に陥っているであろう人に、追い打ちをかけるようなことはしたくなかったんです。今回は修平君とそのお父さんの写真を確認する事、母親から話を聞くことが目的でした」



「君なりに黒井さんの心情を思っての事だったという事はわかったよ。でも幽霊が人を襲うなんて——」



「信じてもらえなくても構いません。元々目に見えないものを信じろと言う方が無茶な事だとは理解してますから。でもこの世にはいるんですよ、自分が死んだことにも気づかず、生きたように町を彷徨う者が。不運な事故に巻き込まれ、死してなお苦しい思いをし続けながらこの世を彷徨う者が。後を追うように死んだ者が、死後の世界でその魂を探して彷徨い歩く者がね」



「……君なら新聞部よりもオカルトクラブの方が様になるよきっと」



「お褒めの言葉、ありがとうございます」



 すっかり日が沈んだ夜の町を走る優美なリムジンの中で、終始笑顔で不気味な話をするヒバナの事を蓮沼は気味悪く思うのだった。そして話が終わるのと同時にリムジンは未だ通行規制がかかっている歩道橋の下に入った。

 そしてヒバナはリムジンの窓を開けて頭上にある歩道橋を見つめ続けていた。その横顔は哀愁漂うもの悲し気なものだった。



 ただ気がかりなことといえば、規制がかかっているとはいえ、警察官が見張っているわけではなく、進入禁止のテープが貼ってあるだけの簡素な物だったという点だった。その理由は、後日の朝に知る事となる。

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