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 みやことは、紙代かみしろみやこのことだ。中等部三年生で一つ学年が下の僕と月人の幼なじみである。

 よほど、僕の顔が非難に満ち満ちていたのか、月人は焦ったように弁明した。


「待て待て、俺じゃないぞ。母さんが偶然会って言っちゃったらしいんだよ。まさか都が知らないとは思ってなかったみたいでさ」


 都は秀麗学園の生徒会副会長と書道部の部長を兼任している。この学校の生徒会は中高で一つなので、副会長とは中等部での会長を意味していた。

 その肩書き通りというと世の中にかなり怒られそうなので、僕のイメージでの話だけれど、都はちょっとお堅い性格で年下ながら怒るとかなり怖い女の子だった。

 小学校に上がる前から月人と都とは三人でよく遊んだ。月人がバカをやって、僕はそれに巻き込まれて、二人して都に怒られる。僕たちはすぐに忘れてしまいそうな、でも何より楽しい時間を長く共有してきたのだ。


 僕が他人から差別されはじめたあとでも、変わらずに、今日までも。


 年末の僕の不調は病的なものではなかったので、一人暮らしをしている僕の部屋に月人にだけ食料の買い出しをお願いしていた。都に黙っていたのは、前述の通り、知られると絶対に病院に連れて行こうとする性格だとわかっていたからだ。心配もかけたくなかったし、すぐに治るというカシアの書き置きは信頼していたから月人には内緒にしてもらっていたのだけど。


「都、怒ってるよね……」


 おそるおそる聞くも、月人は同情する顔で笑った。


「ごめんな。でもまあ、フォローはもう入れておいたからさ。大丈夫だろ、あいつ心配性なんだよ」


 加えて、怒りんぼである。

 まぁそれは僕と月人くらいにしか見せない内面だろうけれど。


 僕がため息をつくのを待っていたかのように、チャイムが鳴り担任の八坂が入ってきた。数学担当の教師でまだ二十代だと思うけど、口数が少ないせいかどこか貫禄がある先生だった。さすがに生徒たちはバラバラと席につき始める。


 今日は始業式のようなものはなく、冬休み中の宿題提出と連絡事項くらいのものだろう。おそらく、というかほぼ確実に都がすぐに高等部にやってくるはずだった。

 いつもなら携帯に連絡がくるところだけど、あのクリスマスのドタバタの過程でスマホを壊してしまってからまだ新しいのを買っていなかった。このことも多分、怒られる。

 月人には早く修理か買いに行けと急かされていたのだが、なんといっても僕のスマホは吸血鬼に真っ二つにされてしまったから、スマホを見るだけでちょっとトラウマだったのだ。

 

 あぁ憂鬱だ。

 このあとすぐに、都に携帯ショップへ連行されてから何があったのか事情聴取が始まる。あの怖い尋問官相手にカシアのことを隠し通せる自信がなかった。

 まぁ別に隠す必要はないのだけれど、なんとなくまだあの日のことは自分だけの思い出として残しておきたかったのだ。


 でも都にも月人にも、いずれ話そうとは思っていた。

 カシア・シルヴァレイズのこと。

 そして、吸血鬼を含めた『化神けしん』と呼ばれる人たちのことを。

 

 いつになるかわからない未来の想像していると、誰かの小さい歓声が聞こえた。

 教室中のざわつきを感じて僕は落としていた視線を前方へあげる。


 八坂の後ろには、一人の女の子がついてきていた。


 秀麗女子の制服を着た女の子は、セーラー服という記号的な服を着ているにもかかわらず、強烈な個性を隠せないでいた。当然だろう、彼女の外面と内面の美しさを制服の中にとどめることなんて出来やしないのだ。


 西洋のくっきりとした輪郭をわずかに残す顔立ち。長い赤みがかかった艶のある茶髪は光って見えた。身体の線の細さと相まった透明感のある肌、落ち着きを払った佇まいは人を酔わせる魔力がある。

 懐かしい思い出だ、僕はこの印象を去年のクリスマスを抱いていのだ。もちろん、あのときは制服ではなく、彼女お気に入りの洋服だったけれど。


 人間の意識とは不思議で、僕は丸々数秒は彼女のことを見ていたのに、それがあの美化された記憶と同じ女の子であると、なかなか認識できないでいた。


「…………は?」


 ようやく、僕は目の前の光景と意識が重なりつつあった。


「どうした? 冬紀」


 隣の月人が小声で聞いてくれたが、僕にはそんな余裕はなかった。

 そんな僕の気持ちなんて当然露知らず、八坂はいつも通りの覇気のない声で話し始めた。


「えー、今日から新学期です。とはいっても三学期は短いし行事もないからほとんど

期末テストのための授業って感じになるな」


 僕はそこで一度、目を強く閉じて俯いた。

 あり得ない、あり得ないことだ。だって現実的に考えて不可能なのだ。彼女は国籍もないし戸籍だってないし、秀麗にはそもそも高等部への編入制度はないはずだった。

 でも、「日本の学校に行きたい」とカシアはこの国にやってきていた。遙か遠くのイングランドの山奥にある吸血鬼の国から。

 そんな彼女をどうすれば学校に通わせるか、それがあの日、僕たちが笑いながら話したことだった。


 僕の幻覚だ、彼女の願いが叶って欲しいという願望が創り出した幻だ。都に怒られるのが嫌でこんな幻を創り出したのだろうか。

 そうだとしたら僕はどれだけ嫌なんだ、都に怒られるのが。


 八坂はなんともぞんざいな振りで「あと、彼女は転校生です」とどうでもよさそうに彼女に挨拶を促した。

 

 僕は顔を上げる。

 やはり葛藤空しく、彼女は一文字一文字を丁寧に伝えるように言った。


「カシア・シルヴァレイズです。日本は初めてなので緊張していますが仲良くしてください。よろしくお願いします」


 カシアは僕を見て柔らかく笑ってみせた。

 それは悪巧みが成功したという意地悪な笑みにも見えなくはない。一体どんな魔法を使ったのやら。ここまでくれば諦めがつく。

 あの子は僕が憧れた、吸血鬼の女王。カシア・シルヴァレイズである。



 これだけで終われば。



 これだけで終わってくれていれば、まだ僕のため息が口から落ちるだけ済んでいた。しかし、カシアが名乗った瞬間にガタンッという音を立てて、まるで悪魔と出会ってしまったという眼でカシアを見つめる人がいた。


 僕はカシアを視界に収めながら、その音の方へと眼を向ける。


 椅子から立ち上がって、戸惑いを露わにしていたのは窓際の女子生徒。

 毎朝、僕よりも早く一番乗りで登校していた女子だった。

 

 まさかと思う。けれど、それがどういうことだったのか。

 

 僕はまだ、本当の意味で理解できていなかった。


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