第33話 フランスの町

 キラキラと輝く海面と同じ様に、暫く目を輝かせていた一同だったが、満腹感と目的地までの緩やかなカーブが揺り籠のように眠気を誘う。

「ふぁ――」

 大きな結月の欠伸に続いて、最後部座席の凛と壮星も大きく口を開けた。

「ヤバいっ! 眠くなってきた。南極センターで極寒体験してた時は目が覚めてたんだけどな」

「壮星君、私も~」

「飲茶、すごっく美味しかったから、食べ過ぎちゃったもんね。観光で運動したつもりだったけど、まだお腹いっぱい」

「ワゴンで運ばれて来るから、選ぶの楽しかったね」

 睡魔に襲われそうになった壮星達だったが、飲茶の余韻を思い起こすと舌なめずりをした。

 一同は、クライストチャーチ中心部から海辺へ20分程車を走らせた郊外にあるサムナーと言う街に向っていた。高波が訪れるサムナーはサーファーに愛される街で、夏場になると浜辺に並ぶカフェやバーは常に賑わっている。

「サムナーに行くのは久し振りだなぁ」

「僕もだよ」

 全開にした窓から、潮の香りが入り込み、不思議と全員をリゾート気分にさせる。

「あっ」

 突然の大声で車体が浮かび上がりそうになると、一気に全員の眠気を覚ます。

「モアナ、大きい声出して何や。皆ビックリしてるやんか」

 ウルタプに指摘されたモアナは、右手の平で口元を覆うと背を少し丸めた。

「すまん、サムナーじゃなかった」

「はぁー?!」

 モアナの予期せぬ発言にアリは他と同様に驚きの表情をつくったが、ゆっくりと車のハンドルを左へ回すと安全な場所に停車する。


 ウルタプはシートベルトを外し振返ると背後に座るモアナの頭上に冷淡な視線を降り注ぐ。

「あ、すまん」

 確認せずともウルタプの鬼のよう形相が想像できるモアナは、俯いたままで謝罪を口にする。

「で、どこに行くんや」

 ウルタプの声が若干丸みを帯びたため、モアナは恐る恐る顔を上げた。

「アカロアだ」

「ア・カ・ロ・ア! 車やったら反対方向やないか!」

 想像通りのウルタプの反応に、合わせていた目線を彼女から外すと、再び俯き加減になる。

「すまん。メンテナンスをしている事を失念していた」

「メンテナンス? そんなん必要か? ハァ―――」

 ウルタプはモアナが吹き飛ぶほどの大きな溜息をつくと、身体を正面に戻し隣のカイに首を傾けた。

「サムナーじゃなくて、アカロアに行くのか?」

「そうみたいやな」

「皆、すまない」

「いや、俺達は問題ないけど・・ アリ、アカロアみたいだね」

「つべこべ言っていても仕方がない。引き返すぞ」

 アリは再びハンドルを握るとエンジンを掛けようとする。

「いや、ここから森に入りぃ」

「車だと反対方向だけど、森を移動できれば方角は同じか」

「そうやけど、途中海があるから大回りせなアカン。ハァ―――っ!」

「すまない」

 モアナの大きな身体がウルタプのため息で小さく縮むとポツリと謝った。

「ウルタプ、モアナも反省しているんだし、アカロアに行けば旨い物があるぞ」

「何やて?」

「アカロア?」

 最後部に座る凜がパラパラとガイドブックをめくる。

「あった」

「凛? どうした?」

「アカロア。ガイドブックで見てたけど、遠いから無理かなって思ってた所」

「何々?」

 隣に座る壮星が凜の持つガイドブックを覗き込んだ。


 クラストチャーチから車で1時間半、バンクス半島の小さな港町アカロアは、マオリ語で「長い港」という意味がある。捕鯨を目的に大勢がフランスから移民した歴史のあるアカロアは、現在でもフランス色を色濃く残しマオリ文化とのユニークな融合が見られる町である。


「引き返さずに森を抜けるなら、チーズ工場には行けないな」

「チーズ工場? 何処やそれ」

 ウルタプはカイの言葉に大きく反応すると、カイの肩を鷲摑みする。


 アカロアに向う途中にあるベリーズ・ベイ・チーズは、自然素材だけを使用し昔ながらの製法で40種以上のチーズを作っている。9月~5月の時期はガラス越しにチーズ作りを見学できる。(要確認)

「そこからならアカロアまで直ぐじゃないか」

「アリ、そうだけど」

「チーズを買うだけなら、そんなに時間が掛からんじゃろ」

「グッドアイデアや。じゃあチーズまでぶっ飛ぶで」

 モアナから行先の変更を知らされた時は不機嫌だったウルタプだったが、チーズが味わえると知った途端、満面な笑みで車から降りると、いつものようにモアナが下車するのを待つ事なく車ごと一気にアカロア方向に移動させた。


 事前に確認もせずに訪れたベリーズ・ベイ・チーズ工場だったが、運よくウルタプの望み通りチーズを手に入れ、そこからはモアナの指示でアカロアの浜辺に向けて車を走らせた。


「あそこだ」

 車内で静かだったモアナが窓から身体を乗り出すとビーチからは、それほど遠くない場所に浮かぶ小さな岩を指差した。

「モアナ、あそこに行けばいいのか?」

 カイが振り返ると背後に座るモアナの指先を視線で辿る。

「あれって、カイコウラでモアナに会った時に見た岩に似てるね」

 モアナの隣に座るレイノルドもカイと同様にモアナが指し示す岩を観察する。

「モアナ、また洞窟があるのか?」

 壮星がモアナが座るシートを背後から掴むと身体を前に傾けた。

「そうだ」

「どこでも、洞窟だなぁ、かっけぇー」

 興奮気味の壮星に褒められたモアナは、気分を良くすると壮星に応えるように右手を高く上げる。すると、その手に壮星はハイタッチをした。

 ハンマースプリングで意気投合した二人は、壮星がモアナに人間の感情表現やジェスチャーを教えていたのだ。


 浜辺近くに車を停めるや全員飛び降りると辺りに洞窟を探すが、砂浜を歩いたり、レストランでワインを片手に会話を弾ませる人々が目に入るだけだった。

「洞窟はどこだ?」

 目線よりも高いモアナの肩に手を置いた壮星が呟いた。

「あんたは何で、こんな人目の多い所を選ぶんや。突然人が消えたら事件やろ」

「ああ、昔はこんなんじゃなかったからな」

「ハァー」

「問題ない」

「問題ありありや」

「皆には見えないのか?」

 車から降りるや真っ直ぐと何かに向って歩いていたカイが、振り返ると皆に語り掛ける。

 そう、カイには、マウイ神の僕と同様にビーチの上にポカリと口を開ける洞窟の入口が見えていたのだ。

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