1ー1

 一月初旬。

 あのブラッディクリスマスとなった日から数えて約二週間。

 自分がこうしてまた学校に通っているなんてちょっとしたミステリーな気分だった。


 新学期初日のホームルーム前の時間はみんな浮き足立っているように見える。

 僕の席は教室の真ん中あたりで生徒の半分が見渡せたから、緩やかに大きくなる喧噪がよく観察できた。

 基本集中力のない僕には、この騒がしさは本を読んでも文字が滑ってしまうからこうしてぼんやりと人間観察するのがこの時間の僕の習慣だった。


 何気なく、窓際の女子に視線を送る。

 友人と談笑している彼女の机には閉じられた本が置かれていた。

 僕は毎日意味も無く朝早くに登校するのだけどいつも一番乗りではなく、必ずといっていいほど、あの女子が寡黙に本を読んでいた。

 別にロマンティックに胸を焦がしているわけでも、登校時間を早めようか対抗心を燃やしているわけでもない。ただ、僕が登校してきたときの彼女は人と話すことが罪だといわんばかりの圧で、ページに目を向けているのが少しだけ気になっていたのだ。

 仲の良い友人がやってくれはその圧は解かれるのだけれど、なんとなく今どきの女子高生らしくないなと勝手と思っている。とはいえ、僕は彼女の名前も知らないからその不思議の理由が性格なのか、はたまた本の内容なのかは永遠にわからないだろう。

 名前くらいは意識すればわかることだけど、クラスメイトの名前は、全くといっていいほど覚えられない。僕の人への興味の無さも大概だった。


 そんなことより、いま僕の頭から離れないのは一つだけだった。

 小さく息を吐き出しながら、教室の天井に視線を移す。


 当然、そこに青い寒空なんて見えるわけがなく、クリスマスの夜に大破したはずの天井はすっかりと直ってしまっていた。

 いったいどんな手品を使ったのか皆目見当がつかない。それは時間を巻き戻したといわんばかりの原状回復で、あの日、ここの教室で死にかけた事実さえも夢のように思えるほどだった。けれど、忘れることなんて出来るわけがない。


 あの景色も、あの痛みも、カシア・シルヴァレイズという少女も。


 今頃、あの子はどうしているだろうか。

 遠くに行ってしまったカシア・シルヴァレイズに想いを馳せる。心配など杞憂だろう、きっと彼女ならどこでだって笑っているはずだから。


 予鈴が鳴り響く。

 十分後には担任が来るというのに、クラスメイトたちはまだ会話に花を咲かせていた。

 ここ秀黎しゅうれい学園は中高一貫高で都内では有数の進学高に名を連ねている。レベルとしては上の下といったところで比較的裕福な家庭の子どもが集まる傾向にあった。親が医者と社長とか、政治家とか何かしらの社会的な肩書きを持っていることが多い。

 中途受験組とかも混ざってはいるので、お嬢様お坊ちゃん学校というのは言い過ぎだが、会話の内容は年末にかけて海外に行ったやら別荘に行ったやらといった優雅な年越し話のお披露目会が多かった。


 一番距離的に遠かったのはニューヨーク。ハワイに行った人が多かった。わざわざ海外に行って年越しをするなんて気が知れないけれど、家族や親戚が集まる理由になるのならそれも意味はあるのかもしれない。


 家族。家族。家族。


 呪文のように何度も唱えても、心に馴染むことはなかった。

 家族なんてものは僕にとっては粘着性を持った塊だった。捨てることもポケットに入れることも出来ずに握りしめていなければならない代物。きっとこれは永遠に変わらないのだろうと思う。


 悪い方向に行きかけた意識が、一人の女子生徒の「おみやげ配るねぇ」という声に戻された。

 確かクラスの中心となっているグループの女子、だったと思う。小さい個包装されたお菓子が配り始められるが、僕の近くを通るもお菓子が配られることはなかった。

 

 別に驚きも傷つきもしたりしない。

 この教室では僕だけがそういう対象というだけのことだった。もうずっと前からだしこのくらいで傷つく心なんてとうに過ぎている。

 僕は本のページに目を向けたままだったけど、机の中央に女子が配っていたお菓子が置かれた。


「あけましておめでとう、だな。冬紀」


 そう言いながら、隣りの席に座るのはいかにもスポーツマンといった外見の男子、加島かしま月人つきとだった。クラスメイトでの唯一の例外。僕の親友である。


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