第16話「華幕」

「華幕」。初めて実戦導入されたそれは、緊張地の中心———それも成層圏に差し掛かる地点で風船のようにフワリと浮かび、その威容を露わにしていた。

ひし形の鋼鉄のボディを有し、外殻の数か所は赤や緑といった色で怪しく点滅する。

 そのボディから滲み出るようにして四方に広がるオーロラのようなカーテンは世界を優しく包み、幻想的で息を吞む光景を作り出していた。

弾道ミサイルが目標地点を通過した段階でそれは切り離され、指定座標で静かに起動してから誰の目にも触れることはなく、孤独な衛星のように、ただその空間に座しているだけだった。


「「華幕」起動確認。システムオールグリーン。続いて光幕、緊張地全体への拡散を確認。指定領域クリア、出力維持———」


 統制庁内の軍事オペレーションルームは忙しなく、各々が画面に釘付けになり、渋い顔をする者、興奮を露わにする者、安堵の息を漏らす者とそれぞれだった。


彼らからしてみれば、自分の子供がようやく二本足で立ったのを目の当たりにしたようなもので、その状況を見守る親のようでもあった。


「成功だ・・・!」研究者らしい白衣に身を包んだとある男性の喜びの声は司令室の空気を僅かに振動させた。


     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


——「華幕」。緊張地全体を覆う規格外の大きさの帳を下ろし、その地を封鎖し外からの侵入の一切を拒む物。


『クヴェルア』が有する異界の情報の中には、兵器転用のアイデアを生むような奇想天外な物体が存在する世界も少なくは無かった。その一つが「華幕界」という異名を持つ『キャデラン』という異界である。


 その世界は巨大な樹木にも似た、天を衝くかの如き円柱状の構造物が存在する。

その頂点からは、俗に「華幕」と呼称される、不可侵領域を形成する未知のエネルギーフィルターがドーム状に展開されているのだ。


 緊張地上空で展開されたそれは、『キャデラン』のそれを模して造られた疑似的な物であり、本来の性質とは違うが物理的な不可侵領域を形成することに成功した。

 それの本質である、何かを閉じ込めるという鳥かごのような役割を実現し、かつ通信の妨害。さらに衛星からの観測も妨害するという副次的な特性も派生して獲得することに成功したのだった。


 それが織りなす世界の光景は美しい。貫くような青で天蓋を染めていたかつての空の姿は無く、グラデーションがかった薄緑色に染色される。


「これは・・・」


ドンワーズの声につられて、フロントガラス越しに上空に視線を移す。確かに彼の言う通り、その色はどこか潜在的な嫌悪感を抱く、薄緑の色彩に染まっていた。


「・・・セル、例の危惧事案はアレだけじゃないのか?」


『待て、今調べている。————む、上空に何か・・・』


 セルムグドの意識は緊張地のネットワークに潜り込み、あらゆるローカル回線を疾走する。その中で、遥か遠くを観測できる電子望遠鏡の中枢システムへと到達した。


『・・・成層圏付近に何かあるな・・・なんだ?ひし形の物体だ。・・・どうやら、この緑色の物はそれから放出されている』


「・・・・・それの破壊は?」


『可能かどうか断定は出来ないが、そう簡単に破壊は出来ないようになっているだろう。それに、今はアレの対処に手いっぱいでそれの存在にまで意識が完全に回っていないようだ』


「・・・クソ、何がどうなっている」


 考えても仕方がない。とにかく空港までの道程を急いだ。しかし、その直後、目の前を覆うそれの距離が近づいていることに気が付いた。


「———まさか・・・」


彼女はそれを確かめるためにアクセルペダルをより強く踏み込み、エンジンが更なる唸り声をあげる。


「ロロンさん、これって———」


ドンワーズもそれに気付く。永遠に続いているかに思われたそれは、ある地点で地上に接しており、彼らの行く手を阻む壁のようにして聳え立っていた。


「・・・・・」


 彼女はブレーキペダルを苛立ちを交えたように踏み、その地点で停車させる。降車するロロンに続き、二人も地に足を付けた。


 目的地は目と鼻の先だ。しかし、その建物にかかるようにして垂れているそれの様子を見ると、近づかない方が良さそうなのは一目瞭然。その幕に触れている物体全てが激しく発光。まるで溶接でもしているかのような火花を散らしていた。


「熱・・・?いや違う———何だ、これは・・・?」


『ロロン、あれら幕状の物から高密度の電子層を確認した。それが持つ超高電圧が影響して接地面に熱負荷を与えているのだと思われる』


「つまりなんだ。あれは電磁バリアだとでも?」


『厳密には違う物だろうが、とりあえずはその認識で問題ないだろう。重要なのは、アレが物理的な壁として機能していることだ』


「えっ、それじゃあ、外へは出られないってことですか・・・!?」


「・・・恐らくは、な」


『無理に突破するのは止めた方が良さそうだ。・・・っ、あれを見ろ』


セルムグドが指差す先には、渡り鳥の群れがこちらに向かってくるのが見える。しかし、緊張地内に入る直前、目の前に展開されているそれに次々に激突していった。


「・・・なっ!!?」


 くぐもった音。何か小さな爆弾が破裂するような音が僅かに鼓膜に届く。その音が発生した場所では、自由に空を駆けていた鳥たちがその高電圧の壁に触れた途端、体全体が膨張して破裂する。

それから溢れだした赤い体液は細かい粒子となり、霧散。空間を染めた。


「・・・高電圧で、体内の水分が沸騰して破裂したのか」


『あぁ。有機生命体の通過は不可能なようだ』


「機械も無事では済まないだろう。・・・なんにせよ、我々は緊張地に閉じ込められたというわけだ」


ロロンは狼狽える様子を見せたりはせず、毅然とした態度でその陽炎のように空間を制する幕を睨みつけていた。


「先ほど通信が切れたのも偶然じゃないだろう。恐らく、これが悪さをしているな」


『緊張地内のネットワークは依然として使用可能だ。ただ、ロロンの言う通り外部との連絡は断絶した』


「そんな・・・」


「元々ここに閉じこもっている私からしたら、そう困ることでもないが——」


——が、この状況が他国からどのように観測されているのか、そしてどのような行動を取るのか。それら外部の動きが一切掴めないというのは些か不自由だ。

しかし不幸中の幸いというべきか、緊張地内のネットワークが生きているならそこまで悲観することはない。


とにかく、ドンワーズをパホニに帰還させるという眼前の目標が頓挫したことには変わりない。さらにパホニはおろか、外部への移動も実質的に封じられた。

 三人はその場に立ち尽くし、少しの間、突如として現れたそれを見上げることしか出来なかった。


    ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 彼ら態謁群が真に警戒していたのは不意に展開された領域兵器ではなく、緊張地の大陸中心に落下した、とある兵器についてだった。


俗に「主戦場」と称される一帯。誰が名付けた訳でもない、その行為が継続的に行われることによって自然発生的に生まれた呼び方。


 大陸中心部には、その地を二つに分かつような南北に数千キロ程続く巨大な亀裂が存在する。

遥か昔に発生した地殻変動によって生じたその大地の裂け目は、東西の行き来を困難にするだけでなく、両の決着を滞らせる要因にもなっている。


 しかして、そんな大地の口に向かって一直線に飛び込んだ物体があった。深さ数キロに及ぶその深淵に降ったそれは、裂け目の形を幾ばくか変化させるほどの威力を発揮し、皆が慣れ親しんだ光景を灰燼へと変貌させる。


 その余波によって生じたエネルギーは裂け目の内部を瞬時に満たすが、容器が満たされ耐えきれなくなったように、やがて出口を求めて外へと噴出。まるで火山が噴火したかのようなエネルギーの本流を周囲にまき散らした。


それが落下してから、僅か数秒の出来事。大規模な揺れと音を周囲にもたらし、その場で戦闘に励んでいた者は逃げる暇もなく、混乱の渦に呑まれていく。


 やがてその勢いも収まり、混乱状態だった現場には沈黙が訪れる。その場にいた殆どの人間がもはや争いを放棄し、突如として降り来た〝何か〟の正体を確かめようと、構えていた銃を下ろしその縁に近づきまじまじと見下ろす。

 裂け目内部の岩壁はその衝撃によって膨張したように変化。外縁一帯は未だに熱を宿しており、指先から伝わる熱が先ほどの出来事が夢ではなかったということを思い知らせてくれる。


 主戦場に集う人間の数は日によってまちまちである。地を埋め尽くすほど多い時もあれば、過疎化が進んだ地域のように閑散としている時もある。

当時、現場にはそのどちらでもない、二百人規模程度の人員が双方ともに戦場を賑わせており、それが降るまでは東側が優勢だったように思える。


 単純な陣取り合戦。中央の亀裂を基準として、亀裂を越えて片方の領地に攻め入り陣地を拡張していく。そんなシンプルな争い。

しかし、その後方に聳えている緊張地では貴重な歴史的建造物、彼らの信仰の拠り所である「神殿」を破壊されたらこの争いは終了となるとされる。

 明確に定められたルールというわけではないが、既に千年以上続く戦いの終結を定める為にか、誰かがそのように嘯いたことが奇跡的に口伝として現在まで啓示のように伝わっているのだ。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「どう・・・なったんだ・・・?」


 これまでの活動を示すように泥や土で汚れ擦れた鼠色の防弾服を着た男は、怯えた様子で縁から下を覗き、これまた砂塵が付着した目元を凝らした。底だと思しき場所には暗闇の中を灯すような、ぼんやりと赤く光る「何か」が見えるだけで、基本的には暗い谷底が無限に広がっているようだった。


 彼の他にも同じような動きで次なる展開を間近で見ようと、危険を顧みず身を乗り出している。


「お前ら、いつまで見てんだ?さっさと持ち場に戻りやがれ!ただの小さい隕石だろ———っ、うおっ!?あいつら!」


不意に向こう岸から飛んできた鉛玉を遮蔽物に身を隠してやり過ごす。

先ほどの衝撃で裂け目付近に大量に建てられていた遮蔽物は軒並み吹き飛んでしまったが、僅かながら残っている残骸を利用するしかない。


「おら、後退だ、行くぞ!死にてぇのか!!」


彼に引きずられるように、中の様子を気にしていた男は不満そうな顔をしながら後退していった。


そうして、彼がそれを背にした瞬間。辺りを純白に染める程の閃光が世界を染め上げた。


「・・・!!?」


「うっ・・・お、おい!立ち止まるな!!」


 突発的な閃光は網膜に損傷を与え、彼らは示し合わせたように目に手を当て、呻き声を漏らす。手を引いていた彼もその影響で言葉とは裏腹に歩みを止めてしまう。

光は裂け目の中の暗闇を一掃するかのように放出され、同時に何かが腹に響くような駆動音を発しながら、その深淵から浮き上がり彼らの前に姿を現わした。


「っ・・・ひっ・・・!」


その存在は、当該地点付近に居た者であれば全員が朦朧とする視界の中で捉えていた。同時に、それを見た者全てが悪寒を感じ、本能的な恐怖を刻み付けられる。


ゾワッ、と。全身に鳥肌が立つ。


———「あれは何だ」。


手を引き連れて行こうとした男に、彼は咄嗟にそう叫んだつもりだったが声は出ていなかった。視界は斜めになり、地面が近くなる。


「???」


ゴト、と鈍い音を立てる。頭を打ったような衝撃で眩暈に似た感覚を味わうが、その視界の先に見えた光景で全てを察した。


 周囲に存在した人間の全員、どこかしらの部位が綺麗に切断され、それぞれが空間を彩る飾りのように鮮血と共に舞う。手を引いていた男も胴体が数か所、綺麗に切り離され、それぞれが地に転がっている。


——「あぁ、首を切られたのか」。


 男は無意識にそう自覚し、自分を切ったそれを斜めになった視界に見据えようとした。しかし、その陽光を浴び煌めく白銀の姿を完全に知覚する前に視界は不意に暗くなり、彼の意識は、その後永遠に戻ることはなかった。


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


《——————フゥ・・・》


 特殊素材で練り上げられた白銀の装甲に身を包んだ男は、自らが作り出した惨状をふと見渡した。


見渡す限り散り散りになった屍と赤い液が点々と。

彼自身、この「試作機」を想定通り使いこなせるかという課題に対してさほど興味はなかったが、どうやら思いの外馴染んでいるのかもしれない。


——『クヴェルア』では、これまでも強化外骨格を主軸とした戦闘特化装甲の開発は行われていた。しかし、いずれにしても利便性や量産コストの面で普及することはなく、結局は趣味の領域を越える物は長らく現れなかった。


 だが、それの開発を支持し続ける「人体兵器化計画」の一助を掲げる一部団体によって公にはならずとも、開発と研究は熱心に続けられていた。

しかし、製造されるモデルのどれもが現状の兵器の火力に耐えうる物に届かず、また兵器としても他の自律機構や既存の兵器に一歩以上劣るとして酷評され続け、やがて出資は滞り、それの部品を生産する企業も徐々に撤退。


 彼が纏っている装甲は、そんな逆境の最中、依然として意欲を持つ者たちによって生み出された試作品。今回の作戦で成果を挙げることが出来なければ、もう市場にチャンスは訪れないかもしれない。


 勿論、そのような外部の事情は清算という名目でテスターに選ばれた彼にとっては至極どうでもいい事柄だった。

どの道、ここで結果を残せなければ、この分野と同様に自分の今後の立場は無いかもしれない。

 だが悲しいかな、彼は特別身の上を案ずるような性格ではなかった。どこか無気力で、同僚には「この仕事に向いていない」などと言われる始末。


強制されていなければ、このような面倒ごとは上官の憤慨した顔を横目に辞退しているだろう。


《・・・・・・・・・・・・・》


 どうだっていい。—————無数の命を奪った彼。ギルバルト・スーリンは、そのような事を考えていた。

ただその中で、ある一人の女性のことだけは、こんな状況でも脳裏に過る。


一呼吸置き、それの動作を一通り確認した後、遥か遠くの司令部に向け忽然と言い放つ。


《量変式動核装甲:ディミュタ。———フルロード》


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


————それが落ちて一連の被害が発生した後、少し遅れて謁者を称する者たちは事態を観測し、動揺を露わにしていた。


 無理もないことだった。今日に至るまで、他国からの直接的攻撃、襲撃を経験したことがないこの地ではそれに関して殆どの人間が無知であるからだ。それは謁者である彼らも例外ではない。

 だからこそ、ターヴォルが緊張地にそれを撃ち込んだ際の対応が遅れたのだ。まさかそんなことをしてくる奴はいないだろう。という非常識な常識に安心してしまっていたが故に、暗黙の了解を堂々と破るそれを。


 ————いや、この期に及んで国際法で正式に定められているわけでもない空想の了解を夢想しても仕方がないことだった。

何より、今回のことは以前より態謁群らによって慎重に観られていた。ただ、こんなにも早くそれが動き出すとは誰も予想していなかったのだ。


「・・・はぁ、何を思っても言い訳。後の祭りにしかならんな・・・」


 男の年齢は態謁群の中でも上位に位置する。五十半ばの彼は、短めに生えそろった銀の髪を煩わしそうにぐしゃぐしゃと荒らし、双眸のレンズの先に見える人型を見据えた。


『ご主人様、例の装甲騎兵のスペックは事前に調査されていた物よりも大幅に上がっているようです。恐らく、導入前に緊急的な改善が行われたのだと思われます』


 隣で彼を「ご主人様」と機械的な音声で呼ぶ容姿端麗な女性は童顔で透き通るような金糸のような髪を短く纏め、白と黒を基調とした場にそぐわないようなふわふわとした給仕服に身を包んでいる。

 一見するとどこか優雅な邸宅や宮殿から突然砂塵が舞う戦場に転移してきたようないで立ちだったが、例によって彼女も人間ではなく、彼のれっきとした相棒である。


「ふむ・・・。道理だな。それに予想を遥かに上回るほど早いお出ましだ。それで一気に調整を終えて遣わしたんだろう。何を急いでるのか知らんが、傍迷惑な奴だ。ここでなら戦闘データを取り放題だってか?」


『その可能性は高いかと思われます。仮に、緊張地を広大な戦闘シミュレーションルームだとして、ここで戦闘に参加している東西含めた数千人弱全てがアレの実戦データに昇華するでしょう』


「おーおー、そりゃ物騒だ。けどな、レファ。アレをどうにか出来る逸材がこの地にいると思うか?おまけに俺たちを閉じ込めるテントまでご丁寧に張りやがって」


『負けを認めるには早計です。どれだけ強力な兵器であろうとも人口物である以上弱点は必ず存在します』


「それを見つけるのが誰の仕事だと思ってんのかね・・・ん?」


 半ば呆れながら呟く。すると、首に付けていたチョーカー型の連絡用端末が反応する。その相手は彼が良く知る、態謁群のメンバーの彼女だった。


「・・・ロロンか。そっちは無事か?」


『はい謁長。現在東端空港エリア付近にいますが、例の帳の影響で外部への進出が事実上不可能となりました。そちらは?』


「俺は神殿付近の監視台に居る。他の謁者も距離を取りながらアレを円形に取り囲んでる状況だ。ま、観察するだけで手は出せないがな。奴さんもあれから動きを見せていない」


『そうですか、くれぐれもお気を付けて。私もそちらに向かった方がよろしいでしょうか?』


「・・・いんや、どうせこっちに来てもやれることはないしなぁ。危ないし、その辺で避難誘導でも・・・あ、外には出れないのか。いやー、困ったな・・・」


『・・・では、私は一度都市部に戻ります。まだ事態を把握していない人々は多いでしょうから、混乱状況を確認する為にも』


「分かった。ククゲラ緊張地ネットワークに今の状況はぼちぼち流れてはいるが、まだ大多数は知らない状態だ。あの落ちてきた奴も東西どっちかの仕業だと思ってる人間も多いだろう。そもそもデマだと思う奴もいるだろうな。んで上のアレは・・・まぁその内混乱の種になるだろうが、内部に居るだけならそう被害はないから後回しでもいいだろう。いきなり緊張地から逃げだす輩が大量に出てくるとも考えにくいからな」


『分かりました・・・。では、そういうことで———』


そこで通信は切れた。


『・・・こんな状況でも冷静なのですね。意外です』


「はっ、俺が狼狽えたら示しがつかんだろう。これでもリーダーだからな」


『ご主人様・・・』


「・・・正直、最初はここまで大規模なことをやってくるとは思っていなかったが、なっちまったもんはしょうがない。はぁ、俺も異能力か何か持ってりゃ戦力になったんだがな」


彼は両手をぶらぶらと振りながら残念そうに息を吐く。


『ないものねだりをしても仕方がありません。とにかく、私達に出来るとこは動向を観ることだけです。後は信じましょう・・・この地に根差す、人々を——』


静かにそう呟き、遠くで恒星の光を反射し輝いているそれの姿を彼女は淡い翡翠のような瞳で見据えた。


 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


「——そういう訳だ。右往左往して悪いが、再び都市部に戻るぞ」


言い終える前に、彼女は目の前にそびえるそれに対して踵を返し再び四駆に乗り込んだ。

ドンワーズらもそれに続き愛馬に飛び乗る。


「・・・先ほどのは?謁長と言っていましたが・・・」


「・・・私たちのボスさ。くたびれたオッサンのように見えるが、いざという時には頼りになる。そんな人だ」


 ドンワーズに尋ねられ、それを明かすか否か数秒逡巡した後、通話相手の正体を明かした。少し考えたが、もはやそれを隠すことすら意味のないことだと思えてくる。


「言っておくが、彼にこの状況を打開できる力があるのではと期待するなら間違いだ。私達は戦闘員ではない。あくまでも観察者だからな」


「・・・・・」


 先に釘を刺される。彼女たちの長であれば、事態を解決する何かしらの手段を持ち合わせているのではないかという淡い期待はあっさりと崩れさった。


「私達の行動理念は緊張地を俯瞰し、場を影からその都度治めること。勿論これら活動は私たち——「態謁群リビュラウズ」だけじゃなく、同様にこの地を治める役を担う組合や互助会の協力が必要不可欠だ。ただ、そういった揉め事の大半は大事ではなく民事的に処理できることが殆どであって、常軌を逸した何かに出くわすことはない」


『主戦場での揉め事には基本的に態謁群も干渉はしない。暗黙の了解があるとはいえ、あの場に表向きな制約も規則も存在しないからな』


「だから、今回の事態に関しては、組織として何か直接的に助力出来ることはほぼ無い。勿論、アレに好き勝手暴れられるのを黙って観ているつもりはないが、実利的な対抗手段を持っているのは戦場に身を晒す東西の戦闘員だけ。歯痒いが、要はそういうことだ」


「それなら、これからその戦闘員の人たちに助けを求めるんですか?」


「わざわざそんなことをしなくても、彼らは勝手に団結して標的を下す算段を立てるさ。勝算はさておき、ね」


『・・・これは異例の事態だ。ドンワーズ。その決起した彼らが犬死するのを防ぐために、我々は彼らに知恵を与える役に回らなければならない』


「・・・なんだ、もうプランが定まったのか?」


『今しがた、謁長の補助機構から通達があった。「全謁者は当該目標である敵機、「騎士」と呼称した者の迅速な討伐方法の看破、並びに討伐方の情報が判明しだい東西両軍へと速やかに伝達せよ」——とのことだ』


「なるほど、妥当な策だな。しかし、それもいつ明らかになるか・・・」


 そのような方針が打ち出されたことはいいが、現状緊張地内だけで情報の精査をしなければならないという極めて閉鎖された状態でそう都合よくアレの討伐方が判明するとは思えなかった。


「セル、その騎士をどうこうする前に、この面倒なジャミング装置をどうにかするのが先だと私は思うが。もうターヴォルが直接攻め入った以上、他国も同様にこの地に足をつけてもいいのではないかと判断し始める時期だろう」


『外からの助力を期待するということか?』


「この地の戦力を過小評価しているわけではないが、アレを倒すという観点から見れば力不足感は否めない。騎士の討伐リソースを世界規模に広げた方が賢明だと私は思う」


『・・・一理あるな。謁長は、あの幕に関してそこまで悲観的ではないようだったから作戦立案に当たっては無視していたのだろう。分かった、ロロンの意見を伝えてみよう』


「頼む。まぁ、仮に賛同を得られたとして、どうやってアレを消すのかという話になるだけだがな・・・」


 彼女は砂塵で汚れた窓ガラス越しに、遥か上空で陽光を浴び月のように輝いている物体を凝視した。

 普通ならその距離の物は肉眼では見えないだろうが、一等星の如き輝きを有するそれは昼間であろうと目視できる。


 まるで初めからそこにあったかのような面構えで静止しているそれは緊張地を見守る乳母のようであり、彼らを閉じ込める毒親のようにも見えた。

 しかしいずれにしても、今はこの地を蝕む外来の義母である。


「あれの直接破壊は出来るのか・・・誰か試した者はいるか?」


『送信完了。・・・アレに対しての破壊行為は現状確認できない。だがよく見れば、あの機械自体膜に覆われているようだ。恐らく緊張地を覆うそれと同等の物で、装置を保護するバリアの役を担っているはずだ。装置を破壊したければ、やはりバリアの消失が最優先事項だろう』


「物理的には。だろう?内部からはどうだ」


『装置に対するハッキングか。詳しいことは分からないが、相応の技術が伴えば不可能ではないだろう。ただ問題があるとすれば、仮にその技術があるとして、あの距離までの通信が届かないことだ。成層圏までの通信を行うとなると、衛星通信の利用は必要不可欠だ』


「事実上不可能ってわけね。そう・・・」


彼女は落胆したような顔で視線を目の前に続く轍に戻した。


『そう悲観することもないだろう。この状況は我々が対外的に周知させるまでもなく、既に全世界へと知れ渡っているはずだ。遅かれ早かれ、より先進的な技術を持った勢力がこれの突破を試みるだろう。あるいは・・・もう既に着手しているかもしれない』


「例えば・・・?」


『・・・候補はいくつかあるが、そうだな——。特に連合軍側、パホニ等が該当する』


「っ・・・!」


不意にパホニの名が上がり、ドンワーズの心臓が僅かに跳ねた。


「奇遇だな。ちょうどここにパホニから来た人物が居る」


「え、いや・・・私は、何も役に立つようなことは出来ませんよ——」


「冗談だ。どの道、誰であろうとこの状況下では出来ることは限られる。手段がなければ技術など無いも同然だからな。・・・それで、パホニにはこの状況を打開出来そうな有望株がいるのかね、ドンワーズ」


「・・・そう、ですね。治安維持部隊情報部のメンバーの中に、優れたハッカーが居ました。彼曰く、その優れたハッキング技術の腕を政府に買われて部隊へ加入したそうですが、自分が知る範囲だと、彼なら——」


「そのような経歴の人間はギークならまぁ少なくはないだろう。期待は出来そうだな」


  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


 同時刻、世界情勢の緊張ぶりを観察する各々の勢力は突如として緊張地を覆ったそれの情報を巡って混乱に陥っていた。

それはパホニにおいても例外ではなく、彼の国を治める首相も事態の把握に追われていた。


そんな折、治安維持部隊に籍を置いていたハッカーはモニターに映し出されたその異常と形容するしかない事態を確認して息を荒げていた。


「出たな——「華幕」・・・!」

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